5-3

 【時の番人】を止めるため、オリヒメが夜風を切るように駆ける最中、声にならない声がこの摩天楼の世界にこだました。


「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 地響きのような唸りと同時に閃光が噴水のように放たれ、嵐のような風が吹き荒れる。思わず立ち往生するも、崩れかけた体勢を戻したオリヒメは、光の中心へと再び走り出す。


 そして、


「あれが、……」


 隕石の落下のごとく生じたクレーターのような窪みが広範囲に渡ってつくられており、その中央、人の形をしたシルエットをオリヒメの瞳は捉えた。


「あの【時の番人】、なの?」


 ――――そう、不完全ながらもこの世界へと顕現された【時の番人】が、そこにはいた。


 彼女は時を司る神。だが、オリヒメが知る少女姿ではなく、時計盤の女神タイムガーディアンに近い成人の女性姿だ。それに神らしいあの佇まいとはかけ離れた、憐れもなく悶え苦しむ様相で暴れている。


(とにかくあれを止めないと。そのためには、まずは……けれど)


 止められる気がしない。いくら自我が崩壊しているとはいえ、強力な力を無闇に放つ時の神をはたして一個人で止められるか?


(こういう時、千石ならどうする? どうしようもないピンチでもあいつなら考えて、考えて打破しようとするはず。……いや)


 オリヒメは自らに待ったをかけた。ふっと、心の中で自嘲気味に笑う。


(私は千石じゃない。考えるタイプじゃないし、簡単にマネはできない。私には私なりに培ってきたスタイルがあるから。ただ……、あの諦めの悪さだけはマネしてあげる!)


 オリヒメは指を弾き、手元に小さな炎を灯す。未だ風は吹き荒れるも、朧との対峙時に比べれば落ち着いている。彼女は風の流れを音で読み、炎を瞬時に膨張させ、【時の番人】へと一直線に解き放った。轟!! と唸る炎は、尾に引いた紅い残像とともに夜の中を燃え進む。


「アアアアアアアア、ヴヴヴヴヴヴヴヴうヴヴヴヴ!!」


 しかし【時の番人】は腕を振るって光の鞭を乱暴ながらも操り、容易く炎をかき消した。


(意識ははっきりしてなくても危険は察知できる? となれば厄介か)


 こめかみにシワを寄せたオリヒメは、難しい顔つきで唇に親指を宛がう。

 と、その時、【時の番人】はオリヒメの方を向き、糸状の光を束ねた太い光線を彼女へと放った。しかし自我が定まっていないせいか、光線はオリヒメの遥か真上を直進するも、それは高さのある建造物を派手に破壊し、結果的にオリヒメの下へ瓦礫の雨が降り落ちる。


「痛っ……」


 片目のみでは遠近感が掴めず、本来ならば避けきれるはずの瓦礫も、いくつか身体に当たってしまう。


 敵の自我がない以上、一か所に留まるよりも動いたほうが有利と判断したオリヒメは、クレーターの縁を駆けながら、瓦礫の音を利用して生成した炎を【時の番人】に隙なく放った。燃え盛る紅蓮の輝きは光の渦すらも食わんばかりに、凹みの中心に立つ【時の番人】を呑み込む。


「やった……?」


 だが炎上の中でも、気味の悪い輝きは保たれ続けていた。ゼロではないはずだが、与えられたダメージは、見る限りでは些末だろう。


(炎だけじゃ無理があるか。焼きながら斬るのが最善だろうけど、あれに近づくためには……)


 オリヒメは変わらずクレーターの縁を走りながら、あらゆる角度から辛抱強く炎を浴びせ続ける。逆に【時の番人】から光線が連射されるも、定まらない狙い、かつ動き続けるオリヒメには全く当たらない。やがて、【時の番人】はけたたましい唸りを上げた。


(理解できてないでしょ、誰から、どこから炎を食らってるのかって。一人だけじゃない、二人も三人も、いやそれ以上の人数を相手にしてる錯覚のはず。混乱してるでしょ、間違いなく)


 ならばその混乱に見舞われている状態が最大の隙――、チャンスだ。


「ハァッ!」


 足を止めたオリヒメ。見定める先はただ一つ、【時の番人】の背。

 オリヒメは坂になった足場を颯爽と下り、


(密集する光さえ躱せれば!)


 糸状の光がうねり伸びる中、オリヒメは柔軟かつ素早い動きで【時の番人】に直前まで迫る。そしてがら空きの背を二度三度と剣で斬りつけ、かつ足を踏み鳴らし、【時の番人】を足元から焼き上げた。上空へ巨大な火柱が昇ってゆく。


 だがしかし、


「しまっ――――」


 火柱が消えてもなお、【時の番人】が健在なのはオリヒメの誤算だった。そうして【時の番人】が振り向きざまに撓らせた光の鞭が、オリヒメの身を鋭く打ちつける。


(そんな……っ)


 強烈な威力を前に骨がミシリと鈍い音を上げ、オリヒメを数メートルに渡って吹き飛ばす。


「ぐっ、が! ああ! あっ」


 肉体は骨ごとキリキリと軋み、制服は地面に擦れて数か所が破れる。あまりの痛みに呼吸すらままならず、口からは鮮血を吐き出し、悶絶を堪えようと必死に奥歯を噛み締める。


(ダメージは与えたはず……なのにッ。まだまだ……なの!?)


 ぼやけた視界には【時の番人】が映り、立ち上がろうと地面に手を付くも、肩に、腕に力が伝わらない。さらには崩壊した建築物の瓦礫が、膝を突くオリヒメに降りかかる。


「ああああぐうぅ!!」


 焼けるような痛みに見舞われつつ、オリヒメはふらつきながら辛うじて瓦礫を避ける。意識を保つことに精一杯の中、手中の炎を的に投げつけるも、思うようなダメージはやはり与えられない。足元がおぼつかない彼女は瓦礫に足を引っかけ、転ぶように再び崩れてしまう。


「……はぁ、ぐぅぅ!」


 激痛からか、オリヒメの目尻に涙が浮く。対照的に【時の番人】は崩れず、自我のないまま不規則に光を撒き散らしている。


(あッ……意識が……やばい……)


 熱を伴う痛みが、彼女の意識をジワリと奪い始める。


 でも。


(だからって……、だれが諦めるかっつーの! まだ……、まだだから!)


 たとえ相手が誰であろうと、状況はどうであろうと、弱さを晒すわけにはもういかない。自分と約束したのだから、弱さとの決別は。


(姉ちゃんに……余計な心配は掛けさせたくないっ。だから立て、私! ――――立て!!)


 だから、オリヒメは痛みを堪えて足腰に力を込めた。


「ぐう! ううぅううあああ!!」


 剣を地に突き立て、限界のところで意識を保ち、オリヒメは膝を伸ばして、時にはふらつきながらも立ち上がる。振り撒かれる抉れた土を焼き払い、千鳥足で前に進み、そして前方へ倒れながら剣を【時の番人】へ突き刺した。


 だが、それでも――……。


「……あっ」


 鞭が、身体が泳ぐオリヒメを強襲した。衝撃を受けた身はクレーター外へと派手に打ちつけられる。土ぼこりが煙のように舞う中、肺の空気が鮮血とともにすべて口から吐き出された。

 力なく崩れるオリヒメ。視界が掠れゆく間際、彼女は火柱の中の【時の番人】を瞳に収める。やはり倒れてはくれないが、対峙時に比べれば動きは鈍くなっていた。


 こうして彼女は眠るように横たわる。手足にはわずかながら力が入り、感覚も残されてはいるが、流石に剣を振るうことは不可能だと、オリヒメは察してしまった。


(あぁ……、もう終わり、かな? 立ってよ、私……。少しでもいいから、長く……)


 視線の先では【時の番人】が胸元に光を溜めている。目線をこちらへと仕向けて。自我が戻りかけたのか、完全に敵と見做されたのであろう。どうやら時の神を怒らせてしまった。


 オリヒメは目線を変え、遥か上空を見上げる。この摩天楼の青白いネオンに負けないくらい、懸命に星々が輝いている。こんな時だというのに、大切な人のことを儚くも考えてしまった。


「神様でも……誰でも……いいから……、お願い。どうか咲理姉ちゃんと……一度でいいから……逢わせてよっ」


 雨のせいで一年に一度の楽しみを奪われてしまった織姫が愛しの彦星に逢いたいとせがむように、彼女は天に乞う。


 そして。


 ――――オリヒメが願いを連想したその時、光の矢が【時の番人】から放たれた。

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