戦いが終わって
――――白神朧を発端とした《Fenrir2》を巡る騒動から、早一か月が経とうとしていた。
(あれから現実世界に戻ると、自宅で遺体として発見された椎葉依桜が周りで話題になった)
内情を知らない者であれば、同級生ないし先輩・後輩の突然死は驚くべき事柄であろう。クラスメイトが涙を流して依桜の机に白い花を添えているシーンが、今でも雅志の瞳には鮮明に浮かぶ。
また、その折にたまたますれ違ったオリヒメの、
「ただ2年先延ばしになった、それだけのことだから」
そっけなくそう口にし、そのまま先を進んでゆくオリヒメは、いったい何を胸の内に秘めていたのだろうか。少なくとも、からっぽであるようには見えなかった。
彼女の言葉もまた、雅志の心には残り続けている。
(オレは本当の椎葉さんのことはよく知らないから、あの人の死に実感が湧かない)
そう、雅志の知っている彼女は、タイムリープ中に見たほんの少しの面だけ。
だから彼はただ、2年前に命を絶った椎葉依桜のご冥福を祈ることにした。
授業を終え、雅志は下校のために校門を通りかかると、
「こんにちは、ミヤビくん。ごめんね、いろいろ忙しくて時間が経っちゃって」
他校の制服を着用する女子高生が校門の傍に立ち、雅志に笑いかける。その姿と出会うのはかれこれ2年ぶりか。
「あ、渋谷さん、こんにちは。は、はじめまして……でいいのかな?」
歳の近い女子と話すことに慣れていない雅志。依桜のような委員長タイプとも違う、栗色の髪、開いた胸元のボタン、太ももの覗く短いチェック柄のスカートという、あの妹ともまた違う今時の女子高生スタイルを前に、雅志は思わず声が上ずってしまう。
前とは違ってメガネを掛けている彼女はちょこんと首を傾げ、んー? と雅志を覗き込み、
「はじめまして、なんて言う間柄? 前に接してたカンジで構わないのに。それにさん付けじゃなくて渋谷先輩って呼んでくれると嬉しいな。何なら呼び捨てでもいいよ?」
「先輩、近いですって!」
「おお、照れてる? イオイオ姿の前だとテンパらなかったのに? あは、そんな反応されるとちょっぴり嬉しくなるかも」
えへへ、と彼女――渋谷咲理は飾りなく笑う。
あの椎葉依桜に入ってた中身と本当に同一人物か!? と疑ってしまうも、非常にキュートな笑顔を前に雅志は頬を染め、髪を掻きつつ明後日の方向へ目を逸らして、
「あれ、メガネなんて掛けてましたっけ?」
「ん、これ? ヒメがケアのためにどうしてもメガネを掛けなきゃいけないみたいだから、だったら私も一緒にって。どう、知的なカンジがして似合うでしょ?」
左目の視力を失ったオリヒメ。角膜の障害と診断された彼女は、亡き依桜から貰い受けた角膜の移植手術を受けていたのだ(本来角膜は非常に貴重なもので、移植は順番を待たなければならないが、依桜の遺言を理由に、オリヒメに角膜が優先的に提供された経緯がある)。
「先輩、会ったらまずはこれを返そうと思って」
そう言って雅志が取り出したのは、あの時に渡された時計柄の髪飾りだった。
「やっぱり先輩がこれを持つべきかなって、先輩たちの過去を見てそう思いました」
ほーんと髪飾りを見た咲理は、やがてうんと頷いて、
「そうだね、ミヤビくんならお守りがなくても強いもん。私ってもう運命から逃げられないんだ……って思ったからあの時あげたんだけど。それに……そっか、依桜の遺品だもんね。私が依桜だったことを忘れないためにも、私が持っておくよ。大切にしてくれててありがとう」
彼女は右の側頭部に髪飾りを付ける。思っているよりもずっと似合っていた。
「で、そういえば先輩、ここに来た理由って?」
「そうそう。メールでもお礼はしたけど、やっぱりミヤビくんには直接お礼がしたくて」
そうして咲理は深々と頭を下げて、
「遅くなってごめんだけど、私たちのためにありがとうございました。それと多大なご迷惑をかけて本当に申し訳ございませんでした」
「い、いえ、そんな……謝らなくても。オレがやりたくてやった……ことですから」
あなたにもう一度会いたかったから、あなたに認めてほしかったから、とは流石に言えなかった。けど、別にそれで構わないと、雅志はそう考えている。
ただ、こうして顔を合わせられることが何よりも嬉しいから。
「ミヤビくんの活躍を直接は見られなかったけど……、でもね」
割り切っていた雅志を余所に、咲理は真っすぐな想いを彼にこう伝える。
「勇敢に戦ったミヤビくんは、サイコーにカッコよかったと思うよ!」
「渋谷先輩……」
嘘も思惑も一切ない、混じり気のない無垢な想いを前に、雅志は目を丸くして咲理を見る。そして思った、この人のために勇気を出して心からよかったと。
「ミヤビくん、顔が赤いよー? あれれ、何を考えてるの?」
「な、何でもないですっ。その、褒められることってあまりないですから!」
「褒められたいならいくらでも褒めてあげるのに。えらいね、ミヤビくんって」
「いいですってば! 用事が済んだならオレは帰りますっ」
戸惑いと照れ隠しで咲理から身体ごと顔を背けかけるが、その時、
「お、来た来たっ」
咲理は雅志の後ろにひょいと関心を示した。釣られて雅志も振り向けば、金髪の女子同級生がこちらまで歩んで来ている。退院してから初めて見た彼女は、やはりメガネを掛けていた。
無論、咲理と一緒にいる雅志を面白くなさそうにムッと睨んで、
「姉ちゃん、こいついらない。ほら、あっち行け」
来るや否や咲理の腕に密着し、対照的に雅志に対しては右の頬を膨らませるオリヒメ。
「オレだって一緒にいたくないし。顔も見たくない」
こちらも負けじとしかめっ面でそっぽを向く雅志。
「ハァ? もういっぺん言ってみなよ」
「お前のことを許したわけじゃないから。偉そうなこと言うなよ、この金髪不良女」
こうして悪口の応酬が雅志、オリヒメの間で繰り広げられる。
一方の咲理はぷんぷんと頬を膨らませ、むすぅと腕組みで、
「こら、仲良くしろとは言わないけど会って早々ケンカしないの。私は二人に用があってここに来たんだから」
姉に叱られて押し黙るオリヒメ、用とは何かと興味を持つ雅志に咲理は、
「今週の土曜日、行きたい所があるんだけど。私と一緒に来てくれるかな?」
――――そして土曜日。
電車に揺られながら雅志、オリヒメの間に座る咲理は、両隣の二人にあの日以降の白神朧について語り始める。
「白神お兄さんは今回こそ撤退してくれたけど、また何か企む可能性は十分ありえるよ。だからあの人の動向には注意しないとね。こないだは『トリガーハッピー』で解決できたからいいけど、次は何かしらの対策をしてくるはずだろうし」
「聞けばフェンリルの管理人は他にも六人いるそうじゃないですか。そっちにも気を配ったほうがいいんですか?」
「お兄さんの動向を見るうえでも、その六人にも注意はしたほうがいいのかもね。よっぽどのことがない限り問題ないとは思うけど」
そう話しながら全身を使ってオリヒメの腕を抱く咲理は、餌付けのごとく妹にチョコレート菓子を与えている。
もぐもぐチョコレートを頬張るオリヒメは、咲理が掴む菓子袋に手を入れて、
「はい、姉ちゃんもあーん」
姉の口にもチョコレートを与え、咲理もまたおいしそうに菓子を口にする。
「う~ん、このチョコ大好きっ。帰りも買おうね、ヒメ」
「うん、買お。あ、千石にはあげないから」
「………………」
密着度の高い姉妹のやり取りを、何とも言えない複雑な表情で見る雅志。世の姉妹ってみんなこんな感じなのか? とでも言いたげに。
「あ、シスコン姉妹って思ったでしょ? 顔でバレバレですー。別にいいもーんだ」
「いや、それ以上の関係じゃないですか……?」
咲理はオリヒメをさらに抱き寄せて、金髪を大事に撫でながら、
「あの時はヒメを蹴ったり撃ったりしてごめんね。痛かったでしょ? 姉ちゃんもすごく胸が痛かった。戦わずにずーっとぎゅーってしてあげたかったもんっ。もう、ヒメかわいすぎ!」
「仮面の姉ちゃんもクールでカッコよかったよ。あんな姉ちゃんも好き。あ、それと……、この金髪ってどう? 似合ってないなら……黒に戻すけど?」
「ううん、金もすっごくキュートだから。一段とヒメがかわいくなってる」
「ありがと。姉ちゃんの髪型もオシャレで好き」
見てるこっちが恥ずかしくなってくる……、そんな顔色で雅志は他人の振りをした。……が、やはり隣の密着をチラチラと一瞥し、
「やっぱりくっつきすぎですって。周りから疑われますよ?」
「だってヒメかわいいんだもんっ。しばらくできなかったヒメ成分の補充をしないとっ」
「見世物じゃないから。キモイ視線で見ないでくれる? 姉ちゃんがかわいそうだからやめて」
仕舞にはオリヒメから除け者扱いされた雅志は、渋々と命令に了承したのであった。
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