5-6

 直観が警告する中、咲理は光の行方を追いつつ引き金を引くと、地中から生えた手の形をした土塊が【時の番人】を鷲掴みにするも、咲理は滅多にしない舌打ちを密かに鳴らし、


(もう、こんな時に『サンドハンド』を引くなんてっ。【時の番人】を掴んだところで意味ないし……!)


 中級土属性術の『サンドハンド』は束縛用としての能力だが、今は【時の番人】を拘束したところで意味は薄い。あの流星群から身を守ることを最優先しなければならないこの状況、


「くっ、もう!」


 今にも降り注ごうとする光を避けられないと踏んだ咲理は、とにかく身を低く沈めた。両手を後頭部に回し、できるだけ的を小さくするように。

 そして次の瞬間、爆音のような衝突音が咲理の鼓膜を激しく叩く。地面は揺さぶられ、土塊や建物の破片が咲理に次々とヒットする中、彼女は密かに顔を上げた。


 ――――気づいた時には、光の鞭が咲理の真上で蛇のように撓っていた。


「あ――……っ、」


 息の漏れと同時に、上空からの第二の光が咲理の横で降り落ちる。抉れる地面、および派生した衝撃波が咲理の身を無防備に宙に浮かして、鞭の撓りを一身に受け止めた。


「……っ」


 カァッと目を開き、口からは鮮血を吐き出して、彼女は何度も地面を転がった。勢いは衰えず、無残に散らばる瓦礫に衝突することでやっと身体は留まる。

 全身に激痛が走る。焼けるような痛みだ。今にも気を失ってしまいそうになる。


「ううううッ、まだまだぁ……ッ」


 それでも咲理は地に手を付き、体勢が整わないまま引き金を引く。そしたら目の前に人型の逞しい炎精霊が現れ、【時の番人】を含む辺り一帯に灼熱の炎――『悪魔の息吹デビルズクリムゾン』を吐き出す。オリヒメの『灼恋の星姫オリオンガール』をも凌駕する、上級炎属性術に分類される能力だ。


「はぁ……うぐっ!」


 炎精霊が召喚されている間、咲理は建築物に手を付き、逃げるように移動する。時には痛みに止まりかけ、足を引きずりながらでも。


(ここで留まるのはマズイ……。標的にされちゃう……)


 炎を吐きながらもすでに消え始めていた炎精霊を見やり、咲理は【時の番人】に銃口を向けて、精霊の消失と同時に引き金を引いた。直後、雨と暴風――中級水属性術『水精霊の暴雨アクアストーム』が周囲に吹き荒れる。


「ヴァアアアアアアアアアア!」


 一段と大きな【時の番人】の叫びが響き渡った。


(高温状態から急激に冷やされればたまったものじゃないでしょ)


 咲理はさらに引き金に指を掛けるが、急に膝が崩れ、


(キツイの食らっちゃったし……、やば、動けない)


 数十秒後に暴風雨は収まった。やられる……、咲理は覚悟した。だが、何も起きない。なぜか【時の番人】は咲理に照準を合わせず、その場で呆然と立ち尽くしているのだ。


「……?」


 眉を顰めた咲理。もしや【時の番人】の完全体顕現を阻止できた? それとも覚醒のための準備を? ……が、残念ながら今の様子とこれまでの経緯を鑑みれば、


(ちょっと、まだ……なの?)


 先ほどまで【時の番人】側から放たれていた光が、今度はあらゆる方面から【時の番人】へと光が吸い寄せられていく。それは最も恐れていた事態の予兆であろう。


時計盤の世界タイムダイヤルに滞在するプレイヤーのエネルギーが吸い寄せられてる? 顕現を阻止さえすればエネルギーは戻るかもしれないけど、完全体にされたらもうおしまい……かな)


 阻止とはいえ、はたしてどれだけのダメージを与えればいいのだろうか。咲理が何発か銃弾を放ってみても、【時の番人】が崩れる様子は一向に見られない。


「あいつの思いどおりになんか……させないっ。絶対にさせないんだからあぁ……っ」


 振り絞って声に出し、咲理は自らを鼓舞する。妹は絶対に守り通すと誓ったのだから。

 けれども、【時の番人】は背中の翼を羽ばたかせる。爆風は咲理の身体を木の葉のように吹き飛ばした。空を舞う彼女の身体は受け身の間もなく地面を跳ねた。


(あ……、まずい)


 掠れた目ではピクリと動く指先こそ見えるも、その感覚がほとんどない。口の中は血の味がいっぱいに広がっている。


「ね、姉ちゃん……、大丈夫……?」


 声がした。寝返りをすれば、同じくボロボロの妹が這いながら手を差し伸べてきたのだ。その健気な姿に咲理の涙腺は緩みかけるも、その手を確かに取った。薄い感覚の中でも、伝う温もりが心地よい。


「大丈夫……って強がってみたいけど、ご覧の有様。『水精霊の浄化アクアクリーン』でも引かない限り、もうまともに戦えないかも」

「そんな……」


 悲しげに目を伏せるオリヒメに、咲理は精彩を欠いた動きながらも金髪に手をやり、撫でるように髪に触れ、


「でもね、安心して。私にだって隠してた手がある。それはね、発動確率こそ低いんだけど――――――」


 目を細めた咲理は、傍に転がる白銀の拳銃をしっとり見つめ、『トリガーハッピー』に秘められしαという名の力を口にする。


「けどそんな低確率を引くなんて……、どうやって?」

「覚えてる? ヒメが事故に遭った時にかけてあげた、幸運のおまじない。あれはね、実は迷信でも何でもなくて、古典理論を応用させたおまじないだったんだ」

「おまじない……。うん、覚えてる」

「幸運のおまじない、って言えば……もうわかるよね?」

「……つまり姉ちゃんの策って、おまじないでもたらす幸運の力でその能力を発動させるってこと?」


 咲理は頷いてみせる。

 だが、


「ダメ!!」


 甲高く放たれた否定と妹の怖い顔が、咲理の目に怯えという色をつけた。


「ヒメ……?」


 オリヒメは拳銃を押さえて、


「そのおまじない、都合よすぎない? 言って、本当のこと。私、薄々だけど気づいてるから」


 ピクッと、咲理の肩が震える。見透かされたと勘づいたから。

 これ以上の嘘は見破られる、そう思えたからか、咲理は肩の力を自然に緩めた。


「古典理論に触れて知ったんだけど、この世界ってあらゆることが等価で成り立ってるんだって。運も例外じゃなくて、一人に定められた運の分だけその人には不運が与えられる」

「やっぱり、それってつまり……」

「そう。神様から分けてもらった運の見返りも、いずれ与えられることになる」

「見返り……。てことは姉ちゃん、まさか……、やっぱり……」


 妹の言わんとしていること、咲理はすぐにわかった。

 このおまじないは、運を操作する古典理論の一つだ。幸運は運の前借と同意であり、その逆も然り。幸運は他者に分け与えることもできるし、他者の幸運も貰い受けることができる。ただしその場合、等価の不運も誰かが貰い受けなければこの法則は成り立たない。


 ――――かつて、咲理は自らの幸運を妹に分け与えた。だからその分の不運を、咲理は背負うことになった。


 でも、それが真実だとしても、咲理はううんと首を振る。血が付着した妹の唇に指を乗せ、ウインクのように片目を瞑り、


「でもね、それは言わない約束。私は後悔してないし、ヒメを恨んだりはしてないよ」


 ――――ひょっとすれば椎葉依桜と関わり、それがきっかけで白神朧に利用され、【時の番人】に身体を奪われたという、これまでに咲理が辿った運命はそれで説明がつくことなのかもしれない。


 けど、だからって妹は絶対に恨まない。大切な、心から大切な妹だから。

 もちろん、依桜だって恨まない。経緯はどうあれ、自分を友達と呼んでくれたから。


「ヒメには幸せに生きてほしい。それだけ」


 もしそれが叶うのならば、不運でも喜んで受け止めようが構わない――――……。


「バカ!!」


 感情的な声が、崩壊しかけた世界の中でこだました。


「え?」


 咲理は泣きそうな顔つきで恐る恐る妹を見たら、妹は目を赤くさせ、震える眉間にシワを寄せて、切れ長の目尻には涙を溜めていた。こんな表情カオをする彼女は滅多に見たことがない。


「そんなことされて嬉しいと思うの!? 姉ちゃんが犠牲になって私が幸せに生きられると思うの!? ねえったら、答えてよバカ!!」

「…………」


 嗚咽の混じった声に、咲理の胸がキリリと締めつけられる。【時の番人】から受けた傷よりも、何よりもそれは苦しい痛み。

 どうして……? 疑問に思った咲理だけれども、彼女は考えてみる。妹の想い、それをひっくるめて経験してきたことを。

 やがて、咲理は首を振って否定の素振りを示し、


「嬉しく……ないよね。うん、嬉しくないに決まってる。逆に、もしヒメがそんなことしたら……、私は……やだ。ヒメの左目が見えなくなったのも……やだもん」


 どうしてこんなこともわからなかったのかな、――咲理は自分に問いかけた。椎葉依桜として生きる間も妹のことは欠かさずに見てきたのに。渋谷咲理じぶんのいない世界で、この子はどんな顔をしていた? そんなの言うまでもない。


「姉ちゃん」


 姉の手を取るオリヒメ。強く握られた手、確かな熱が咲理に伝わる。


「私もいる。私だって力になれる」


 姉の不運は、妹の不運そのもの。

 逆も然り。


「ありがと、ヒメ。わかった、幸運も不運も二人で受け止めよっか」


 二人は頷いて、そうして互いが互いの力を借り、両者は立ち上がる。

 おまじないの前に、咲理は一度目を瞑った。瞑ったら、ふっと浮かべた一つの願いを心の中で描く。――どうか神様、私たちに幸せを分け与えてください、と。


 そうしてゆっくりと目を開けたら、妹の右手を自らの指と丁寧に絡ませる。優しい力で妹を引き寄せ、額と額を、たとえば羽根と羽根が重なるように触れ合わせて。


「これはとても優しい魔法。心の中で幸せを思い描いて、温もりで胸をいっぱいにして。そしたらきっと、私たちに素敵な幸運が舞い降りてくるはずだから」

「うん」


 咲理は自分が望む、いろいろある幸せの形を一つずつ思い浮かべた。中には人に話せない幸せの形も。


 だけど。


 最後は、目の前にいる人のことをやっぱり浮かべた。

 もう、離したりなんかしない。二度と、絶対に。

 それはきっと、彼女もそう思ってくれているはず。

 右手は繋いだまま、咲理は左手で担う拳銃をオリヒメに差し出す。


「ヒメ、手を添えて」


 言われたとおりにオリヒメはグリップを握り、姉の人差し指に触れる形でしなやかな指を引き金に宛がう。

 咲理が先導し、銃口の照準をあの【時の番人】へと仕向けた姉妹。


「ねえ、ヒメ」


 クスッと妹に、こんな時だというのに咲理は微笑んだ。


「私たちで終わりにしようか」

「うん。姉ちゃんと、私で。嬉しい、私」


 オリヒメもまた、不器用ながらも笑みという表情で姉に返した。

 二人に合図はない。

 けれども、引き金は二人一緒に引かれる。


 すべてを終わらせる希望の光、――――『永遠たる希望の光エターナルプラズマティックエンド』は姉妹の手によって放たれた。

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