第5話 それは、この二人にも地雷でした

 可愛らしい声の主がスカートを翻しながら駆け寄ってきた。


「あら、もう帰りますの?」


 ふわふわとした白に近い金色の髪を風に遊ばせ、大きな水色の瞳がガラス玉のように光を弾いている。まるで人形のように愛くるしい姿をした小柄な乙女だ。


 その人物にクリスは肩を落とした。


「まだオークニーにいたのか、ベレン」


「まあ、なんですの!? その言い方!」


 可愛らしく頬を膨らますが、本気で怒っていないことは顔を見れば分かる。

 クリスは厄介払いをするように言った。


「いい加減、帝都に帰れ」


「ちょっと、それが現皇帝の姉の娘への言葉ですの? もう少し敬いを持っても、よろしいと思うのですが? ルド、どう思います?」


 話を振られ、反射的にルドの体が固まる。その様子に、ベレンの後から歩いてきた青年が笑った。

 艶やかな黒髪に、涼やかな深緑の瞳。彫りが深く、甘い顔立ちは男の色気が溢れている。浅黒い肌に筋肉質な体は、この国の人間ではないことが一目で分かる。


「相変わらず赤狼はお姫さんが苦手なんだな」


「べ、別にそのような訳では……」


 額に汗をかきながら言い訳をしているルドに、青年が肩をすくめる。


「そうか? そういえば、体がなまっているから、手合わせをしてほしいんだが」


 ルドは盛大に首を横に振った。


「何度も言っていますが、他国の王子に手合わせでも傷を負わせたら国際問題になりますので、絶対に! 嫌です。オグウェノ第四王子」


 オグウェノが隣で控えている男に顔を向ける。

 黒茶の髪を刈り上げ、厳つい顔をしており、眼力だけで人を殺せると囁かれているほどだ。体はオグウェノより筋肉質で、腕は女性のウエストぐらいの太さがある。

 初対面の子どもには、ほぼ泣かれる外見だが、ベレンとは親密な関係になりつつあり、並んで歩いていると、人形と野獣と呼ばれている。


「けど、イディと手合わせするのは飽きたんだよな」


 護衛でもあるイディは無言のまま立っている。クリスは何かを思いついた顔になり、セルシティに耳打ちをした。

 黙って聞いていたセルシティが魅惑的に微笑む。


「それはいい」


 セルシティは老齢の執事を呼び、耳打ちをした。老齢の執事がすぐに動く。ルドが不安気にクリスに訊ねた。


「師匠?」


「気にするな」


「いや、気になりますよ」


「悪いようにはしない」


「何をする気ですか!?」


 ルドの背中に悪寒が走る。それは何故かオグウェノとイディの背中にも走った。


 戻ってきた老齢の執事がセルシティの耳元で報告をする。セルシティはクリスに目で合図をすると立ち上がった。


「クリスティ、帰るのだろう? 途中まで送ろう」


「あぁ」


 二人が歩き出したのでルドが慌てて追う。そこにベレンとオグウェノも歩きだした。二人が動けば護衛であるイディも自然とついてくる。


「もう帰りますの?」


「もう少しゆっくりすればいいだろ」


 オグウェノはクリスの後ろを歩きながら訊ねた。


「そういえば、黒い執事は来てないのか?」


「カリストか? 用があるなら呼ぶぞ」


 クリスが歩きながら自分の影に視線を向ける。オグウェノは少し考えて首を横に振った。


「いや、そこまでの用ではないからいい」


「そうか」


 種類は違えど美形揃いが、ぞろぞろと城内を歩いていく光景は注目を浴びた。しかし、この一行に声をかける強者はいない。


 城の者たちが遠巻きに眺めていると、遥か前方からつい先ほど絨毯の一部にされた親衛隊の青年騎士三人組が歩いてきた。


「すぐに治療してもらえて良かったな、ケラック」


「当然だ。オレを誰だと思ってやがる」


「まったく、ひどい一日だよな」


 不満を隠す様子なく、堂々と周囲の物を蹴って八つ当たりをしている。

 その態度にオグウェノが聞こえる声で言った。


「態度が悪いな。騎士としての礼節がなってない」


「あぁ!? オレにそんなことを……」


 三人組がオグウェノに視線を向けたところで、クリスの存在に気付いた。


「「「ゲッ」」」


 三人の顔色が一瞬で悪くなる。


「また会ったな」


 クリスから他人に声をかけることは、とても珍しい。ルドは驚きながらも確認した。


「師匠、お知り合いですか?」


 ちなみにルドは、先ほど自分がこの三人を吹っ飛ばしたことは覚えていない。

 クリスが平然と説明をする。


「あぁ。さっき初めて、ここで会ったんだがな。いきなり専属の治療師になって戦場に付いて来いと言われた」


 その言葉にルドの気配が一瞬で変わった。どす黒い殺気が足下より吹き出し周囲をおおっていく。その気配に三人の足が無意識に下がる。


 普段からは考えられないルドの雰囲気に、オグウェノは軽くルドの肩を叩いた。


「おい、おい。どうしたんだよ。少し落ち着けって」


 ルドが琥珀の瞳を光らせながらオグウェノを睨む。


「こいつらは師匠を戦場に連れていこうとしたのですよ?」


「いや、でも戦場に治療師は必要だろ?」


「夜伽込みの意味で、ですよ?」


 オグウェノの肩眉がピクリと動き、深緑の瞳が鋭くなる。


「男、なのにか?」


 オグウェノたちもクリスの本当の性別は知っているが、あえて偽りの性を口にした。


「戦場に女性は連れて行けませんから」


「そういうことか」


 すべてを悟ったオグウェノの雰囲気が一変する。軽さが消え、思わず跪きそうになるほどの重圧が三人にかかる。

 その上、首に剣を突きつけられているかのような、鋭い気配がルドから常に放たれている。


 三人がゴクリと唾を飲みこんでいると、セルシティが呑気な声で提案した。


「そうだ、オグウェノ殿。先ほど手合わせの相手を探していたが、この三人はいかがかな?」


 オグウェノがいつもの色気がある笑みを消して獰猛に笑う。


「それは、ありがたい。ちょうど体がなまっていたのだ」


「イディ殿も入れば、三対三で人数も合うし、ちょうどいいでしょう」


 黙って様子を見守っていたベレンが、クリスの服の裾をちょいちょいと引っ張る。クリスが振り返ると、ベレンが口元に手を当てて小声で訊ねてきた。


「よろしいですの?」


「セルティが言い出したんだから、問題ないだろ」


 三人組は手合わせにクリスが入らないことに安堵した。

 よく見れば赤髪は治療師の服を着ているし、あとの二人は筋肉質で異国の服を着ているが、騎士や戦士の服装ではない。

 これなら勝算はある、と考えた三人は軽く頷いた。


「セルシティ第三皇子が言われるのなら」


「我らの実力をお見せする、よい機会です」


「ちょうど軽く体を動かしたいと思っていたところですし」


 どこから出てくるのか三人は自信満々に言った。


 そもそも三人は、自分たちを吹き飛ばしたのがルドであることに気付いていない。しかも、先日オークニーに来たばかりだったため、オグウェノがケリーマ王国の第四王子であることも、その実力も、知らなかった。


「では、鍛錬場へ行こう」


 セルシティは、それはそれは晴れやかな笑顔で全員を案内した。




 手合わせの結果から言うと、イディは何もしなかった。それはもうルドとオグウェノによる、一方的なものだった。


 二人は三人組に対して、必ず急所を外し、絶妙な手加減で相手が起き上がれる程度の攻撃をした。

 一方の三人組もプライドというものがあり、自国の皇子が観戦している前で、無様な姿は見せられない。ましてや、自ら負けを認めるなど出来ない。


 こうして三人組は体力の限界まで挑むこととなった。


 ボロ雑巾のように鍛錬場に転がる三人を、胸の前で腕を組んだルドとオグウェノが仁王立ちのまま見下ろす。


 ルドの赤髪が初夏の風に絡み、燃えるようになびく。だが、琥珀の瞳に輝きはなく、底が見えないほど冷えている。


「もう終わりですか?」


 感情がない声の隣では、オグウェノが艶やかな黒髪を揺らしながら嘲笑を浮かべている。軽い雰囲気なのだが、深緑の瞳は笑っていない。


「情けねぇな。こっちは剣も抜いてないのに」


 ルドが一歩踏み出す。


「もし次、師匠に声をかけたら……」


 格の違いを思い知らされた三人が慌てて首を横に振る。


「か、かけねぇ! 二度と声はかけねぇ!」


「わ、悪かった! オレたちが悪かったから!」


「もう、しねぇ! 絶対にしねぇから!」


 オグウェノがとどめを刺すかのように屈んで三人と視線を合わした。


「その言葉、忘れるなよ」


「あ、あぁ!」


「忘れない! 忘れないから!」


「勘弁してくれ!」


 三人が逃げ腰になっているところにクリスが歩いてきた。


『ヒッ!』


 恐怖で三人の声が重なる。クリスは呆れたように三人組を見下ろした。


「おまえたち。騎士なら最低でも相手の実力が読み取れるぐらいにはなれ。家柄と実力を混同するな。でなければ戦に出ても、すぐに死ぬぞ」


 オグウェノはクリスの隣に立つと、深緑の瞳を細くして微笑んだ。


「まったく。月姫は優しいな」


「そんなことはない」


 クリスが踵を返してセルシティがいる方向へ歩きだした。ルドとオグウェノが目を合わす。


「では、これぐらいで」


「そうだな」


 二人がクリスの後に付いていく。セルシティはルドとオグウェノを見ながら、戻ってきたクリスに言った。


「豪華な護衛だな」


「いずれ帰る場所がある者たちだ。私には関係ない」


 その言葉にセルシティはやれやれと肩をすくめた。

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