過去からの追撃 その9
皇紀835年干月5日
拓洋市西塞区 神聖王国連合租界
連合租界のほぼ中心部。神聖王国連合高等弁務官事務所の真ん前に、この街が出来た当時からある古い教会がある。
連合加盟の国々が国教とする『真教』でも、もっとも厳格とされる『清貧派』の教会、聖スフィスフォフ教会だ。
清貧の名にふさわしい小さい教会だが、重厚な石造りでまるで掩蔽壕を思わせる。実際、この辺りに住んでいた真教の信徒が帝国の弾圧を受けた際、此処に立てこもり帝国軍と一戦交えたという話もある。
中に入ると、小さな窓から入る陽光と歴史を感じさせる調度品、そして空間の最も奥に飾られた、死にゆく預言者とそれを抱きかかえる聖母の像が、荘厳な雰囲気を演出している。
講堂に並べられた椅子には租界の住人が無言で座り、説教を聞いていた。
講壇に立っているのは、粗末な法衣を着た60代位の神父。後退した頭。立派な鼻に七割がた白くなった口ひげ。全体的に柔和な雰囲気を醸し出してはいるが、教会に入って来た俺の姿を認めた丸眼鏡の下の視線は、その真逆の印象を与える。これは過去にかなりの人間を殺して来た奴の目だ。
説教は真教の聖典第57章の辺りで、人の憎悪に如何に向き合うかを預言者が弟子たちに説いている場面だ。
「預言者は、聖典第57章第3節でこうおっしゃておられます『人の心にともった憎しみの焔は、やがて己のれの身も焼き尽くす。それのみならず心から漏れ出しやがてこの世界全てを焼き尽くす』私たちは、そのことを良く知っているはずです。先の大戦は、まさに人の心から漏れた憎悪が、世界を焼き尽くそうとした戦いなのです」
神父は聖典を閉じ「では今日は此処までにしましょう。皆さんの御身に、神のご加護が今日もあらんことを」と毎度の締めの言葉を信徒たちに掛けた。
全員が席を立ち、がらんとした講堂の空いた椅子に座って、自分の肩に掛けていた袈裟を取り、口づけして講壇に残したあと、俺の方へ神父はまっすぐ向かって来た。
「おやおや、あなたでも神に祈りを捧げたくなる時があるんですか?」
にこやかに微笑みながら言う神父に。
「他所の国の神様に用事はありませんよ、あっちも忙しいでしょうし。私が用があるのは貴方ですよ、ウイレム神父」
この男、一応は清貧派の正式な神父であるが、もう一つの顔を持っている。
真教教皇直属の諜報謀略組織『教皇庁情報局第13課』通称『ヴァスカービル機関』の南方大陸方面総責任者。
「ぼう。ではどのようなご用事ですかな?私でよければ何なりとお聞きしましょう」
ウイレム神父は俺の真横の席に座ると、説教の時と何ら変わらない穏やかな口調で話しかけて来た。
よっとしたら昨日の夜。これと同じような調子で、連合に仇を成す輩を神の御許に送るよう手下に指示していたかもしれない。
「すこしご教授いただけますか?『雲霧林の戦鬼』と呼ばれた種族について、かつて私の様に多くの原住民部隊を率い密林や砂漠、高原で戦い、彼らを深く知る為に民族学の博士号まで取ったあなたなら、何かご存じではないかと」
神父は意味ありげな含み笑いを漏らして。
「『雲霧林の戦鬼』とは、懐かしい名を久々に聞きましたな」
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