第4話 それは、師匠しか見えていない犬でした

 青年騎士たちが気を失ったことに気がついたセルシティが、クリスに淡々と言った。


「気絶したみたいだな」


「あぁ」


 クリスは足を止めると、回れ右をして三人が倒れているところへ戻った。


「なにをするんだい?」


 興味深そうに覗き込んできたセルシティを無視して、クリスは骨折をしている男の足に手を向けた。


『骨組織の修復。血管組織、神経の修復』


 ふにゃふにゃになっていた足と、あらぬ方向に曲がっていた指が正しい形になる。


「治療するとは優しい。だが先ほどのは、あまりよくなったな。怒りで頭に血がのぼって、詠唱をせずに魔法を使っただろ?」


 クリスは答えなかったが、セルシティは気にせず続けた。


普通・・は、詠唱せずに魔法を使うなんてありえないんだ。そのことを、くれぐれも忘れないように」


 クリスがセルシティを睨む。


「そもそも、なんでこんな程度が低い奴らが、親衛隊の服を着て、ここにいるんだ?」


「ちょっと面倒なのがいるから躾けてくれ、と頼まれてな。王都だと家柄やら、しがらみやらで難しいんだそうだ」


「それで私を呼んだのか?」


 セルシティが心外そうに肩をすくめる。


「まさか。それだけじゃないよ。そろそろ城の警備訓練もしようと思っていたんだ」


「それで、犬と私を別々に呼んだのか」


 セルシティがにっこりと微笑む。

 そこに微かな爆発音と地鳴りがした。


「来たみたいだな」


 足元の三人が呻き声を上げる。


「少し離れたところで見学しようか」


 セルシティの提案にクリスは頷いて、廊下の奥へと移動した。


 クリスとセルシティが廊下の突き当りに到着した頃、倒れていた青年騎士たちが目を覚ました。息苦しいこともなく、骨折したところの痛みもない。

 三人はゆっくりと立ち上がって全身を確認した。


「……夢、だったのか?」


「いや、それはないだろ」


「だが、あいつはどこに……」


 三人は何かを思い出したのか、全身が震えて顔が青くなった。


「な、なにもなかった。いいな」


 ケラックの言葉に、残りの二人が神妙に頷く。そこにドタバタと激しく走って来る音がした。


「なんだ!?」


 三人が揃って同じ方向を見る。すると、警備兵から騎士、親衛隊まで、城にいる全ての戦力が突撃してきていた。しかも、全員が鬼の形相だ。

 あまりの迫力に三人が後ずさる。


「なにが起きているんだ!?」


「どけぇ!」


 怒号とともに人波に呑まれた。

 逃げそびれた三人は、様々な人からの体当たりを喰らい、倒れ、踏まれていく。そして、波が去った時には、背中に大量の足跡が付き、絨毯と化していた。


 ケラックがどうにか声を絞り出す。


「な、なんなんだ、この城は……」


 全身に痛みを感じながら、どうにか体を起こしたが、座るだけで精一杯だった。そこに怒鳴り声と叫び声が響く。


「止めろ! なにをしてもいい! とにかく止めろ!」


「いや! これ、無理っ……ぎゃぁぁあぁぁ!」


「命をかけろ! ここを通したら、地獄の特訓だぞ!」


「わかっ……ぐぁぁぁぁ!」


「待て! とまっ、ダァァァァァァ………」


 次々と聞こえてくる断末魔に三人が顔を見合わす。


「……近づいてきてないか?」


「あぁ……」


「ここに、来るのか?」


 三人がゴクリと生唾を呑み込む。一際大きな爆発音とともに煙が流れてきた。思わずそちらに視線を向ける。

 すると、煙の中から走って来る人影が見えた。


 全体的に短い赤髪だが、襟足だけ長く伸びた髪が揺れている。琥珀の瞳がまっすぐ前だけを見つめ、突進してくる。年齢は三人と同じぐらいの青年だった。


 さすがに相手は一人。こちらを避けて走り抜けるだろう、と三人は座り込んだまま動かなかった。しかし、避ける様子なく突っ込んでくる。


 そのことにケラックが気づいて慌てた。


「ちょ、待て! 止まれ!」


「おい! 逃げよう!」


「でも、体が……」


 三人は体が思うように動かないため、床を這って逃げようとしたが、間に合わなかった。


 前しか見ていない赤髪の青年と盛大にぶつかり、三人の体が宙を舞う。しかも、青年のスピードは落ちることなく、何事もなかったかのように駆け抜けた。


 三人の体が床に叩きつけられた頃、青年は廊下の奥にたどり着いていた。


「師匠!」


 クリスの姿を発見した青年が急停止する。


「おはようございます!」


 爽やかな笑顔とともに、ないはずの尻尾が大きく左右に揺れる。精悍な顔立ちで、黙っていればカッコいいはずなのだが、どこか残念な雰囲気が漂っている。

 これが使用人たちから犬と呼ばれながらも、クリスから魔法で治療をする方法を学んでいる弟子のルドだ。


「……おはよう」


 クリスがルドの背後に視線を向ける。そこには屍と化した兵や騎士たちが転がっていた。





 初夏の爽やかな風が吹き抜ける庭に移動したクリスたち三人は、穏やかな日差しに包まれながら椅子に座っていた。


 セルシティが白金の髪を揺らしながら楽しそうに話す。


「ルドのおかげで、城の警備の弱点が明確になるから助かる」


 赤髪を逆立て、琥珀の瞳が鋭くセルシティを非難する。


「それなら、自分だけ呼べばいいだろ。師匠まで城に呼ぶのは止めろ。師匠は忙しいんだ」


「そう怒るな。気分転換に、と思ったんだ。それに見せたいものがあるのは事実だし」


 ティーセットを運んできたメイドが、砂糖漬けした花びらが練り込まれたクッキーを並べていく。焼きたての香ばしい匂いとともに、花の香りも鼻をくすぐる。

 そんな趣向を凝らした可愛らしいクッキーだが、クリスは興味を持つことなく、セルシティに淡々と訊ねた。


「見せたいものとは、なんだ?」


「今から見せるよ」


 老齢の執事が布に包まれた板をクリスに差し出した。


「先帝が最近、絵を描くことに目覚めたらしくてな。治療の礼として、クリスティに送ってきた」


「絵か」


 クリスは興味なさそうに老齢の執事が持っている板を見ながらも、視線の端ではルドの様子を覗き見していた。


 若いメイドがルドのカップに紅茶を注ぎ、一歩下がる。すると、ルドが少し引きつった笑顔で礼を言った。

 そのことに若いメイドの頬が赤くなる。このメイドは始めて見る顔だが、可愛らしく器量もよさそうだ。こういう子がルドの隣に並ぶべきなんだ。

 そうクリスは考えながらも、心のどこかでトゲが刺さったような痛みを感じていた。いや、気のせいだ。気のせい。


 自分に暗示をかけているクリスを内心を悟ったのか、セルシティが口角を上げて挑発するように声をかける。


「どうした? 絵は見ないのか? それとも他に気になることがあるか?」


 嫌味を含んだような声に、クリスが眉間にシワをよせて答える。


「さっさと絵を見せろ」


 老齢の執事が恭しく布を取った。真っ白なキャンパスに赤や黄色などの絵の具を叩きつけたような、殴り描きに近い絵らしきものがある。正直、子どもの落書きの方がマシなレベルだ。


「……何を描いたんだ?」


 クリスの呟きに誰も答えられない。セルシティは絵と同封してあった手紙をクリスに渡した。


「ここに書いてあるんじゃないか?」


「そうだな」


 クリスが手紙を開けて中を読む。そこには治療の礼と体調は問題ないこと。そして、これが花の絵であることが書いてあった。


「花瓶に飾られた花を描いたそうだ」


「そう言われれば、花のようにも見えます……ね?」


 ルドのフォローに誰も何も言わない。クリスは老齢の執事に声をかけた。


「後で屋敷に届けてくれ」


「かしこましました」


 老齢の執事が絵を布で包んで下がる。


「なかなか独創的な絵でしたね」


 ルドがクリスに笑いかけながら紅茶を飲む。


「そうだな」


 クリスが紅茶を飲もうとしたところでルドが止めた。


「この紅茶は、この方が師匠の好みの味だと思います」


 ルドが砂糖をスプーンに半分とミルクを足す。クリスはルドが作ったミルクティーを一口飲んで頷いた。


 しっかりとした茶葉の味は紅茶としては一級品である。しかし、味が主張しすぎている上に、雑味もある。そこをミルクがまろやかにして、砂糖が絶妙な甘さで雑味を隠し、飲みやすくしている。


「ちょうどいいな」


「よかったです」


 二人のやり取りと眺めながらセルシティが紅茶を口にする。


「確かに濃いね。でも、これなら砂糖は足さなくてもミルクだけで十分だと思うけど」


 老齢の執事がさり気なくセルシティの紅茶にミルクを足す。


「師匠はほんのりとした甘みがあるほうが好きなんですよ」


「ほう? よく知ってるな」


 セルシティが紫の瞳を細めてクリスを見る。クリスは気まずそうに顔を逸らしながら言った。


「犬が勝手に覚えているだけだ。私はなにも教えてない」


「へぇ?」


 クリスが横目でセルシティを見る。


「なんだ?」


「別に?」


 ニコニコとしているセルシティをなぜか殴りたい気分になったクリスは、手が出る前に帰ることにした。


「行くぞ」


 クリスが立ちあがる。当然のようにルドも立ち上がったが、そこに可愛らしい声が飛んできた。

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