3-7
(ったく、話がザックリしすぎじゃない? 難しいってーの!)
あれから聞いた雅志の策を頭で反芻しながら、オリヒメはエリア3の中でもひときわ高い、〈マイナス・ゲーム〉では対戦のスタート地点となるビルの近傍へとやって来た。中腹辺りには白黒のクラシカルな丸時計が淡くライトアップされ、19時7分の時を指し示している。
雅志の策はこうだ。《Fenrir2》は魔力などに代表される時界によってその存在を維持しており、つまり時界が溢れる場所へオリヒメが赴いて、雅志にエネルギーを送ることによって彼をこの
(根拠が先輩の部屋にあった報告書とか……。ほんと、うまくいくの? まあ、あいつがこの
雅志は
オリヒメは携帯電話をジッと見つめ、
(充電のためにいったん切られたけど、向こうは大丈夫なのかな?)
魔術を行使しての通話はバッテリーの消耗が激しいらしいゆえ、携帯電話の充電を済ませてからまた電話を掛けてくるそうだ。であるからして、オリヒメは時界が満ちていそうな場所をそれまでチェックすることにした。
(怪しい場所をチェックしろとは言われましても。ほんと、ザックリしすぎ。まあでも気になる場所といえば、ここ……? 〈マイナス・ゲーム〉だと最初に転送される場所だけど)
転送されるということは、すなわちそこが特別であるとも想定できる。正解を選んだとは言い難いが、糸口がない以上は仕方がない。オリヒメは見上げるビルの中へと迷わず入った。
照明が灯されているフロアもあれば、灯されていない暗いフロアもある。オリヒメを除いたプレイヤーはゼロで、ローファーによるカツン、カツンという足音のみが建物内に響く。無論、モンスターの存在には気を配らなければなるまい。
(それにしても
そっと胸に手をやった。彼女とのあの記憶が、殺風景なフロアを歩くオリヒメの胸をほのかに温かくさせる。
(おまじないだってオカルトなのかな)
あれはまだ姉の背中を追っていたころ、たしか中学一年生の時。彼女が自分にかけてくれた、とあるおまじない。
「忘れられるわけないよね、あれは」
懐かしむように目を狭めたオリヒメは、あの大切な思い出を脳裏に呼び覚ます――……。
◆
「もうっ……」
また、勝てなかった。空手の大会、あと少しで勝てそうだったけれども年齢という差はやはり大きく、結果は敗北。一年生で準々決勝進出を周りから褒められても、それは関係ない。自分が納得しなければ意味はないから。
ベッドの上で布団に包まっていると、ノック音が部屋に響く。そして許可もなく入室をしたのは、一つ年上の姉――咲理だった。
「ヒメ、残念だったね。もうちょっとで勝てそうだったのに。惜しかったよ」
首元に伸びる髪を栗色に染めている彼女は妹の横に腰掛け、布団を剥がし、ニコッと笑って妹の黒髪を撫でた。猫柄にデコレーションされているスマートフォンを取り出し、妹の雄姿を動画で鼻歌混じりに眺める。
「姉ちゃんはいいよね、強いから。今回だってメダル貰ってるし」
口調に嫌味が篭る。ただ、それも仕方ない。姉は2位入賞なのだ。愛嬌のある可愛い顔立ち、細身で華奢、外見だって今時の女子中学生を体現したような眩しい身なりなのに。器用で柔らかな身のこなし、それを考慮してもその強さはいったいどこに秘められているのだろう?
「うんっ、今日はママがご褒美にエビフライ作ってくれるって!」
「姉ちゃんばっかずるい。ていうか自慢とか聞きたくないし」
と、恨みがましさ羨ましさ半々で姉を見やれば、
「にゃおーっ」
いつの間にか妹から離れ、部屋の隅でちょこんと居座るおもち(飼い猫、名付け親は姉)の前に屈んで、パッチリした瞳を鈴のように大きく張って、コミカルに両手で威嚇をしていた。
「にゃーん、こいつかわいすぎ。肉球ぷにぷに~。ほれ、おやつ。んー、おいし?」
猫用のクッキーを与えて、嬉しそうにおもちを可愛がる姉。ほんと猫みたいに自由気まま、掴みどころのない女の子だと、ムッと頬を膨らませながら妹のオリヒメは思った。
「おもちと遊びたいなら出てって。姉ちゃんなんかもう知らないっ」
仕舞にはプイッとそっぽを向いて機嫌を損ねる妹。
「ごめんね。も~でも、おこなヒメも好きっ。オリヒメならぬおこヒメかも」
おもちを抱えて妹の隣に座り直した姉は、妹の頬に何度か軽い口づけをする。誰かに見られたら引かれること間違いなしだろう。ただ、それで機嫌を戻す自分も自分だが。
とまあ、そんな日々を姉と送っていたオリヒメにある日、転機が訪れる。
(ある日の下校中、大きな事故に偶然にも私は巻き込まれた。その結果、私は――――)
左目を白い包帯で何重にも巻き、病院のベッドで腰を下ろすオリヒメ。うな垂れる彼女の顔には、生気と呼べるような表情はない。
自動車の爆発により飛散した破片が不幸にもオリヒメの左目を襲い、治療の結果、おそらくは失明だろうと担当の医師からは無情にも宣告された。
信じられなかった。呆れて涙すら出ない。昨日までは当たり前のように見えていたのに。
でも。
「うっ、ぐすっ……ううっ……ひめぇっ、うぇえ、んっ」
横に腰掛けている姉の咲理が、まるで自分のことのように声を上げて泣きじゃくっている。表情はコロコロ変わるタイプだけれども涙を流す姿なんてあまり見たことがないから、それは意外だった。
オリヒメは姉の身体に抱き着いて、
「姉ちゃん、泣かないで。私はまだ恵まれてるよ。あの事故で亡くなった人だっているし、私よりも重症の人だってたくさんいるから。それにほら、右目は平気だって」
咲理は目元をごしごし袖で拭い、赤くなった目で妹を見つめ、
「ヒメ……。私にも何か……できない?」
「気持ちだけでも十分嬉しいのに。……でも、だったら私に勇気をちょうだい」
「勇気? そっか……。なら、」
すると姉は、人差し指を自らの桃色の唇に宛がう。一つの年齢差なのに、漂う甘い匂いと併せ、ずっと大人に見える仕草だ。
「姉ちゃんがヒメに幸運のおまじないをかけてあげる。ヒメ、ちょっと目を瞑って」
「おまじない? うん」
オリヒメは言われるとおりに姉の指と自らの指を絡ませ合い、まぶたを下ろす。ただ、目は完全には閉じずに。そしたら額に掛かる前髪が咲理の指で掻き分けられ、
「こんなことしかできなくてごめんね。……大切なお姫様に素敵な奇跡が起きますように」
そうして姉は円を描くようにくすぐったく妹の額を撫でると、自らの額をそこへと宛がった。
「……、ヒメ」
額越しに、姉の熱い想いが伝わる。これはただのおまじないなんかじゃない、そんな想いが漠然と伝えば、胸に熱を帯び始める。
(姉ちゃん?)
額の感触が消えた節にまぶたを上げると、姉は涙を流しながらもくすぐったそうに頬を緩めた。
まったく、この人は何を考えているのかわからない、妹の自分ですらそう思うことは多い。
けど、
「くすっ」
やっぱり、私を大切にしてくれていることは知ってる。
オリヒメは額に触れて、
「ありがと、姉ちゃん。大好き」
――――思えば、それがきっかけなのか。
奇跡は起きた。失明と診断されかけた左目は瞬く間に視力を取り戻し、事故前と何ら変わらぬまでに回復をしたのだ。医師の驚き顔は今でも忘れられない。
だけれども、オリヒメにとってそれは二の次だ、今になっては。むしろ自分の身に起きたことよりも――――……。
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