3-2

 夕刻、《Fenrir2》にまつわる情報を探すはずが、いつの間にかそちらへと気を取られていた。


(ちっ、またつけられてる。オレがそんなに気になるのかよ?)


 姿こそほぼ見えないが、今も確実に見ている。名前は小日向こひなたりん、性別は女、学年は雅志と同じ一年。地味なおさげ髪のメガネという外見に、内向的で目立たない性格の人物だ。


 雅志自身、《Fenrir2》では戦績など挙げてはいないし、所有の固有能力だって大したことはない。ひょっとしたら監視の理由は事件と関係なく、密かに好意を寄せているだけ……? いやいやないない……と、自分のあらゆる面を浮かべて雅志は否定した。思わず哀しくなる。


(よし、思い切って声を掛けてみよう)


 雅志はおさげ髪の女子高生にチラッと顔を向けた。だが、


「あっ、待て!」


 目が合うや否や、彼女は逃げるように店から出て行った。雅志も逃がすまいと彼女の背を追い掛ける。


(逃げるってことはやっぱり何かあるってことだ! くそっ、逃がすもんかっ)


 本屋を出て左右を確認すれば、右方向の先、左側へと走ってゆくのが見えた。

 雅志はすぐに後を追い、


(仕方ない、《タイムコール》を使ってみるか!)


 行き先を曲がり、細い路地へと入る直前、《Fenrir2》に搭載された《タイムコール》の一つ、時を止める《タイムストップ》を使うべく雅志は口を開きかけた。だが、


「あれ、消えた? 変だな、隠れる場所なんてどこにも……?」


 夕日がわずかに注ぐ、暗くて湿った路地裏。おかしい、あの女子の姿がどこにもない。

 人目のない、まるで裏側の世界へと続くようなこの路地を、雅志は恐れを抱きながら一歩一歩進んでいった。先を探るごとに薄い橙の色は失せ、暗く終わりのない道がさらに続く。


「ん?」


 ふいに、つま先に何かが当たった。ゴミ? 動物? 勘ぐりつつ、妙に柔らかい下方のそれに意識を向けると、


「……ッ!? うわああああああああ!!」


 驚くことに、人が倒れていたのだ。それも目を凝らせば、顔や手、足から血を流している。顔立ち、身体つきから、雅志とさほど歳の変わらない少年のようだ。

 雅志の顔から血の気が引いていく。それこそ時計盤の世界タイムダイヤルでしか許されないような、日常からは想像のできない光景なのだから、一般高校生である彼のリアクションに無理もない。


「だ、大丈夫ですか!?」


 雅志は腰を落とし、重症の少年の胸元に耳を寄せた。鼓動は聴こえ、息もある。それを確認し、雅志はすぐに救急車の手配を試みたが、少年が紡いだ掠れ声が彼の手を止めた。


「……あ、れ? ここ……は? え、あれ? げ、現実? いや、そんなはず……」


 現実? 重い傷に意識が乱れているのか?


「現実ですって! 夢でも何でもないです! 意識をしっかりしてっ」


 だが、少年は震える手を頭上に掲げる。その手にはスマートフォンが握られており、


「あれ……、さっき……ブラック……マスクにやられた……はずじゃ」

「……?」

「え、オレ……。タイム……ダイヤル……から……現実に戻れなく……なって」


 はたして彼が何を言いたいのか、雅志には理解できない。しかし「タイムダイヤル」、「現実に戻れない」、確かに口に出した言葉から弾き出された結論は、


(まさかこの人、失踪事件に巻き込まれた一人かっ? フェンリルのプレイヤーなら時計盤の世界タイムダイヤルにいるはずなのに、いったいどうして現実ここに……?)


 雅志は自分のスマートフォンから試しに《Fenrir2》を起動してみると、以前までモザイクで占められていたはずの画面が時計盤の世界タイムダイヤルへの転移こそ無理も、まばらにくっきりと表示されていた。それに周囲――現実では、電子ノイズのようなブレが垣間見える。


「そのブラックマスクってのはどんなプレイヤーなんですか?」

漆黒の仮面ブラックマスクは……謎、だよ。全身を黒く覆ってるから……その呼び名が付いた。強いって……噂でな。で、勝負を挑んだら……はは、このザマさ」


(全身を……黒く覆う? 黒……、黒……)


 何か引っかかる、そんな気がしてままならない。雅志は目を瞑り、険しい顔つきで脳内の書庫を必死に引き出してみると、


(あ、思い出した! そうだ、椎葉先輩だ!)


 そう、初めて依桜と出会った時のことだ。突発的に空中から現れたその際、錯覚かと感じるほどに短時間だが、彼女は黒い装飾で身を覆っていた。


(どうして先輩が? いやでも、先輩がそのプレイヤーと決まったわけじゃない)


 推理を進めかけたが、それよりも重傷を負う少年への対応が先だ。今度こそ救急車を呼ぶため、雅志は『119』を押そうと指を動かす。だがしかし、


「あああああああああああああああ! ヤ、ヤメロオォォォォ!!」


 突発的な叫びが、またもや雅志の手を止めた。即座に顔を上げると、そこには――――、


「な、何だよ、あんたたち……」


 無残にも三本の剣が突き刺された少年を見下ろす、三つの黒装飾。皆が白い仮面で顔を覆い、偶然にもそこだけに差すオレンジの光線が、淡く不気味に三者を灯していた。

 中央の黒装飾は剣を抜き、血の滴る刃先を雅志へと向け、


「これ以上私たちを、漆黒の仮面ブラックマスクを散策することはやめなさい。さもなくば、あなたも彼のような結末を辿ることになります」

「ひぃっ! え……、は、え……?」


 麻酔でも打たれたように足腰の力を失った雅志は、ペタンと尻もちを付いた。冷たい感覚が、ズボン越しに肌へと伝わる。鈍く光る剣先を見て、彼の頬に一筋の汗が垂れた。

 そうして雅志が何もできずに怯える間に、黒装飾の三人、それに瀕死の少年は溶けるようにしてこの現実世界から姿を消していった。


「な、何がどうなってるんだ……」


 冷や汗の浮く額を袖で拭った雅志、眉間にシワを寄せて頭を抱える。


時計盤の世界タイムダイヤル現実ここと違う次元にあるんじゃないのか? それがどうして……。いや、ちょっと待て。ここ、こんな路地裏だっけ? 地面はこんなに規則的な石の配置じゃなくて、ただのコンクリートだったような……。見間違い?)


 肉薄する現実と《Fenrir2》。そして謎の存在、――漆黒の仮面ブラックマスク


(この路地裏は……まあいい。それよりも、その漆黒の仮面ブラックマスクとやらが事態を招いた張本人? 首謀者? うーん、そうと決まったわけじゃないけど……、ただ)


 混乱をきたし始めた頭をリセットするために、雅志は一旦状況を整理する。


時計盤の世界タイムダイヤルにアクセスできなくなったタイミング、それにオレを監視する女子とさっきの連中の忠告。つまり漆黒の仮面ブラックマスクが何かしらに関わってる可能性は十分にありえる)


 それに理由は不明だがあの黒づくめたち、ひいてはその背後に控える首謀者に雅志は目を付けられているらしい。


 どうする、ここで退くか? それとも――……。


(――――そんなの、決まってる)


 そう、すでに巻き込まれているのだ。引き下がるわけにはいかない。自分は《Fenrir2》のプレイヤー、答えは明白だ。それに彼女のことを知りたい気持ちは、やはり失われていない。むしろ知りたい気持ちはいっそう強まるばかり。


「先輩……、先輩は何を知ってるんだ?」

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