第7話 それは、記憶を失った少女でした
机と椅子、それにベッドと本棚という、最低限の物しかない殺風景な部屋。その部屋の真ん中にある、白く清潔なベッドに金髪の少女は眠っていた。
その枕元を赤い髪の青年がウロウロと歩き回っている。あまりの落ち着きのなさに、控えている黒髪の執事が声をかけた。
「座ったら、どうですか? その大きな図体で歩かれても目障りです。透視魔法で、打撲した頭と背中以外は問題なし。眠っているだけ。と診断したのは、あなたでしょう? その打撲も、あなたが魔法で治療しましたし」
執事の声に引っ張られるように少女の意識が浮上していく。
少女はゆっくりと目を開けたが、何故か景色がにじんでハッキリとは見えなかった。
赤髪の青年が心配そうに執事に訴える。
「ですが、こんなに起きないなんて……」
「最近は多忙でしたから、疲労で眠っているだけでしょう」
少女が視線を動かすと、赤い髪がぼんやりと映った。
「それにしても……師匠!?」
起きたことに気がついた赤髪の青年が、少女の顔を覗き込む。
「師匠! 気がつきましたか!」
ハッキリとした視界に写ったのは、イケメンのドアップ。
「キャ――――――」
少女はシーツの中に逃げるように顔を半分隠しながら、思わず叫んだ私は悪くない、全てはイケメンが悪い、とどこか冷静に考えていた。
だが、その叫び声を聞きつけた使用人たちが、慌てて部屋に飛び込んでくる。
「クリス様!?」
「いかがされました!?」
雪崩れ込んできた美形たちに少女が呆然とする。そこに、赤髪のイケメンが恐る恐る声をかけてきた。
「師匠?」
「……ししょう?」
少女が上半身を起こしながら考える。
「ししょう、とは私のことですか? そういえば、ここはどこですか? 私は……あれ? 私の名前は……あの、私は誰ですか?」
不思議そうに見回す少女に対して、その場にいた人たち全員の目が丸くなり、顔が青くなる。
赤髪のイケメンが何か言おうとしたが、体当たりで押しのけてきた赤茶の髪のメイドが話しかけた。
「クリス様! 頭は痛くないですか!? 吐き気がしたりしませんか!?」
少女は茶色の瞳に迫られながらも、キリッとしたカッコいい系のお姉さんだなぁと考えながら、首を横に振った。ちなみに視界の端では、赤髪のイケメンが床で伸びている。
「そういうのは、ありません」
明らかに初対面の人を見るような目で、少女がメイドを観察する。
赤茶の髪のメイドは、少女を不安にさせないように、ゆっくりと訊ねた。
「私のことは、分かりますか?」
「……ごめんなさい、分からないです」
「クリス様! 私のことは!?」
今度は茶色の髪に青い瞳のメイドが顔を寄せてきた。睫毛が長くて目が大きい可愛い人だなぁ、と思いながら少女が答える。
「すみません、分からないです」
メイドの二人がシュンと沈んで下がる。
最後に黒髪の執事服を着た人が近くに来た。超絶美形だが、顔が中性すぎて性別の判断がつかない。
執事服を着てるから男性かな? と少女が推測していると、執事が黒い瞳を柔らかく細めた。美形の微笑みは破壊力がすざましい。
「どうやら、頭を打った衝撃で記憶を失くしているようですね。カルラ、シェットランド領に連絡して、治療医師を一人、手配してください」
「はい!」
カルラと呼ばれた赤茶の髪のメイドが、転げるように走って部屋から出て行く。その時に赤髪のイケメンを踏んで、グエッと蛙のような声が出たが、誰も気にしない。
「ラミラは治療院研究所に連絡を。クリス様はしばらく休みましょう」
「はい」
ラミラと呼ばれた茶色の髪のメイドが、早足で部屋から出て行った。その時もグエッという声がしたが……以外略。
「あ、あの、私は……」
少女の動揺を感じ取ったのか、黒髪の執事が視線を合わすように屈む。
「私は執事のカリストと申します。用があるときは、いつでもお呼びください」
「は、はい」
「で、あなたはこの屋敷の
先ほどからそう呼ばれていたので、なんとなく気づいていた。
「それが私の名前ですか」
「はい」
しっかりと頷くカリストの隣で、起き上がった赤髪のイケメンが何か言おうとする。しかし、それをカリストが訳知り顔で頷きながら手で制した。
「いきなり全てを話しては、混乱されてしまいます。少しずつ説明していきましょう」
赤髪のイケメンが納得して下がるが、クリスは疑問に感じた。
「それは、どういうことですか? 混乱しているからこそ、説明が必要だと思うのですが……」
「そうですね。ただ、クリス様の環境は少々複雑なので、重要なことから順番に説明していきます」
「複雑?」
どう複雑なのか、クリスにはまったく想像ができない。クリスが悩んでいると、カリストは懐から鼈甲の櫛を取り出した。
「まずは身なりを整えましょう。クリス様は見事な金髪ですが、これは隠さなければなりません」
「え!? なんで? どうしてですか?」
クリスが驚きながら自分の金髪を摘まむ。窓から入る光に透けて、金の鎖のように輝いている。これを隠すなんて、勿体ない気がする。
そんなことを考えていると、カリストがクリスの背後へと移動した。
「この櫛で髪の色を茶色に変えます。ただし、クリス様が眠られると金髪に戻りますので、お気をつけください」
「じゃあ、外でお昼寝もできないのですね」
ポツリと溢れた言葉に、赤髪のイケメンが驚愕の顔になる。
「お昼寝!?」
あまりの驚き方にクリスが困惑する。
「わ、私、そんなに変なこと言いました?」
「あ、いえ。気にしないでください」
赤髪のイケメンが沈み込むように椅子に腰かけた。その様子にクリスの心が何故か痛む。
「あの、すみません……」
クリスが謝ると、赤髪のイケメンは慌てて顔を上げた。
「いえ! 師匠は悪くありません! むしろ、自分がついていながら……」
赤髪のイケメンがますます落ち込んでいく。
原因は不明だが、これ以上暗くならないでほしい、と思ったクリスは急いで話題を変えた。
「あ、あの! 名前! あなたの名前を教えてください!」
赤髪のイケメンがハッとして顔をあげる。
「そうでした。自己紹介がまだでしたね。自分はルドヴィクスです。ルドと呼んでください」
「ルド、ですね。よろしくお願いします、ルドさん」
「……はい」
クリスは笑顔で言ったが、ルドの顔はどこか悲し気だった。クリスは自分が上手く笑えていなかったのかと、両手で顔に触れて確かめる。そこにカリストが声をかけた。
「終わりました」
「すごいですね」
クリスが茶色へと変色した髪を掴んでマジマジと観察する。金髪の面影は微塵もない。
カリストが鼈甲の櫛を懐に入れながら話す。
「服も変えましょう。着替えはラミラが手伝いますので、お待ちください」
「着替えぐらい一人でできますよ?」
「その服は少し特殊ですから。着替えをお持ちします」
そう言ってカリストがルドに視線を向ける。それだけで察したルドは軽く頭を下げてクリスに言った。
「少し失礼します」
「あ、はい」
こうして二人が部屋から出て行った。
クリスはベッドから立ち上がり、改めて自分が着ている服を見る。
「……地味な服」
詰襟で黒一色のため、良く言えば引き締まって格好良く見えるが、悪く言えば暗くて寂しい。部屋もシンプルで、飾りが一つもない。
「……地味な部屋」
本音がポロリとこぼれたところで、気持ちいい風がクリスの頬を掠めた。窓に視線を向けると、空と同じ色をしたカーテンが誘うように踊っている。そこから、華やかな外の景色が見えた。
「わぁ……きれい……」
綺麗に刈り揃えられた緑の葉から、色とりどりの花が咲き乱れている。噴水の水が踊るように吹き上がり、雫が太陽の光を弾く。
クリスが庭に見惚れているとノックの音がした。
「はい」
反射的にクリスが返事をすると、ラミラが部屋に入ってきた。
「失礼します。着替えをお持ちしました」
「あ、はい」
ラミラがクリスの前まで来て、着替えの服をベッドの上に置く。
「先ほどはお見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした」
「い、いえ! そんな! 記憶を失くした私の方が悪いですし!」
両手を左右に振って、クリスが慌てて否定する。その光景にラミラが驚いたように目を丸くした。
「あ、あの?」
何か失礼なことをした? とクリスが悩んでいると、ラミラが少し残念そうに笑った。
「いえ、お気になさらないでください。着替えましょう」
ラミラが戸惑うことなくクリスの服に手をかけてきた。
「え? え?」
恥ずかしいと思う間もなく上着を脱がされる。すると体に巻き付けたように着ている硬い服があった。
「これが少し特殊な服です。まず、この金具をこちらにずらしますと外れます。次はこちらの紐を緩めてください。はい、これで脱げました」
ラミラが胸から腰までを覆っていた服を外してクリスに見せる。
「……硬いんですね」
多少の弾力はあるが布に比べれば硬い。
「なぜ、こんな服を着ているのですか?」
クリスは記憶がないものの、なんとなく普通は着ないと感じた。
ラミラが少し困ったような顔になりながらも説明する。
「クリス様の仕事は治療師です。ただ治療師は男性しかなれません。ですので、クリス様は男装をして性別を偽って治療師をしていました」
「え……?」
「ですが、今のクリス様では男装も治療師の仕事も難しいでしょう。ですので、普通にお過ごしください」
そう言ってラミラが広げて見せたのは、ふんわりと暖かい雰囲気が漂う、淡い黄色のワンピースだった。
「可愛い!」
クリスがワンピースに飛び付く。ラミラは嬉しそうに微笑んだ。
「気に入っていただけて良かったです」
クリスが喜んでワンピースに袖を通す。
首元や手首に繊細なレースがあしらわれ、胸元にも同じレースで飾りがついている。スカートはふわりと広がり、裾にもレースがふんだんに使われ、歩くだけて軽やかに揺れる。
クリスは満足そうに全身を確認しながらラミラに訊ねた。
「ルドさんに見せてきていいですか?」
クリスの提案にラミラの青い目が丸くなる。
「あ、はい。かまいませんが……」
「なにか問題がありますか?」
ラミラのあまりの驚きように、クリスが不安になる。ラミラはすぐに優しく微笑んで同意した。
「なにも問題はありません。よくお似合いですので、きっと犬……いえ、ルドヴィクスも驚きますわ。ですが、どうして、い……ルドヴィクスにお見せしようと思いました?」
「んー、なんとなく? この服を着たら、ルドさんの顔が浮かんで、見せたいと思ったんです」
可愛らしい笑顔で素直に感情を表現するクリス。その様子にラミラは心の中で感涙しながら、表情には出さずに頷いた。
「そうですか。ルドヴィクスはカリストと庭にいますから、行ってみてください」
「はい!」
クリスは軽やかに部屋から飛び出した。
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