3-5
まずは椎葉依桜について探るため、雅志は彼女の住むアパートへと向かった。
「ありがとうございます、お借りします」
学内の知り合いであること、依桜の失踪理由と自分にできること(無論 《Fenrir2》には触れずに)を初老のアパートの管理人に告げると、彼は部屋の鍵をあっさり雅志に貸してくれた。彼いわく、心配しにここを尋ねた学友はいるが、解決を匂わせに来たのは雅志が初めてらしい。
すでに午後6時を回る時間帯、辺りはすっかり暗くなっている。鍵を拝借した雅志はドアノブにそれを差し込み、解除後、ゆっくりと扉を開け、
(歳の近い女性の家に入るのって……記憶にないなぁ)
経験の無さが自らの女性関係の薄さを裏付けていることなど気にも留めず、雅志はそっと足を踏み入れる。玄関から伺える廊下は真っ暗で何も見えず、とりあえず雅志は照明を灯した。
「こんな時でも必要以上に部屋を捌くるわけにはいかないよな。秘密を保管するとしたらやっぱり自分の部屋か?」
順に扉を開ければ、女子らしくコーディネートされている奥の部屋を発見する。六畳の室内にシングルベッド、テーブルにクローゼットが配置され、ピンクと白のアレンジ、愛らしいぬいぐるみ(やたらと猫ものが多い)が何とも女子らしさを演出している。おそらく私室だろう。
(椎葉先輩にもこんな趣味があるんだ。結構可愛い趣味してるんだな、意外だ)
胸を高鳴らせつつ、雅志は棚の引き出しにまずは手を伸ばす。一段目は小物類、二段目は教材ときて三段目、仕舞われているのは紙の束。雅志はそれを手にすると、見出し――『《Fenrir2》を構築する古典理論と現代理論』なる一文が彼の目に入った。
どこかの機関がまとめたものをプリンターで印刷した代物のようだ。ともあれ、依桜が記したものではないだろう。文献の出所は気になるも、雅志は見出しを再度目に通し、
「現代理論はわかるけど、古典理論って何だ?」
謎は多いが機器上で作動するアプリケーションという以上、《Fenrir2》が科学、すなわち現代理論で構築されているのは前提の話であろう。ゆえに古典理論なる記述が妙に異彩を放つ。
見出しを意識しながら、雅志は本文を読み進めてゆく。
『調査報告を以下に記載する。《Fenrir2》は時の流れを支配し、
思わず目を疑った。
「何だこれ、オカルトでできてるとでも言いたいのか!? けど……納得はできる……? いや、でも……」
紙面の下部にはURLが記載されており、どうやらこの報告書はインターネット経由で手に入れたらしい。しかし以前、雅志がネットで《Fenrir2》に関する情報をほとんど集められなかったことを踏まえれば、この報告書へのアクセスは常人では困難なことが図られる。
ともかく推論は先を読み進めてからだと、雅志は重要そうな部分をピックアップしながら文を追った。
『《Fenrir2》には魔術、錬金術、心霊術、呪術、占星術、自然科学、さらに情報科学のスペシャリストから成る七人のゲームマスターが存在し、各々が専門とする研究を深めるためにゲーム形式で被験者を募り、結果を得るため、彼らはアプリを担う7ゲームの管轄を担当している』
次に、《Fenrir2》におけるシステムの解説が記されている。
『《Fenrri2》は【時の番人】を模した【時の神の憑代】と呼ばれる、現代理論と古典理論の結晶とも言えるコアがアプリケーション全体のシステムを担う。また、
ここで【時の番人】、【時の神の憑代】なるワードが初出する。注釈を見るに、【時の番人】とはこの世の時間を司る神のような存在らしい。
『7ゲームはそれぞれ停止・後退・通常・加速・スキップ・次元転移・上記六つの複合からなる時間変化が生じるが、それは【時の番人】から派生したキャラクター
さらに《Fenrir2》の肝である《タイムコール》についての記述が以下に続く。
『《Fenrir2》には、《タイムコール》と呼ばれる三種の時間操作を現実世界において実行できる機能が備わっている。『時の真実と証明』に反しない、最大21秒の連続した時間操作が可能である。この機能の搭載目的は、使用者に時への関与をさせることで実態が未だ不明な『時の真実と証明』の真理を明かすためだということが有力な説とされている』
続けて3枚目に移ろうとしたが、それはまた毛色の違う内容らしく、主に古典理論についての記述がされており、一例として魔術を用いた空間通信の実現、心霊術と霊的存在との関わり、呪術と生成術の複合術である幸運操作などが取り上げられていた。
雅志は報告書から目を離し、これまでの流れを、ここで知ったことを交え改めて考察する。
(驚いた、古典理論なんて言葉を目にするなんて。ともかくわかったことをまとめると、あの黒づくめたちは
ともすれば、要因には
(古典理論でオレにも使えそうなものは何か……)
雅志が思い巡らせた、その時だった。カラカラと、窓を開けたような乾いた音が部屋の向こう側から聞こえたのだ。明らかに玄関扉の音ではない。
(大家さん……だったら玄関から入ってくるはず! 今の音は変だ、なんか違う! ヤバイ、隠れろ! ああもう、どこに!)
右往左往と雅志が狼狽えているうちに、そっと扉が開いた。現れたのは、全身を黒で覆う一人の人物。身長はさほど高くはない。
「……、ここにもいないわね。まったく、どこにいるのかしら? ここも照明は灯ってるし」
女の声で呟きながら、黒づくめはざっと観察しながら部屋を歩き回る。
(あっぶねぇ、ベッド下に隠れられてっ)
細身のおかげか、狭い隙間に全身を格納することで難を逃れた雅志。息を呑んで、限られた視界から室内の様相を警戒する。力の篭る手が報告書にシワをつくり、緊張からの汗ばみが紙をほのかに湿らせた。
黒づくめは一通り部屋を眺めると、押入れの取っ手に手を伸ばし始める。
(あいつらも何かを探してるのか? いないってことは、まさかオレを……)
不安、恐怖は募る。しかしだからと言って最後まで読み通していない報告書を放置するわけにはいかず、雅志は黒づくめの行動に気を配りながらも、続きの4枚目に目を通す。……が、光の遮られた場所では思うままに字が追えず、
『『時の真実と証明』という――、司る【時の番人】は――――と呼ばれる――私を――――』
主語が『私』に代表されるように、それ以前の報告書とは明らかに文体が異なっている。
(く、読めねぇし意味もわからん!)
焦りから最後までザッと目を通すも、やはり内容は理解できなかった。だけれども最後の一文を目に入れたその瞬間だけは、雅志はハッと息を呑んだ。
『――――こんな運命に陥った私を救ってほしい。2018年10月3日の基点日、いつかあの運命を変えてくれる誰かに出会えたとしたら、私はその人にすべてを委ねてみたい』
そして次の文で、計4枚の書類は締められる。
『――――絶対に戻ってみせるから。だって私は椎葉依桜じゃなくて――――――』
『椎葉依桜じゃなくて』、それ以降の文が影に覆われて読めず、雅志は顔に紙を寄せる。が、再び扉を開かれたことで、彼はその行為をやむなく打ち切った。
現れたのはもう一つの人影。装いはやはり黒いも、体型から察するに、性別は男のようだ。後ろに先ほど入室した黒づくめを引き連れている。
「どうだ、千石雅志は見つけたか?」
「いえ、まだ。隠れていそうな場所は一通り探したのですが」
雅志の背筋がゾクリ震える。彼らは間違いなく自分の名を言ったのだから。
「お前はそそっかしいところがあるからな、隈なく探せよ。オレはダイニングを見てくる」
そうして男のほうは部屋を出て行った。
まずいぞ……、雅志は残った黒装飾を睨む。十中八九、次はこのベッド下を確かめるはず。
(どうする、大人しく降伏するか? いや、相手が何をするかわからない以上、それは危険だ。って、腰にあるアレ、ナイフかよ? 女でも舐められないぞ……)
そうこう思考を巡らせているうちに、黒づくめは徐々にベッド側へと近づいてくる。
(チッ、覚悟を決めろ!)
ええいもう! と、光と影の境へ雅志はジリリと這う。そして二本足がこちらへと迫ってくるのを、息を殺したまま限界まで見計らい、
(今だ!)
両腕で二本足を強固に抱えると、雅志は思い切り腕を抱き寄せた。
「きゃあああああああ!!」
絶叫とともに女は床に頭を打ちつけ、即ノックダウンした。「どうした!!」壁越しに聞こえた叫びと同時に雅志はベッド下から身体を捻り出し、気を失った女の腰からナイフを掴むと、バァン!! と乱暴に開かれた扉の方を瞬時に見据えて、登場した黒づくめに向かって凶器を滅茶苦茶に振り回した。
「千石雅志!?」
黒づくめはすぐに身を屈めてナイフを避ける。しかし雅志は床目掛けてナイフを投げつけた。直撃こそしなかったものの、怯みを見せた男はその場に固定される。
雅志は拙いステップを刻んだまま敵を視界の端で確認すると、背後を最大限に警戒しつつ、扉に向かって全力で駆け出した。
(敵はあの二人だけか!? それとも他にいる!?)
靴に足を入れて玄関の扉を引き、別の靴を拾い、雅志は夜空の下へと躍り出る。だが闇に溶け込むように控えていた別の黒づくめが、歪な光を帯びたスタンガンをすでに構えていた。
「それくらい予測済みだ! ――《タイムストップ》!」
瞬間、世界が青白く反転する。黒づくめを含め、周囲は何もかもが凍ったように停止した。
雅志はその隙を見計らって手中の靴を全力で敵に投げつけ、彼はコールの解除を念じた。直後、世界は色を取り戻し、黒づくめは飛来した靴に直撃、雅志はその余地を狙って敵から距離を取る。
(ただ、あの三人で済むとは思えない! どうする!?)
ガシャンッ、ガシャン!! とステンレス製の階段を危なげに駆け抜け、道路へと出た雅志は迷わず細い路地へと入ってゆく。しかし後ろを振り向けば、一人の黒装飾が不自然なまでに雅志との距離を詰めていたのだ。間違いない、《タイムコール》を用いられた。
雅志は尻ポケットにねじ込んでいたあの報告書を掴み、
(《タイムコール》は何度も使えるものじゃない、だから使うタイミングは慎重に! それに……、この通信魔術ならオレのスマホでも使えそうだ!)
道傍のゴミ箱を後ろに蹴飛ばした。宙に浮き、跳ねて転がるそれは、後ろを走る敵の行く手を阻む……はずだった。しかし敵は無駄な動き皆無でゴミ箱を避けてのける。《タイムビジョン》で未来を予知したのか。
雅志は追跡者を振り払うように横の道へと曲がり、敵を一時撒いたことを確認すると、彼は走りながら報告書に目を通し、
(とにかくこの通信魔術とやらを使って
紙束片手にもう一方の手で携帯電話を取り、記述に従って『393659782946239757393754』の順に数字を押してゆく。この数字が中央演算装置内で2進数へと変化されることで、バッテリーを魔力代わりに通信用の術式を発動させることが可能らしい。
「あとは普通に電話番号を押せば……いいのか?」
電話機器に変わった反応はないも、雅志は続けてとある電話番号を押した。それは依桜以外で雅志が知る唯一の、《Fenrir2》を所有する者の番号。
頼む、繋がってくれ……、雅志は祈る思いで受話部を耳に当てた――――――。
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