ツンデレ治療師は軽やかに弟子と踊る(タイトル詐欺)~周りは二人をくっつけたい~
禅
第1話 それは、朝方に見た夢でした
夏空のような青いカーテンの隙間から、穏やかな朝日が差し込む。いつも寝起きが悪いこの屋敷の若き主は、まだベッドの住人だった。
上質な絹糸で作られたシーツの上には長い金髪が散らばり、薄い布団は女性らしい豊満な体躯を浮かび上がらせている。
規則正しい寝息とともに、主は朝の至福の一時である微睡みを堪能していた。
ぼんやりとした夢の中。
長い一房の赤い髪が目の前で揺れている。たくましい腕が差し出され、追って顔を上げると琥珀の瞳が微笑んでいた。
毎日見ている顔なのに、胸がドキリと跳ねる。嬉しいはずなのに、なぜか泣きたくなる。こんな感情、知りたくなかった。
でも、夢の中ぐらいなら……
そっと手を伸ばして、大きな手に触れる。ゴツゴツとしていながらも、指が長く綺麗な形をした手。
大きさを確認しながら、手を顔に近づける。そして、手の甲に頬を添え、その温もりを直に感じた。
これは、夢だから出来ること……
そこで、意識が現実に引っ張られた。
首元でゴソゴソと動く感じがする。寝ぼけながら首元を触ると、そこにあるはずの物がなかった。
「ないっ!?」
いつもなら執事が起こしにくるまで起きない主が飛び起きる。爆発した金髪もそのままに、慌てて周囲を見回す。
すると、サイドテーブルに止まっている一羽の白い小鳥と目があった。そのくちばしには、赤い宝石が付いたネックレスがある。
「それを返せ!」
主が小鳥を捕まえようと手を伸ばす。しかし、小鳥は手をすり抜けるように飛び立った。
「なっ!? 待て!」
小鳥を追いかけてベッドから飛び降る。そこにノックの音が響いた。
「おはようございます」
毎日の日課である目覚めの紅茶を持った執事がドアを開ける。この国では珍しい黒髪、黒瞳を持つ美麗な執事が一歩部屋に入ってきた。
そこに小鳥が執事の頭にちょこんと乗る。そして、主の方を向くと、ネックレスを見せつけ小馬鹿にするように小首を傾げた。
「この! 動くなよ!」
命令すると同時に、主が執事に飛びかかる。だが、執事は軽く主を避けると、室内を歩いてテーブルに紅茶セットを置いた。その間に、小鳥がネックレスを咥えたまま飛び去る。
「待て!」
長い金髪を爆発させたまま、部屋から飛び出そうとする主の首根っこを執事が掴む。
「最低限の身だしなみは整えてください」
「だが!」
そんな余裕はない、と訴える主を黙らせるように、執事が懐から鼈甲の櫛を取り出した。
「屋敷内とはいえ、その髪で走りまわるのは、よろしくありませんよ」
「いや、だが、アレが……」
「屋敷内の結界からは出れません」
「……わかった」
主が諦めたようにポスンとベッドに腰かけるが、落ち着かないようで、どこかソワソワしている。
執事はいつも通り丁寧に紅茶をカップに注ぐ。だが、それが主には焦れったかった。湯気とともに、部屋に爽やかなオレンジの匂いが充満するが、それを堪能する余裕などない。
「茶はいいから、早くしろ」
「急いでも好転するとは限りませんよ。むしろ余裕をなくして失敗するかもしれません」
執事に出された紅茶を主は奪うように受けとり、口をつける。
初摘みの紅茶の軽やかな渋みが舌に広がり、それを追いかけるように柑橘系の爽やかな風味が鼻に抜けていく。温かい紅茶が寝起きの体に染み込む……が、そんな余韻を堪能している場合ではない。
ソワソワからイライラに感情が変わりつつある主を眺めながら、執事は鼈甲の櫛で金髪を梳かし始めた。櫛が通った後の髪が、金色から茶色へと変化する。
そもそも金髪、緑目という外見は〝神に棄てられた一族〟の象徴であり、災いをもたらす者として、世間から疎まれている存在であった。そのため、こうして外見を変えるところから、若き主の一日は始まる。
無論、屋敷内の使用人はこのことを知っているが、どこに他人の目があるか分からないので、なるべく見られないほうが良い。
全ての髪が茶色になったところで主は振り返り、空になった紅茶のカップを執事に押し付けた。
「これでいいだろ!」
「着替えもお忘れなきように、クリス様」
「わかった!」
早く出て行けと視線で訴えるクリスに対して、執事のカリストはワザとらしく優雅に一礼をしてから退室した。
焦っているクリスは、立ち上がりながら服を脱ぎ、カリストがベッドの上に準備していた服を手に取った。
まずは男装をするため、邪魔な胸と細い腰を隠す補正下着を装着しなければならない。補正下着は体型に合わせた物で、紐やらホックやら色々付いていて装着がややこしい。
しかし、これもクリスにとっては毎日のことなので慣れている……はずなのだが、今日はひどく煩わしかった。
「もっと簡単に付けられるように改良するか」
クリスはシャツを着ると、その上から黒い詰め襟の服を羽織った。この服を着ていれば一目で治療師だと分かる。
「まったく面倒だ」
クリスが文句を言いながらも男装をしているのは、この国の制度が原因だった。
この国は男尊女卑が強く、女は家庭にいることが常識であり、女は魔法が使えないという認識だ。
そのため、魔法を使う治療師の仕事をしているクリスは、男装をして男名を名乗っている。クリスの本当の性別を知っているのは、ごく身近な者しかいない。
クリスは長い茶髪を一つにまとめながら部屋を飛び出した。
「結界があるから、屋敷の外には出れないはずだ。魔力を追えば……」
クリスが感覚を研ぎ澄ます。なにもない空中に煙のような赤い線が浮かび上がった。
「こっちか!」
クリスが赤い線を追って廊下を駆け出す。
ふよふよと浮かんだ赤い線は廊下を抜けて階段を下り、一階の廊下へと続いている。赤い線に導かれるように走っていると、洗濯部屋の前で途切れた。
「この中か!」
クリスが勢いよくドアをあける。すると、クリスの殺気だった気配を感じていたメイドは、クリスの突然の登場に驚くことなく挨拶をした。
「あら、クリス様。おはようございます。どうかされましたか?」
茶色の髪を一つにまとめたメイドのラミラにクリスが訊ねる。
「小さな白い鳥を見なかったか?」
洗濯物の仕分けをしていたラミラは手を止めて考えた。
「……いえ、見かけておりませんが」
「そうか」
クリスが室内を飛び回った跡がある赤い線を追っていく。
「その鳥がどうかしましたか?」
「あ、いや……なんでもない」
珍しく歯切れが悪いクリスの答えに、ラミラの気配が一変する。青い瞳は獲物を刈る鷹の目になり、周囲を警戒しながら太ももに隠している魔法銃へ手を伸ばした。
「侵入者ですか?」
ラミラは狙撃手として随一の腕を持つ。メイドでありながらも戦闘、護衛としての役割も大きい。
が、今はその能力を発揮する場面ではない。
「大丈夫だ。なんでもない」
事を荒立てたくないクリスは、逃げるように洗濯部屋から出て行った。
「ランドリーシューターを通って逃げたか」
屋敷内の洗濯物を効率的に集めるために、ランドリーシューターがある。それは細い通路で、屋敷中の要所に張り巡っていた。
「仕方ない」
クリスは深緑の目を閉じると、探し物の魔力を深く意識した。ネックレスの先についている赤い魔
魔力が宿る石は通常、魔
そんな魔宝石を高貴な家柄では、ピアスやネックレスという形にして、生まれた子に贈る風習がある。そして常に身に付けていた魔宝石は持ち主の魔力を宿し、いざという時には物理的にも経済的にも持ち主を守る手段となる。
そして、魔宝石をピアスにしている場合は、片割れを伴侶に贈ることが多い。
魔宝石の位置を確認したクリスがゆっくりと目を開ける。
「だから、あれほどいらないと言ったのに」
クリスは今朝見た夢を思い出した。
この魔宝石の持ち主であり、夢に出てきた赤髪の青年、ルドの姿が脳裏に浮かぶ。
燃えるような赤髪を全体的に短く切っているが、襟足だけは長く伸ばしている。意思の強い琥珀の瞳に、精悍な顔立ち。着痩せしているが筋肉もしっかり付いている。
性格は明るく、礼儀正しい好青年だが、一直線で融通がきかないこともある。
ルドは神の加護があるにも関わらず、治療魔法が使えなかった。そのため、クリスから神の加護がなくても治療ができる魔法を学んでいる。
そこからクリスを師匠と呼んで慕っているのだが、その言動が忠犬っぽく、たまに犬耳と尻尾の幻覚が見えるほどだ。
その様子を見た屋敷の使用人たちは、ルドを犬と呼んでいる。
そんなルドは、自分がいない時でもクリスを守れるように、と自分の魔宝石のピアスの片方を渡した。当然、クリスは受け取りを拒否したが、最後には押し負けた。
しかし、そこですんなりと受けとるクリスではない。
“ルドに大切な人が現れるまで預かる”という条件をつけたのだ。あくまで“預かり物”とクリスは主張し続けている。
その結果、クリスは魔宝石をネックレスにして、常に肌身離さず身に付けるようになった。
「預かり物を失くすわけには、いかないからな」
自分に言い聞かせるように呟くと、クリスは再び走り出した。屋敷の二階へ上がり、普段は使わない客室の前で足を止める。
「ここか」
これだけ近づけば分かる。確かに魔宝石はこの部屋の中にある。
確信したクリスは客室のドアの前に立ち、そっと中の様子を伺う。人の気配があり、話し声が微かに聞こえてきた。
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