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 咲理が白神朧に声を掛けられた日から、早二週間が経過した。


(うっはー、気分サイコー! 今日は〈マイナス・ゲーム〉で一勝! 明日はちーちゃんとリカコ誘って〈プラス・ゲーム〉しよ!)


 《Fenrir2》で知り合った友からのメールが、すでに受信箱に数件届いている。


(白神お兄さんに誘わられた時はビックリしたけど、まさかこんなにハマるとは。サンキュ、お兄さん。それに時間操作だって……えへへ、選ばれた者だけが使える特権かも)


 テレビ、携帯、ボードゲームなど、あらゆるゲームとは一線を画したアプリケーションゲーム、《Fenrir2》。白神朧に誘われた際こそ乗り気でなかった咲理も、話半分で一度プレイしてみれば、いつの間にかゲームの虜になっていた。不慣れな環境、強力な反面使用し難い固有能力には四苦八苦しているが、それでも最近は順調に勝ちを得始めている。


 鼻歌混じりに咲理が帰路についていると、着信音が携帯電話から鳴る。誘いかな? そう期待して電話を取るも、電話主は《Fenrir2》のプレイヤー仲間からではなく、


「もしもしー、イオイオ?」

『もしもし。今ね、咲理が駅前にいるのをたまたま見ちゃって。そっちに行くね』

「お、偶然だね。うん、おいでおいで」


 咲理は待つ間もなく、手を振ってやって来る依桜を発見する。


「お待たせ、咲理。最近の放課後は一人が多くない? 今日も一人で帰ってたけど?」

「あ、うん……まあね」


 ばつが悪そうに目を逸らし、咲理ははぐらかす。


(言えるわけ……ないよね? フェンリルは面白いけど、内容的に過激なトコもあるし? それに……、)


 それに《Fenrir2》はただのゲームとは違う。数秒だが現実の時に関与する《タイムコール》という力が備わっている。いくら友達とはいえ、簡単に教えられるものではない。


 言い淀む咲理を見かねてか、依桜は結んだままの唇に薄い笑みを浮かべて、


「無理して言わなくてもいいよ。人には言えないことの一つや二つあるものね。私にだって秘密があるから。でも、ちゃんと宿題はや・ろ・う・ね? 最近の咲理、おサボり多いよ?」

「はーい、帰ったらすぐやるよ。そんじゃバイバイ、また明日ね」


 別れたのち、咲理は帰宅する。だが、彼女は気づいていなかった。


「…………」


 自身の後ろ姿を黙然と見つめる依桜のことなど。


 ――――事態が急変したのは、それから数日が経過したころだった。依桜の思わぬ一面を咲理は知ることになる。


 すっかり暗くなった時間帯、咲理は猫のストラップをいくつも垂らしたスクールバッグを肩に引っ提げ、


(よーし、今日もノルマの一勝! 明日もこの調子で頑張ろっと!)


 〈イコール・ゲーム〉での勝利の余韻に浸りながら一人帰宅していた、その時だった。


「おっ、あれは?」


 駅前で佇む一人の女子を咲理は発見する。間違いない、クラスメイトの依桜だ。

 咲理は驚かせてやろうとコソコソ依桜に近づいたが、彼女はピタリと足を止めた。依桜が一人の男性と落ち合ったからだ。見るからに同年代ではない、三十代から四十代の男。


(ん? 仕事帰りのお父さん……だよね?)


 しかし胸騒ぎが止まらない。だから咲理は依桜たちの後を追った。すると二人は近くのホテルへとそのまま入ってゆくのだ。中学生の咲理でさえ、そこへ男女で訪れる意味は知っている。


「……ちょ、うそ」


 咲理は棒立ちのまま、随分と離れたクラスメイトの姿を見送ることしかできなかった。



 翌日、放課後。


「あのさあ、ハナシがあるんだけど」


 咲理はバシンッ! と机に手を付いて依桜に迫った。周りの視線が少なからず二人に集まる。


「どうしたの、怖い顔して」

「どうしたもこうしたもないの。訊きたいことあるから、今から時間ちょうだい」

「……、わかったわ」


 そうして二人は生徒のいない、校舎奥にある教室に行くことにした。先に依桜が中に入り、カーテンを開けて差し込む夕日を浴びながら、校舎に囲まれる中庭をガラス越しに眺める。

 そんな依桜の背を前に、胸の高鳴りを押し込めた咲理は切り出した。


「昨日、依桜がおじさんとホテルに入ってくの、たまたま見ちゃった。あれ、誰なの?」


 おもむろに振り返る依桜。見られちゃったか……、そうとでも言いたげに目を瞑り、髪を巻くように彼女は首を振って、


「いいでしょ、誰だって。咲理には関係ないことだから」

「なに、その言い草っ。私は友達として心配して――……」


 だが、言葉が続かない。放課後、その友達よりもゲームを優先してきた自分が偉そうに語っていい資格など無いのだから。


「まだ……その、中学生なんだから……、お金欲しさで……そういうことするのは……よくないよ。こんなこと親が知ったら……悲しむって。私だって……やだから」


 しかし、依桜はきっぱりと否定する。


「ううん、お金欲しさなんかじゃないよ」


 そしたら彼女はあろうことか、自らが着るブレザーのボタンに手を掛け始めたのだ。第一ボタンを外し、第二、第三のボタンと、順を追って指を滑り込ませてゆく。


「……え、依桜!? ちょ、ちょっと! 依桜ってば!!」


 ブレザーだけに留まらない。ブラウスのボタンもすべて解き、さらにはスカートのチャックにも手を掛け、布音を立てて脚から引き抜く。あわわと咲理は戸惑うも、次第にその表情は驚愕へ変貌してゆき、


「あっ……あ……え? ……、え? うそ……」


 仕舞には下着姿になった依桜は、夕日を背後に、咲理にその身を示す。儚く口元を緩めて。


「――――このとおり。私ね、ボロボロなんだ。カラダもココロも、ぜーんぶ」


 胸やわき腹には所どころ赤黒いあざができ、両腕は数えきれないほどの切り傷が刻まれ、他にも打撲や火傷、縄の痕など、その身体の至る箇所に痛々しく生々しい傷ができていた。顔に一切の傷がないことが奇跡であり、逆にそれがある意味での不幸だと、はからずも咲理は思えてしまった。

 ショックのあまり、咲理は開いた口が塞がらない。


「さっき、親が心配するって咲理は言ったでしょ。でもね、お母さんは5年前に病死して、お父さんは……、お父さんがこの傷をつくってる人、だから」

「おとう……さん?」

「そう、お父さん。うまくいかないことがあるとね、すぐ私に構うんだ」

「…………」


 彼女の言うこと、すべてが嘘としか思えなかった。

 だって、彼女はいつでも明るく過ごしていたのだから。

 だって、咲理にも他のクラスメイトにも、気兼ねのない頼れる委員長としての振る舞いを見せていたのだから。


(そんな……ありえない、ありえないってば!)


 黙然と立ち尽くす咲理を前に、ボロボロの身体とは不釣り合いに優しく依桜は笑って、


「咲理も両親に迷惑をかけられたんだよね? ひょっとしたら私たち、似た者同士なのかな?」

「違うよ、一緒にしちゃダメ! 依桜のお父さんは、そんなのお父さんじゃないってば!」

「でもね、あの人は私にとっての、世界に一人だけのお父さんだから、やっぱり」


 父を肯定する依桜を、咲理はぶんぶんと首を振って懸命に否定した。でも、


「ねえ、咲理」


 ぽつりと寂しげな、または期待のような、それでいて縋るような声が咲理の意識を突く。


「こんな私だけど、友達でいてくれる?」


 けれども咲理の答えは――……、


「……ッ、ごめん!」


 無性に怖くなった咲理は、依桜の前から逃げるようにして教室を出ていった。


(やだ……、やだぁ)


 そのまま自宅に直行した咲理は部屋に籠ってベッドに潜り、強く目を瞑る。鮮明に脳裏によぎる傷だらけの依桜が、咲理の心に恐怖と後悔の二文字を交互に刻み込む。


「なんで逃げたんだろ……、私。依桜は……助けてほしかった……はずなのに」


 やがて落ち着きを取り戻し始めた咲理は、深呼吸を一度する。そして彼女は決心をし、


(明日、逃げたことちゃんと謝ろ。そんで、私にできることはやらないと)


 だけれども、その想いを果たすことは二度と叶わなかった。


「本当だったんだ……」


 翌日、教室に足を踏み入れた時、クラス中が悲しみの声に包まれていた。彼女の机の上には花瓶に差した白菊が添えられている。


 今朝見たSNSで知った、――――三年の椎葉依桜が自殺をしたという噂。


 涙する女子たちを無言で潜り抜けた咲理は、茫然とした面持ちで席に着いた。胸を埋めるのは友を失った悲しみばかりではなく、逃げ出し、苦しむ彼女を助けてあげられなかった自分自身への罪悪感。


(ごめんなさい、ごめんなさい……)


 着席した咲理に、クラスメイトは依桜のことを訊く。けれども彼女の耳には届かない。咲理はただ、自らの過ちを心中で責め続ける。


(私のせいだ、私が逃げたからだ……。私が……悪いんだ……)


 この時になって溢れる涙は最低の涙なのだと、咲理は悔やみ自嘲した。


「ごめんね……っ、ごめん……依桜っ」

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