4-5

 早退した次の日、咲理は久しぶりに学校を欠席した。自分を心配し、放課後家に来てくれた妹にも顔を合わせられないほどの精神状態だった。


「…………」


 何時間も毛布に包まっていると、一通のメールが携帯電話に届く。それは『ゆっくり休んで』という、シンプルながらも妹からの温かいメッセージ。


(ありがと、ヒメ)


 このまま篭ってばかりでは気が重いままだから、咲理は軽い外出を決めた。


(たしかここで依桜の秘密を知ったんだっけ。依桜、どんな思いしてたのかな、あの時)


 依桜を連想させる場所は避けていたつもりだけど、無意識に彼女を匂わす場所へと辿り着いてしまう。


『――――この髪飾りはね、運命に縛られないって意味を込めて私は付けてるんだ』


 つい二週間前、依桜が付ける時計を模した髪飾りが可愛くて訊いてみたら、彼女はそう答えた。針の止まった時計が、運命の束縛からの解放を意味しているらしい。ただの縁起かと思っていた当時の言葉が、今になっては頭から離れない。

 ふと、咲理はスマートフォンを取り、ホーム画面にある《Fenrir2》のアイコンを見つめて、


(時間は操作できても、たった数秒……。それで依桜は助けられない)


 結局、何もできない自分。それを改めて知る咲理は、人知れず電話を握り締める。


(私にできることがあれば……何でもするからっ)


 瞑った瞳から一筋の涙が零れた、その時。


「――――お友達は助けられるよ」


 どこからともなく聞こえた声。こんな時に誰? 咲理は声の出所に向くと、あの銀髪の少年を目にする。咲理自身、彼のことはよく覚えていた。


「約束どおり、また逢えたね。フェンリルには馴染めたかな?」


 名は白神朧。それ以外の詳細は不明だが、咲理に《Fenrir2》を教え与えた張本人。


「ねぇ、助けられるって言ったよね? 聞き違いじゃないよね?」

「そう、お友達の椎葉依桜さんは確かにキミの力で助けられる。僕はそう言ったよ」


 詳しく聞かせて! と咲理が飛びつく勢いでせがむと、


「椎葉さんの自殺という運命を、キミが過去にタイムリープすることで変えるんだ。あのアプリを知る渋谷さんなら信じられない話じゃない、だよね?」

「でもフェンリルで操れる時間なんて、せいぜい数秒程度じゃ……」

「違うね、使うのはアプリそのものじゃない。――――、彼だよ」


 朧は真っすぐ咲理へ、否――彼女の背後の先へと指を差す。


「あそこで僕たちを、まるで映画を鑑賞するかのように眺めているあの千石雅志くんは、この時代から見て未来人に当たる人間だよ」


       ◆


 確かに白神朧は自分――千石雅志に向けて指を差している。


(嘘だろ、どうしてオレを知ってる!?)


 朧の傍にいる咲理は、漠然と雅志を見つめて、


「未来……人?」

「そう、彼は今、『神の時渡りタイムトラベル』という力を使ってこの時間軸に来ている。だから彼の力を借りさえすれば、椎葉さんが生きている過去にタイムリープできるのさ」


 すると、咲理は雅志の下へ早足で歩み寄り、


「白神お兄さんの言ったこと、本当なの? ねぇ、ほんと?」

「いや、そ、それはその……」


 目を背けようとする、煮え切らない雅志の態度に、咲理はイラッと眉を曲げて、


「嘘か本当か、どっち!?」


 それでも誤魔化そうと顔を逸らす雅志の胸ぐらを強く掴み、咲理はもう一度彼に問う。


「ほ、本当……だよっ。だけど運命を変えるのは禁止されてるんだ!」

「禁止されてる? 詳しく話して」

「それは『時の真実と証明』って、説明が難しいけどそういう定理に反して――……」


 だが、朧の横槍によって雅志の言葉はタイミングよく遮られる。


「それはタイムリープを行使したくない口実だよ。彼にとって椎葉さんの死は求めるべき結果だからね」

「何だよそれ! というか、椎葉先輩が自殺してこっちがビックリしたくらいだ! オレたちの時代だと当たり前のようにに生きてるんだけど!」

「それはこれから起こす渋谷さんの功績に他ならない事実で、千石くんがこの時代にやって来た理由はそれを阻止するためだよね。僕は全部知っているよ」


 それを耳にした咲理の顔に、希望という名の光がわずかに灯ったのを雅志は見てしまったが、ひとまず彼は戯言を吐く朧へと迫り、


「なに勝手なことを言って……ぐっ」


 だがしかし、雅志の口から鈍い声が吐き出される。視線を下げれば、咲理の拳による一撃が腹部に入っていた。


「げほっ……、げほっ! ぐっふ! あ!!」


 それだけに留まらず、重い一撃が幾度ともなく雅志を痛めつける。


「やめっ! やめ!!」


 雅志は咲理を振り払おうと腰を捻るも、彼は咲理の顔、より正確に言えば彼女の瞳を見て気づいた。その色の異常に。


(目に……光がない? いや違う、まさか……操られてる!?)


 まるで催眠術を掛けられたかのように、瞳に生気がない。もしやと思い、雅志は近くで控えている朧を見れば、――白い少年はスマートフォンを片手に、


「なにもフェンリルの恩恵を受けているのはキミだけじゃないよ。フェンリル固有の力場、時界と言うんだけど、それを強く纏うキミの近くならね。僕の『甘い悪魔の囁きブラックエンジェルソング』も有効になる」

「くうぅ、何者だお前!?」

「それはすぐにわかるよ。けど、今は彼女を過去に連れて行ってあげてほしい。さもなくばキミを殺す」

「殺すだって!?」


 冗談かと思った。だが、白神朧の顔を見て、雅志の全身が思わず震えあがった。

 しかしこの騒動、周囲にざわつきが起きていてもおかしくないはずなのに、行き交う人々は決して彼らに注目を仕向けない。否――、人々は雅志を囲む形で静止し始めるのだ。


(周りは全部この男の操り人形ってことか!)


 雅志が咲理に抵抗を示す最中、朧の前に一人の少女――あの【時の番人】が現れた。時間にまつわる神であり、『時の真実と証明』に反した者を罰する存在である彼女。時に関与し、運命の変更を平然と企てる朧の前に【時の番人】が現れたのは当然と言えよう。


「白神朧、其方の行いは明確に『時の真実と証明』に反する。だから即座に――……」


 けれども、【時の番人】の忠告を耳にしようとも、朧の表情には焦りの欠片すら生じず、


「知っているよ、それくらい」


 そっけなく言うと、朧は一枚の札を少女に張り付けた。すると次の瞬間、少女は跡形もなく弾け、霧散する。それを間近で見た雅志は唖然と目を張った。

 これで邪魔者は消えた、そうとでも言いたげに、朧は爽やかに白い歯を覗かせて、


「さ、殺されたくなければ僕の言うとおりにしてほしいな。大丈夫、都合よく時を操作したところでキミが罰せられることはないよ。責任を負うのはすべて渋谷さんだから」


 咲理から浴びる鈍痛に喘ぐ中、雅志は意識を失う限界まで耐えた。絶対に利用されてたまるかという覚悟で。けど、朧が咲理にナイフを握らせているのを掠れる視界で見た彼は……、


「…………ッ! ……クソ!」



 結論から言えば、【椎葉依桜が自殺した世界】は【椎葉依桜が自殺しなかった世界】へと変わった。本来であればこの世に存在しないはずの彼女は、本日も当たり前のように学校へ通っている。それは無論、過去へと遡り運命を覆した渋谷咲理の功績に他ならない。


 だが、それゆえに――……。


「離してよぉ! 離してってばあ!!」


 決して許されない『時の真実と証明』に反した咲理を、【時の番人】は見過ごすはずなどない。


「渋谷咲理、其方の行いは人の生死を明確に変えてしまった。いくら利用されたからとはいえ、それはこの私が厳しく罰しなければなるまいのだ」


 漆黒の空間、赤く輝く魔方陣の上、――――【時の番人】と渋谷咲理は相対す。

 罪を背負った咲理は両手両足を鎖で縛りあげられ、すべての身動きを封じられていた。


「やだぁ……こうなるなんて……知らなかったよぉ……。許して……ください」

「無理だ、例外はない。椎葉依桜の運命を変えた代償として『渋谷咲理』は肉体を含め、私が没収する。なぁに、死を迎えるまでこの暗闇で過ごすだけだ。拷問のような苦しみはない」

「……っ」


 言葉を失った咲理。溢れる涙が、両頬を静かに伝う。


「それに残酷だが結論を言うと、椎葉依桜は直に死ぬ。本来の死とは形こそ違うが一度死を迎えた以上、彼女は14歳と9か月で命を失うという運命からは逃れられないのだよ」


 息を呑む咲理の頭に【時の番人】は掌をかざした。その拍子、依桜がこれから迎えるであろう未来が咲理の脳裏に流れる。それは父親の過度な暴力を受けた末の薄情な結末。そして同時に、言葉では到底表すことのできない時の定理――『時の真実と証明』が脳内に流れ込む。


「そんなっ。どうして……、運命って……何なの?」


 力なく、咲理は呟く。だけれども、その疑問に【時の番人】は触れることなく、


「さあ、罰を受け入れてもらうぞ」


 【時の番人】が咲理に向けて掌を広げ、魔方陣がいっそう光り出した瞬間――――、


「まだ、だから」


 咲理は口にする。


「……なに?」

「まだ、終わりたくないもん。あの子のために……私はまだ……。だって――――――――」


 涙を含みながらも彼女が口走ったのは、大切な人への想い。

 そして。


「だから……、だから私を――……」



 ……――朦朧とする意識の中、薄っすらと目を開ければ、血走った目でこちらを睨む、頬のこけた無精髭の男がこちらを見下ろしていた。その後ろ、斜日を淡く反射するガラス窓が、自分ではない彼女の顔を反照している。


(……、ああ)


 力なく放り出されている血染めの手に力を込めれば、やはり彼女の手が確かに動く。


「はァ、ひィ……っ、ウヴァアアアアアアアアアアアアア!!」


 骸骨のような男は絶叫し、手にした鈍器で容赦なくこちらに襲い掛かってくる。だが、辛うじて横に身を引いた彼女はそれを避けた。

 男は茫然と娘を見る。


「オイ、依桜? ハァ?」


 傷だらけの少女は立ち上がり、ゆっくりと首を振って否定した。


「依桜はいないよ。依桜はもう、死んだ」

「……アァ?」


 すでに彼女ではなくなった少女は、


「――――これからは私が椎葉依桜だから。もう、あんたの好きにはさせない」

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