第2話 それは、小さなおせっかいでした

 クリスが客室のドアの前で聞き耳を立てていると、不安そうな男の子の声がした。


「やっぱり、返そうよ」


 気が強そうな少女の声がなだめるように説得する。


「大丈夫よ、隠すだけだから。見つけられなかったら、返すわ」


「でも……」


「大事な物はなくなって気付くのよ。でも、本当になくなってからだと遅いでしょ? だから、早く気づいてもらうためにしてるの」


「んー、よく分かんない」


 クリスが音をたてずにドアを開ける。すると、そこには赤茶色の髪をした四歳ぐらいの男の子と、長いこげ茶の髪を一つに編み込んだ十歳ぐらいの少女がいた。


 二人は部屋に入ってきたクリスに気付くことなく会話を続ける。


「ナタリオのお母さんだって、クリス様にもっと幸せになってほしいって言ってるでしょ?」


「うん」


「そのために、これは必要なことなの」


「でも、ビアンカ姉ちゃん……」


 ナタリオが言いかけてクリスに気付く。ビクリと肩を震わせて顔を青くした。その様子にビアンカが振り返る。そしてクリスの顔を見ると、咄嗟に引きつった笑顔を浮かべた。


「ク、クリス様。お、おはよう、ございます」


「おはよう。ナタリオ、ビアンカ。さあ、その手に持っている物を返してもらおうか」


 クリスが手を出す。ビアンカは観念したようにネックレスをクリスの手に返した。


「……はい。ごめんなさい」


 クリスが魔宝石を確認する。傷もなく、魔力が漏れた様子もない。真っ赤に輝く姿はルドの髪を思い出す。

 クリスは大事そうに握りしめながら、二人に訊ねた。


「それにしても、どうやってネックレスを取ったんだ? 気が付かなかったぞ」


 てっきり怒られると思っていたビアンカは拍子抜けした顔になる。代わりにナタリオが自慢げに言った。


「オレの魔法を使ったんだ!」


「ちょっ、ナタリオ!」


 止めようとするビアンカをクリスが制する。


「へぇ、どんな魔法だ?」


「なりたいものになる魔法! なりたいものを考えると、フワァーとなって、なりたいものになっているんだ!」


「それで鳥になって、このネックレスを持っていったのか?」


「そう!」


 自分が魔法を使えたことをナタリオは誇らしげにしている。実際、魔法が使えるのは一種の才能であり、ナタリオが胸を張るのも分かる。


 クリスはネックレスを首につけようとして、鎖が切れていることに気が付いた。


「無理やり外そうとしたみたいだな」


「あの……それは、ごめんなさい。うまく外せなくて……でも、ビアンカ姉ちゃんが早くしろって言うから……」


「ちょっと、私のせいにしないでよ!」


「言ったじゃないか!」


 半泣きになりながら怒るナタリオの頭にクリスが手をのせる。


「これは簡単に直せるから気にするな。それより、さっき言ってた魔法だが、誰かに教えてもらったのか?」


「本で読んだ」


「その本はどこにあった?」


「えっとぉ、本がたくさんある部屋」


「……たぶん書庫だな。その本には赤いテープが貼ってなかったか?」


「んー、覚えてない」


「そうか」


 クリスは顎に手を当てて考えたあと、しゃがんでナタリオと視線を合わせた。


「ナタリオ、その魔法はあまりよくない魔法なんだ。何度も使っていると体に戻れなくなる」


「戻れなくなる?」


 よく分かっていないナタリオに、クリスが説明をする。


「難しくて分からないかもしれないが……体に戻れなくなったら、そのまま消えてしまうんだ。お母さんに会えなくなるし、みんなとも遊べなくなる」


「ヤダ!」


 ナタリオの反応にクリスがニヤリと笑う。


「菓子も食べれなくなるぞ。そうなったらナタリオの菓子は、みんなにあげるかな」


「ダメ! オレ、魔法使わないから!」


 クリスは立ちあがりながら、ナタリオの頭をクシャクシャと撫でた。


「その年で魔法が使えるのは、才能がある証拠だ。ファニーに正しい魔法の使い方を学ぶといい。私からも言っておく」


「……魔法を使ってもいいの?」


「さっきの魔法はダメだぞ。ファニーから習った魔法なら使ってもいい」


「やった!」


 喜ぶナタリオをビアンカが呆れたように見ている。


「男の子って単純よね」


「ビアンカ」


 クリスに名前を呼ばれてビアンカの体が固まる。年齢的にも叱られることが分かっているのだろう。ギュッと目を閉じて小さくなっている。

 クリスは軽くビアンカの頭に手をのせた。


「もう、こういう事はするなよ」


「え?」


 ビアンカが恐る恐る目を開けると、クリスはポンポンと頭を撫でて手を離した。


「あ、あの、怒らないのですか?」


 クリスが口角を上げる。


「私が怒らなくても、後でモリスとファニーからの説教がある」


「あ……」


 ビアンカの顔が真っ青になった。


「ご飯は食べたのか? まだなら、早くしないとなくなるぞ」


「食べる! なくなるのヤダ!」


 ナタリオが走って部屋から出て行く。


「あ、待って!」


 ビアンカが慌てて追いかける。そんな二人をクリスは肩をすくめながら見送った。




 切れた鎖を別の物と交換したクリスは、食堂へ移動した。ドアを開けると、香ばしいベーコンを焼いた匂いと、爽やかな柑橘の香りが漂ってくる。

 クリスが席に座ると、赤茶色の髪のメイドがスープとパンを運んできた。


「今朝はナタリオが失礼しました」


「いや、気にするな。それにしても、おまえの子だけあって魔法の才能があるな、カルラ」


「いたずらっ子で手をやいております」


 カルラが茶色の目を伏せながらスープをクリスの前に置く。


「ですが……あの時、クリス様に拾われていなければ、ナタリオは生まれていなかったかもしれません。もし生まれていても、ここまで成長できていたか……それに、私もどうなっていたか……」


「ナタリオは何歳だ?」


 カルラが顔を上げて微笑む。


「四歳になりました」


「ということは、あれから五年近くになるのか。月日が経つのは早いな」


「はい」


 クリスがテーブルに置いてあるパンに手を伸ばす。カルラはキッチンへ下がり、焼けたベーコンと卵を持って来た。


「だが、ナタリオが使っていた魔法は危険だ。あの魔法は二度と使わないように注意しとけ」


「どのような魔法ですか?」


 カルラがテーブルにベーコンと卵を並べる。クリスは手早く食べながら説明をした。


「体から意識を抜き出して自由に移動する魔法だが、下手をすると体に戻れなくなり、最悪の場合は死ぬ」


「そのような魔法があるのですか!?」


「あぁ。どうやらシェットランド領の屋敷の図書室から送られてきた本の中に入っていたようだ。見つけて送り返さないといけない」


「探しておきます」


 頭を下げたラミラにクリスが頷く。


「頼む。目印として赤いテープが貼ってある」


「わかりました」


 ラミラが紅茶を注いだカップを差し出す。さっさと食べ終えたクリスは紅茶を飲んで一息ついた。ほどよい紅茶の温かさが朝から緊張していた精神を解す。


「今日は朝から騒がしかったからな。あとは治療院研究所で静かに過ごすか」


「そのことですが……」


 言いにくそうなカルラの様子に、クリスは嫌な予感がした。


「なんだ?」


「先ほどセルシティ第三皇子より連絡がありまして、今から城へ参上するように、とのことでした」


 クリスの顔が明らかに不機嫌になる。セルシティに関わることは大抵ロクでもない。むしろ、こちらが困る様子を楽しんでいる感がある。


 クリスは諦め半分で、椅子から立ち上がりながら訊ねた。


「用件は?」


「見せたいものがあるそうです。あと犬とは一緒に来ないように、ということでした」


 クリスの動きがピクリと止まる。が、すぐに動きだした。


「またロクでもないことを考えているんだろうな」


「クリス様」


 いつも明るいカルラが神妙な顔をしている。


「どうした?」


「私たちはみな、クリス様に救われました。子どもたちのやり方は、よろしくありませんでしたが、私たちはクリス様の幸せを願っております」


「私は不幸せではないぞ」


「クリス様」


 カルラは咎めるように声を低くする。


「そろそろ、ご自分の気持ちから目を逸らすのは、お止めになったほうが、よろしいかと思います」


「なんのことだ?」


「犬との関係です」


「今のままで問題ない」


「ですが……」


 クリスは深くため息を吐いた。


「何度も言っているが、あいつの隣には可愛らしい女性が並ぶべきなんだ。魔宝石これはその女性が現れるまで預かっているだけだ」


「……では、なぜそのように苦しそうな顔をされているのですか?」


 クリスが思わず息をのむ。


「以前は同じことを言われても、そのような顔はされていませんでしたよ?」


「……そうか」


 これ以上話すことはない、とクリスはカルラに背を向けて食堂を後にした。


 静かな廊下に足音がやけに響く。歩いた先にある屋敷のドアの前でカリストが控えていた。

 近くにきたクリスに、カリストが畳んだ白い布を差し出す。


「どうぞ」


 クリスは差し出された白いストラを受け取り、首にかけた。ストラの色は治療師の位を表すもので、白は最高位となる。それは、クリスの誇りであり、努力の証でもあった。


 ドアを開けると、眩しすぎる日差しが目に刺し込んできた。爽やかな朝なのだが、何故かイライラする。


「お気を付けて」


 頭を下げたカリストに見送られ、クリスは馬車に乗り込んだ。座席に座ったクリスが窓に写った深緑の瞳に呟く。


「このままでいい。今のままでいい。これ以上、求めたらいけない。私は……」


 それはまるで自分に言い聞かせる呪文のようであった。

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