3-4

(まさかこんな時に電話をしてくるなんて。もう、よっぽどヒマなの?)


 オリヒメが足を運んだ先は、エリア7――《エリムベルム》内にある、エリアの主要施設である図書館であった。


 広々とした円形の建物、シャンデリラの淡い光で照らされる、クラシカルな雰囲気が漂う館内。建物は吹き抜けで、円を描く側面には何百万冊の本が、2階から5階までズラリと本棚に揃えられている。まさに知の宝庫、それを体現した施設だ。ちなみにこの図書館の地下に広がるのが、〈エンド・ゲーム〉の対戦フィールドである『決闘の間』である。


 数は少ないが、館内にはちらほらとプレイヤーがいた。時間を潰すためか、はたまた現状の打開のために来ているのかは、オリヒメの知る由ではないが。

 オリヒメは迷うことなく1階の関係者専用のスペースに入り、隅にある部屋の扉をノックする。「どうぞ」という返事を確認したオリヒメは開き戸を開けると、狭い個室の中には雑多に本が置かれ、大型チェアに腰掛けて読書に興じる若い大人の女性がそこにはいた。


 見かけから推測するに歳は二十代半ば、清楚なやや長めの黒髪が美しい、メガネを掛けた彼女が顔馴染みの女子高生へと関心を向ける。


「あら、いらっしゃい。待ってたわ」

「はぁ、電話するなり来いって。で、いったい私に何の用?」

「特に用事はないわ。こんな状況だし、いつものように小説を語り合わない? って誘っただけ。何ならこの事態に関する話題でもいいけど」


 彼女の名は明星あけぼしきよ、この図書館で司書を務めている人物だ。ゲーム上のキャラクターではなく実在の人物であり、《Fenrir2》におけるゲームマスターの一人と自称している。読書を好むオリヒメがしばし図書館へ通ううちに、彼女とは顔馴染みの間柄になっていた。


「この事態に関する……話題? なら清香に訊きたいことがあるの、時間ちょうだい」


 年下のタメ口を聞けども清香は嫌な顔を一切せず、それどころか丁寧に口元を緩めて、


「今の異常事態を打開する方法を教えて、と訊きたいたわけではないわよね? あのオリヒメが、まさか」

「違うから。ともかく、この事態の理由を知る限り教えて。って、何その目? 文句あるの?」

「いえいえ。文句はないけど、どういう風の吹き回しでその気になったのかは興味があるわね。そういうことに関心を持つ子だとは思わなかったから」


 清香は腰を上げて、額に掛かる黒髪を艶っぽく掻き上げると、


「システムの仕組みは隠すことでもないし、教えるのは全然構わないけど、いかんせんそこは私の領分ではないからね。現代理論には明るくないほうだし。ま、私についてきてくれる?」


 彼女は個室を出て、オリヒメを先導する形で館内を巡ってゆく。


「心当たりがあるの?」


 清香の後ろをついてゆきながら、オリヒメは本の海を見回す。一人で過ごすにはちょうど良い、落ち着いたこの雰囲気は彼女の好みだ。


「要は時計盤の世界タイムダイヤルと現実世界との繋がりに不具合が生じたという話よね。つまり言うと、そこの制御に問題が生じたわけ。ただし、その制御はハードではなくソフトの役割だということをまずは意識してほしい。ここまではおわかり?」

「コンピュータの故障じゃないなら、時計盤の世界タイムダイヤルにいる私でもどうにかできるってこと?」

「7ゲームは私たちがそれぞれのコンピュータで管理していて、さらにそれをまとめるコンピュータがアメリカの地下施設に設置されているわ。適切なメンテナンスのおかげで一度も故障する事態はなかったから、ハードの問題とは考えにくいわね。ま、オリヒメの言うとおりよ。察しがよくて助かるわ。さすが、見た目に反して賢いだけある」


 3階に足を運んだ清香は外周の通路をしばらく歩き、目星の本棚を見つけ、そこから一冊の厚い本を取り出した。それは随分と古臭い本で、ワイン色の表紙に記されているのは英字のみ。どんな本やらと清香の開いたページをひょいとオリヒメが覗けば、蟻のような英字の連なりに魔方陣の図と、現代科学をあざ笑うかのような内容が記載されていた。


「ふむ、なるほどね」


 本当に理解してるの? けどあの清香のことだし……。半信半疑なオリヒメは司書の佇まいを黙って眺める。

 数分後、清香は顔を上げて、メガネの位置を指で微調整し、


「たとえば魔術を行使する際は魔力という核が必要になるし、心霊術ならばそれは霊力が当てはまる。他に挙げるとすれば占星術、錬金術、呪術にも同じことが言えるわね」

「何を言ってるの? フェンリルってバリバリ科学の結晶でしょ? 清香の例え、全然ピンとこないんだけど」


 《Fenrir2》はスマートフォン上で動作するアプリケーションであり、それは現代科学という下地がなければ元より成り立たない概念だ。オリヒメの覚えた疑念は当然のことだろう。


 しかし清香は「それはどうだか」とでも言いたげに、どこか曖昧な態度で微笑み、


「あら、見かけでは最新のテクノロジーのようでも、裏では古びた匂いのする概念が意外と使われていたりするのよ? 表面ですべてを判断してはダメだわ」


 オリヒメは、はたして清香の言いたいことが理解できなかった。清香もそれを察したのか、すぐに話を戻して、


「つまり私が言いたいのは、今のフェンリルには核となる部分が欠落している状態なのよ」


 その核って? というオリヒメの問いに清香は、本のページを2枚はらりと捲って、


時計盤の世界タイムダイヤルと現実世界を結ぶ核の名は――【時の神の憑代】。時を操る神の化身とも言うべき存在かな、それは。セキュリティの維持、システムの自動修復なども担っているわ。ワークステーションのように無機質な形状を取ってもいいけど、神の扱いをしたほうが何かとメンテしやすいのかしらね」


 あの時計盤の女神タイムガーディアンもある意味似た者と、清香は《Fenrir2》の各ゲームで登場するキャラクターを持ち出して説明を補足する。

 そうすると清香は本を閉じ、


「ざっくりとした説明になったけど、方向性は定まった?」


 しかし、オリヒメは金髪を揺らすように、落ち着いて横に首を振る。


「何か勘違いしてるみたいだけど、私が動くわけじゃないから。それに動きたいヒーロー気取りの人間なんて山ほどいるし」

「ヒーロー気取りだっていいじゃない。実際、この現状を解決できたとしたら、それはもう立派なヒーローよ。オリヒメにだってその資格はあるわ。何たって強いんだし」


 それを耳にしたオリヒメは数秒ほど押し黙ったのち、自嘲気味に鼻で笑って、


「強い? この私が? それ、過大評価だよ。私は……強くなんかないから。だったら無駄なことはせずにじっとしてるのが一番でしょ」


 間違いのない本音だ。本音だから、口に出したら少し心が軽くなった。それと、清香の反応にも期待してしまった。今の自分を理解してくれるはず、と。だが、


「別に動く、動かないは各々が決めることだし、私がとやかく言うべきことじゃない。でもね、これだけは言えるよ。ただいじけて何もしないのは紛れもない弱さの証、だとね」

「…………っ」


 オリヒメの髪先が、ピクリと震える。


「今のオリヒメはまさにそれ。私だけじゃない、誰がどう見たってそう言うんじゃない?」

「うっさいなぁ……っ」

「ごめんなさい、気を悪くさせちゃって。けど、それだけはオリヒメに伝えたい。ま、怒る気持ちがあるなら図星ってことかな?」

「…………」


 黙然とするオリヒメを、清香はくすっと笑って、


「一つ、訊いてもいい? どうしてこの事態になった理由を私に訊いたの?」

「それは……、その……」


 口ごもるオリヒメ。考えがまとまらない、思うように口が動かない。

 二人の間に静寂が流れ、やがてオリヒメが口を開き、


「私だって……動きたい。みっともなくたっていいから……弱くてもいいから……」

「どうして?」


 拳を握り、奥歯を噛み締め、そうしてオリヒメは髪を振りまいて真っすぐ顔を上げ、


「弱くてもいいから、私は姉ちゃんを探したいっ。探したいっ、でも……今の私じゃ……結局何も……。だったらどうすれば……わかんないよ…………」


 すると清香はオリヒメの身体を抱き寄せ、優しく金髪を撫でて、


「あら、オリヒメも素直になれるじゃない。前を向けたのは確かな前進よ? それに自分の弱さを認められるのは強さの証、でしょ?」

「でも、でも……どうしたら……」

「探したいならそうすればいいわ。私にできることがあればサポートしてあげる。そして弱いと思うなら強くなればいい。オリヒメならできる」

「清香……、うん」


 こくりと頷いたオリヒメをもう一度撫でた清香は、ふふっと嬉しそうに笑って、


「おっと、具体的な解決案はまだ言ってなかったわね。【時の神の憑代】が鎮座されているのは〈プラス・ゲーム〉のエリア15――《シャングリラ》にある『最果ての塔』よ」

「『最果ての塔』……、遠いかも」


 このエリア7――《エリムベルム》から向かうには、最短距離を辿っても最低半日は掛かる。無論、エリアによってはモンスターが出現し、かつ〈プラス・ゲーム〉のプレイ経験が他ゲームに比べて浅いことを踏まえれば、その目的を果たすのはたとえオリヒメでも決して容易ではないだろう。


「塔の最上階にある部屋に憑代は鎮座されているけど、普段は錠がかかっていて一般プレイヤーが入ることはできないわ。けど、この現状なら錠が壊されているのかもね」

「わかった、とにかく行ってみる」


 そしたら、清香がオリヒメへ意味深に目を配らせ、


「最後に一つ、訊いてもいい? オリヒメの探したい人って、オリヒメにとって大切な人?」


 尋ねられたその問いに、背を向けたオリヒメはひらりと手を振って返し、


「そう、世界で一番大切な人。だから探しに行ってくるね。ありがとう、清香」


 オリヒメは礼を言うと、目指すべき先をガラス越しに見据えた。天に立つ伸びた塔が、薄っすらとだが雲に隠れて日差しを浴びている。

 オリヒメの後姿を、目を細めて見送った清香。そっか、そんな一言を簡素に漏らし、


「いってらっしゃい、武運を祈っているわ」

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