1-3
「そ、そういうことは本当に……よくないことだから、やめとけって……」
不良たちはナイフよりも鋭い目つきを雅志に向ける。きっと美少女に格好つけていると思われているのだろうが、そんなつもりはこれっぽっちもない。これ以上自分らのような被害者が生まれてほしくないという、ただそれだけの想いなのに。
被害者は涙目で自分に縋りかけたが、その目の色を見る限り、頼りにされていないことはすぐにわかった。
ただ一人柵にもたれて、自分だけが無関係と言わんばかりにスマートフォンを弄っていたオリヒメが、この場の誰よりも冷たくて鋭い瞳を雅志に示し、
「なんだ、またイジメられに来たんだ」
――――それからはオリヒメの成すがままだった。反撃を試みようにもやはりかすり傷一つ付けられず、最終的に雅志は派手に倒れ込む。いいように殴られる自分を、固唾を呑んで見ている笹山の顔が揺らぐ視界には映った。その憐みの視線が胸を突き刺す。殴られる以上に痛い。
一人の女子すら助けられない自分が、泣きたくなるくらいにただただ情けなかった。
それでも、
「さっきから私のケータイをジロジロして……キモイんだけど」
雅志の目つきを嫌がったオリヒメは、手にしている携帯電話を胸に寄せて隠す。
「お前さ、いつも何て言ってるんだ?」
「……?」
「いや、いつもボソッと口走ってるから」
ビクリと、長くて綺麗な金髪が揺れたのを、雅志は確かに見逃さなかった。
「……、それのおかげで見下せれて、嬉しいのかよ? ズルしてイカサマして勝った気でいるのは、弱いヤツのすることだ」
「……ッ、うっさい……なあ。負け犬の遠吠え、恥ずかしくないの? そうやってずっとワンワン吠えてれば? 何もできない役立たずのヒーロー気取りが」
目尻を吊り上げ、あからさまに機嫌を悪くしたオリヒメは、雅志へそれ以上の制裁を加えることなく引き返していった。意外な反応を示したオリヒメを取り巻きたちが慌てて追いかけてゆく。笹山も反応に困った様子のまま、「ごめんなさい」とだけ言い残して屋上を去っていく。
「…………」
立ち上がらず、大の字に倒れたまま、雅志は大きく広がる青空を目に収める。雅志の気も知らないまま、雲がぷかぷかと空を泳いでいた。
そして彼女がやって来たのは、オリヒメたちとちょうどすれ違いの時だった。
「あら、派手にやられたようね」
コンクリートに背を付ける雅志を見下ろす形で、椎葉依桜はそこに立っている。陽射しが眩しく、その顔つきがほとんど伺えない。
「キミ、ミヤビって呼ばれてるんだ。『千石』って苗字に『まさし』って名前、『マサ』呼びされてる男子がクラスにいるから仕方なく『ミヤビ』、か。ふーん」
「何の用ですか、先輩。慰めなんかいらないっす」
「慰めにはならないけど、助けになるくらいはできるけど?」
依桜は下着が見えないようにしゃがむと、血の付いた雅志の顔を桃色のハンカチで拭う。傷口に布を当てる際は痛みを与えないよう、撫でるよう優しく丁寧に。
「汚いですよ」
「どうして? 汚いとは思わないけど」
「女子一人すら助けられないオレの血なんて……、拭く価値すらないですから……」
ふーん、とつまらなさそうに目を細めた依桜は、やれやれと大人びた息をついて、
「じゃあやーめっ」
一転して猫のように笑った依桜は、ハンカチをポケットに戻す。女子高生にしては大人っぽい容姿からは想像のし難い、飄々たる振る舞いに雅志は困惑するも、
「助けになる、ってどういう意味ですか? 先輩がオリヒメをぶちのめしてくれるってことですか?」
「そんなこと、私にできるはずないわよ。あんなにかわいい子を殴れっていうの? ムリムリ」
「じゃあ何だよっ!! 何もできねぇなら軽々しいこと口にすんなよっ!!」
思わず声を荒げた雅志は、先輩をきつく睨みつける。
依桜はふぅとため息をついて、腰をゆっくりと上げ、
「ひょっとしたら私が直接助けてあげられるのかもしれない。でも、それをやったらミヤビくんは一生後悔するかもしれないから」
「無責任にも程があるだろ、それ……。被害者はオレだけじゃないんだ、宮崎たちだってつらい思いをしてるんだ……。だからお願いします……っ、できるなら助けてください……っ」
「知ってる、無責任なことくらい。だってそもそも……、ううん。でもね、ミヤビくんを助けてあげるヒントはあげられるから。ね、聞くだけ聞いてみない?」
「ヒント?」
すると依桜は、右の手に収めるスマートフォンを雅志に見えるよう示した。そして彼女は何の予告もなく、口を開けて次の言葉を呟く。
「――――《タイムストップ》」
だが、それでも目立った変化は生じていない。……いや、一つの違和に雅志は気づいた。
「えっ!?」
彼女の右手にあるはずのスマートフォンが、いつの間にか左手に収まっているのだ。
「まず一つめ、オリヒメは《
「時間を……操作? は、何だよ……、それ」
信じられないと言わんばかりに目を見開き、そう口にするも、心の中では腑に落ちていた。あの瞬間、オリヒメは必ず呟く。今、依桜がそうしたように。
って、ちょっと待てよ! と、雅志は飛び上がる勢いで上体を起こし、
「先輩、今フェンリルって言いませんでした!?」
「ふふ、メールを送ったのはこの私よ。見た限り、まだアプリは起動していないみたいね」
「どこでオレのメルアドを知って……!? って、そもそもどうして……オレに?」
「それはね、対等にしてあげたいから、よ。今のキミはオリヒメと対等じゃない。絶対にバレないイカサマで一方的に勝つ様を見させられるのはこちらとしても心証が悪いものね」
再度膝を折った依桜は、雅志のポケットの膨らみに指を差して、
「フェンリルがあれば今を変えられる。このアプリはただのお遊戯じゃない、ひょっとすると運命すらも変えるチカラが秘められてるから」
「運命を、変える?」
ふっと脳裏によぎった、メールのあの一文――Distiny can be changed by
《Fenrir2》。
依桜は口元を綻ばせ、けれども黒々とした瞳には確かな意志を灯して、
「壊してみようよ、ツマンナイ未来を。教えてあげない? キミの強さをあのオリヒメにね。後悔する前に運命を自分で変えてやろうじゃない?」
雅志を見つめ、彼女は言い切る。迷いの一つすらなく、見事に。
「オレだって壊したいさ、こんな
拳を握りしめ、崩れかけていた目元に力を入れ、雅志は喉から声を絞り出した。
「覚悟は決まったみたいね。ただ、アプリの起動前に一つだけ忠告をするわ」
雅志の注目を集めた依桜はスマートフォンの画面、狼のような獣を模った《Fenrir2》のアイコンを示して、
「さっきも言ったように、このアプリただのゲームじゃない。場合によっては現実に対して取り返しのつかないことをしてくれることだってある。使い方次第では他人を、自分をも壊すことだってありえるわ。それでも、大丈夫?」
ゴクリと、雅志は生唾を喉に通した。
今さら脅しなんてかけるなよ――、雅志は苦虫を噛みつぶしたように顔を歪ませた。他人も自分も壊す可能性を言われたら、それは怖気づくに決まっている。
でも。
でも、それでも変えたい! あいつらの奴隷になるのは、もうゴメンだから!
「オレ、決めました。今を……変えたいです!」
雅志の決意を見届けた依桜は「よし」と喜びを顔に浮かべて呟き、彼女は自身のスマートフォン、《Fenrir2》のアイコンをタップしたのだ。
――――すると、変化は唐突に訪れる。
キィィン!! という音が耳を刺激するや否や、ガラスに亀裂が入り、それが割れて崩壊するように周りにある光景が次々と崩れ、代わりに夕日とも違う赤く塗られた世界が現れた。
「なっ、ここは……?」
この場を構築するもの自体は何ら変わらない。ただし、校外の道路を走る自動車はどれもが例外なく完全に停止していた。別に赤信号を待っているわけではない。まるで世界そのものが凍りついたかのように、自動車に限らずすべてが静止をしているのだ。
雅志の驚愕を前に依桜は、クスリと口元を緩めてこう告げる。
「――――ようこそ、
狭間に存在するこの世界で時の支配権を得るために、七つのゲームを舞台にプレイヤーたちは日々戦いを繰り広げているわ」
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