5章 〈タイム・ゲーム〉

5-1

「二度目だね、キミと会うのは」


 猛烈な風をものともせずに伝う音色は、宝石のように美しく響きのよい少年の声――――。それは過去の時間軸で耳にした、忘れもしない男の声に他ならなかった。


「白神……朧!?」


 狼の毛色を連想させる銀の髪と、雪のように白い肌はこの闇夜の下でもくっきりと際立ち、艶めかしいまでに美しい透き通った顔立ちは、たとえ敵対する立場であるはずの雅志の目すらも惹きつける。年齢は雅志に比べてやや上か。けれども淡然たる所作、閑かな風情は高校生からかけ離れている。

 彼は映画の鑑賞のように、摩天楼という器の中で渦巻く光の洪水を見つめながら、


「会うのは2年ぶりだ。ああ、千石くんにしてみればついさっきの出来事か。どうだった、タイムリープは? 楽しかったかな?」


 そうして彼は雅志に視線を移す。顔立ちだけではなく、女性と見間違えてしまうほどに華奢な身体つきをネオンに際立たせて。


「改めて自己紹介をしようか。僕は白神朧、この《Fenrri2》を立ち上げた一人、つまりゲームの管理者だ。専門は魔術で、主に〈マイナス・ゲーム〉の管理をさせてもらっているよ」


 雅志は朧への警戒を続けながら、腕の中で眠るオリヒメを静かに路面へ下ろし、


「自己紹介はいい。それよりあの光は何なんだよっ? あんたの目論みに関係してるのかっ? 時計盤の世界タイムダイヤルに手を加えたのも渋谷さんを巻き込んだのも、全部思いどおりってことなのか!」


 風が吹き荒れる状況下においても、朧は涼しい顔つきで白いメンズシャツを靡かせ、


「あれが真の【時の番人】だよ、まさしく時を司る神だ。とはいえ、まだ完全体ではないけどね。もう少々の時間が必要だね」

「真の……【時の番人】? いったい、何を言って……?」

「いいよ。時間稼ぎがてら、僕の目的も交えて詳しいことを教えてあげようか」


 朧は素っ気なく、画に描いたように単調な笑みを漂わせ、時の神へ意味深に視線を投げる。


「僕はね、自分が何のために生きているのかを知りたいんだ」

「……?」


 泡沫のように儚く、それでいて優しげな目配せを雅志へ示した朧は、


「見た目こそ若いけど、これでもかれこれ千年は生きているんだ。14歳のころには魔術を極めて、それ以降は魔術を駆使して死を回避してきた。理由はね、死が何よりも怖かったからさ」


 彼は包み隠さず、怖いと口にしてみせる。


「ただそれだけの理由で僕は生きてきた、恐怖から逃げるために。でもね、不思議なことに死の恐怖は徐々に薄らいでいったんだ」

「生きることに未練がなくなった、とでも?」

「そうかもしれないけど、自分でもわからない。そう、今の自分がどうして生きているのかわからないんだ。だから僕はそれを知りたいのさ」


「目的はわかった。だったら白神朧、あんたは今から何を企んでるんだ、答えろ」

「話は前後するけど、キミは【時の番人】をご存じだよね。あの可憐な少女の姿をした、けれどとても人間とは呼べない心を持つ時の神を」


 雅志は褐色肌をしたあの少女を頭に浮かべる。朧の言うとおり見かけこそ可愛らしいが、その実、人とは呼べないあの概念。


「おそらくキミは彼女を見て、心の隅で疑問に思ったはずだ、どうして少女の姿なのだろう、とね。それには答えがあって、あれは力を抑制していることに他ならないんだ」

「つまり【時の番人】が持つ本来の力は、あの姿では発揮されない?」

「正解、世界への影響を鑑みてね。でもそれだと、僕が欲しい神の知識量には到底届かないのさ。ここまで言えば僕の目論みはわかるよね?」


 雅志だってバカじゃない。朧の言わんとしていることはすでに理解した。


「本来の力を取り戻した【時の番人】から生きる目的を訊き出すこと、それが目論みか」


 朧は肯定する。


「時の神を呼ぶための材料として、フェンリルのシステムを司る【時の神の憑代】を用意した。ちょうどこんな人形に憑代のエネルギーをコピーしてね。憑代の憑代で神を招くんだよ」


 こんなにも緊迫した場面だというのに、変わらぬ飄々とした声の調子、マイペースな身持ちのまま、彼は掌サイズの藁人形を見せる。模様のない、ただの藁人形だ。


「でも、それだけで完全体の【時の番人】を顕現できるとは思えない……。嫌な予感がする」

「察しがいいね。そう、それだけでは神は呼び出せない。さあ、ヒントをあげるよ。どうして時計盤の世界タイムダイヤルは閉じられている? 言い変えれば、どうして僕はこの世界を閉じた?」

「まさか……」


 現実世界から隔離されたこの時計盤の世界タイムダイヤルには何千というプレイヤーが存在する。つまり、


時計盤の世界タイムダイヤル内は大量のエネルギーに満ち溢れていることだよね。そうだよ、何千という命は【時の番人】を召喚するためにあるんだ」


 直観的に「ありえない」と、雅志は思った。たかが一個人の生きる目的を知りたいという願望のために、ここまでのことを計画する人間が存在することに。


(なんだよ、こいつ)


 悪、とでは言い切れない概念。現に朧を見る限りでは、悪気など一切感じさせない。

 あくまで自分が有利な立場でいることを自覚しているように、朧はくすっと微笑み、


「とはいえ、あれは召喚しただけでまだ完全体ではないよ。まだ準備が必要だ。ま、邪魔をしたかったらどうぞ。ただ、僕にも抵抗させもらう権利がある。もちろん、正々堂々とフェンリルの力だけで足掻くから安心してね。条項は守るよ、フェアにいこうか」


 そして彼はこう続ける、――魔術は【時の番人】の完全なる顕現のために利用させてもらうから、と。


 すると朧の足下に半径一メートル弱の魔方陣が現れた。さらに彼の周りには十数人のプレイヤーたちが浮き上がるように、瞬く間に姿を見せたのだ。全員、瞳に生気がない。

 すると朧は忘れていたと言わんばかりに、「ああ、」と簡素な前置きを口にし、


「言い忘れてたけど、最後の材料に顕現の安定剤となる『時の真実と証明』を知る渋谷さんも僕は手に入れた。妹を殺すって脅したらね、これまた簡単に協力してくれたんだ」


 嘲笑でもなく、朧は真顔で告げる。それに反し、雅志は強気に眉を上げ、


「テメェ、人の想いを食い物にしやがって……ッ!」

「それはお互い様さ。お互いの利益のために僕と渋谷さんは協力したんだよ」

「何もかもお前が悪いクセに……っ」


 雅志が感情的に語尾を荒げてそう吐けば、その神経を逆撫でするように朧は口元を綻ばせ、


「友達想いの、妹想いの渋谷さんは使い勝手のいい最高の駒だよ。彼女のおかげで僕の計画は順調に事が運んでいったんだ。本当に渋谷さんの優しさには感謝し切れてもし切れないよ」


 プチンと、雅志の中で何かが切れた。視界が瞬く間に真っ赤に染まり、


「その言葉、撤回しろよクソ野郎――――――ッ!!!!」


 雅志は考えもせずに朧へと殴りかかった。考えも作戦も何もかも頭になく、ただ感情的に一歩を強く、強く踏み出した。しかしその時、出鼻を挫くタイミングで数多のトランプが前方から彼へと飛来する。さらには矢継ぎ早に迫る攻撃を前に立ち往生してしまい、敵を見定める余裕を失いかける。辛うじて能力をコピーして反撃を試みるも、その反抗から守るように人形を覆うようシールドが展開され、かつ雅志の攻撃はことごとくシールドに反射されてしまう。雅志は反射される攻撃を低い体勢で掻い潜りながらシールドへと近づいてゆくが、意識になかった横からのトランプが脇腹に刺さり、足をよろめかせ、


(何やってるんだオレ! 感情的になるな、頭を冷やせ! チッ、にしても数が多すぎる!)


 前方を警戒し間を置こうとすれば、背後の人形たちとの距離が詰まる。それは左右も同じ。

 成す術もなく、あっという間に絶体絶命へと追いやられた雅志。


(白神朧も全く止められてないのに! クソ、どうする? どうする……っ?)


 苦虫を噛み潰したような顔で思考を巡らせるも、操り人形たちに待ったはない。彼ら、彼女らはトドメのごとく各々の能力を一斉に雅志へと解き放った。


「くぅっ……」


 どうすることもできない雅志は、強く目を瞑るしかない。正真正銘、終わりだ。


 だが――――、


(あれ……?)


 数秒が経てども痛みはない。恐る恐る目を開けてみれば、なぜか身体は無傷のままだった。おかしい、防御能力など有していないのに。


「――――ここで終わるわけにはいかないから」


 女の声がした。それもよく知る、つい先日までは憎たらしいほどに嫌っていたあの声が。けれども悔しいが、今はただ期待を覚えてしまった凛とした声。

 艶のある金髪を風に靡かせ、屹然と背を見せるその姿。燃えては儚く消えゆく炎が、彼女の周りを泳ぐように彩る。


 『灼恋の星姫オリオンガール』の二つ名を持つ少女――オリヒメが、剣を構えて敵の前に立ち上がっていた。

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