1-8

 雅志は焦げたフロア内を縦横無尽に走り、


(期待はしてなかったけど簡単に負けてはくれないか!)


 そろそろ勝負を決めないと体力が持たない、身体に走る痛みを堪えながら彼は考えていると、


「容赦はしないから」


 向かう前方には金髪の女、オリヒメが立ちはだかっていた。だが、雅志は冷静な思考を続け、


(前に来ることはこっちも予想してた! オレを舐めるな!)


 彼は手中に隠していた瓦礫の破片、言い換えれば細やかな火の元を一面へと投げ放った。


「甘い!」


 お見通しと言わんばかりに、オリヒメは破片が地に落ちる前に炎でそれらをかき消す。が、次の瞬間――――、ガシャン!! という強烈な音がオリヒメの傍で響き渡った。


「――――!?」


 上階からの岩にも似た瓦礫の落下、崩れたきっかけはオリヒメが破片に夢中だった際に雅志が密かに死角から放っていた炎。


「うそでしょ!」


 巨大な音より生じた爆発に近い炎は、オリヒメを大きく呑み込もうとした。


「やったか?」


 固唾を呑んで前の状況を見守る雅志。だが、


「やって……はぁ、くれたよね……、はぁっ」


 音への動転で体勢を崩したのが幸いしてか、オリヒメは腕や足の一部にこそ炎を食らったものの、戦闘不能とまではなっていないようだ。


「クソッ、運に守られやがって!」


 留まることを嫌がった雅志はオリヒメに背を向き、晴天が広がる建物外へと出る。背後から炎が襲うことも構わず道路を走り抜け、そして塔のような建物へと雅志は駆け込んだ。


「逃げても無駄!」


 追いつかずとも続いて塔へと入ったオリヒメを雅志は一度捉え、遥か先に延びる円錐型の頂点を、顎を上げて見定めて、


(とにかく逃げて、逃げ回って勝機を見極める! それが今のオレの力量でできること!)


 薄暗い内装の建物は中央部分が最上階まで吹き抜けになっており、その周囲に各階の通路がリング状に連なっている。

 そして常にリングの対面に位置しながら、雅志とオリヒメは互いがあらゆる方法で音を鳴らし、互いに炎を浴びせつつ上へ上へと階段で向かってゆく。


(場所が変わったところでこっちが有利になるわけでもないことは想定どおりか。ここでもオリヒメの炎が際立つだけだ)


 攻防を続ける中、やがて数十階を駆け上がった雅志は、額に浮かぶ汗を乱暴に拭いながら非常口の扉を破るように開けた。太陽光に彩られた透明なビル群が360度に広がっている。


「ったく、追いかけっこはこれで終わり?」


 振り向けば、息は多少切らせているも、オリヒメが確実にこちらへと歩んでくる。


(今さら気づいたけど、身体能力は現実のスペックがそのままゲームに反映されてるのか。ということはつまり、これ以上の追いかけっこはオレが不利になるだけ。どうする?)


 ジリッと、徐々に後退する雅志。背を向けば、その高度に足がすくみそうになる。


(今さらこんなところで諦めたくないんだ!)


 柵に背を預けた雅志は、意を決した。


「うらああああああああああ!!」


 柵を一瞬のうちに焼き切った雅志は、あろうことか地上へと背面落下をしたのだ。オリヒメの呆気に取られた表情が遠のく視界に垣間見える。


(ゲーム開始時の重力は壁方向だったけど今は自由落下ってことは、重力は壁に身体の一部分でも付けた瞬間に決定する法則のはず)


 すると直後、オリヒメも雅志に追いつかんとばかりに風を切ってきた。金髪が乱雑に風を巻く様を糸のように狭めた目で見た雅志は、風の摩擦音を利用して自身を炎で包む。


(炎は炎で防げることはさっきお前が証明してくれた。そもそも落下中に炎を地上側に放つのは難しいに決まってるけどな。この状況は絶対的にオレが有利だ!)


 雅志の炎は瞬く間に上昇し、オリヒメがやりにくそうにその炎を自らの炎で吹き飛ばす。


(オリヒメ、お前は早いうちに勝負を決めようって気持ちが強い。見下しているオレをさっさと潰そうと、深く考えもせずに追って来るんだ。けど、それこそがお前の弱点!)


 続く空中での攻防の中、随分と地上に近づいたことを確認した雅志は壁に足を着けた。重力の方向が急激に変わる中、落下により生じた慣性を転げかけながらも何とか殺し、そのまま地上へと到達する。降りた場所は、ゲーム開始から数分後に戦闘をした見覚えのある場所だった。至るビルがまだ炎を纏って燃え続けている。


「はぁ、はぁ……。限界だ、走るのはもう……」


 オリヒメは雅志と対照的に軽快な動きで壁に着地すると、息を荒げて地上へと向かい、出迎えるように立つ雅志を捉え、足の動きを緩やかに止めた。

 切り立つようにそびえるビルとビル、うねるようにそれらの間を抜ける陸橋、その上を負の時間でおもむろに走るモノレール。千石雅志とオリヒメはマイナスの世界の中で改めて対面し、


「お望みどおり真っ向勝負してやる! もちろん、まどろっこしい作戦なんかナシで!」

「やっとその気になった? いい加減勝負を決めてあげる。もちろん、お望みどおりに」


 言葉を交わした両者は、一歩を踏み出す形で同時に足を踏み鳴らした。互いの足元からは灼熱の炎が迸り、やがて膨らむ紅蓮の塊が敵同士を轟々と呑み込もうとする。衝突する火炎と火炎。けれども炎は拮抗することなく、――やはりオリヒメに軍配が挙がった。雅志の炎は歪に崩れ、さらに炎の衝突が彼の下で爆発を生み、雅志は数メートルに渡って吹き飛ばされる。


「ぐうううううあああ!!」


 ビルの壁面へと身を叩きつけられた雅志。膝から崩れ、遠のく意識のまま天を仰ぎ、


(やっぱり……。『オーバーライド』はしょせん劣化コピーなんだ……。最大出力はオリジナルの8割……、これで勝てるはずなんざ……ない、か)


 《最強》にこそなり得ないも《最弱》にはなり得る能力チカラ――――。まさにこんな表現がぴったりだと、雅志は薄れた意識の中で己の固有能力スペックを呪った。おまけにこの固有能力を所持しているせいで装備の所持すらも禁止されている、まさにマイナスだらけの力。だけれども、


(だからって何だ! 劣化コピーだから弱いわけじゃないんだ!)


 たしかに能力次第で有利、不利になることはある。でも、それだけが勝敗を決する要素になるとは思わない。大事なのは不利を覆すための頭脳と、勝利を諦めない気持ちだから。


「オレを舐めるな、オレは強いんだ! ここまで全部計算どおりなんだァ!!」


 まだ、負けてはいない。同じ痛みを知る友のために、《Fenrir2》を授けてくれた椎葉先輩のために、何もないと思い込んでいたかつての自分に勇気をくれた彼女のために、――そして千石雅志じぶんのために。自らの本当の強さをやっと、今さら思い起こした彼は覚悟を決める。


 雅志は今にも折れてしまいそうな膝にありったけの力を込めると、手中の石ころをオリヒメの方向に精一杯投じた。だが、視線を上げたオリヒメに軽々と、弧を描いた石の軌道は見送られる。乱暴に投じられれば、彼女は避けるまでもない。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 それでも雅志はひとたび吠えると、ノーガードでオリヒメに殴りかかったのだ。しかしモーションの大きな、千鳥足のよろよろな動作は簡単に躱されてしまい、


「……、見損なった。今さら逃げ出すんだ」


 あろうことか、雅志は攻撃を躱されても反撃に転じることなく、勢いそのままオリヒメから距離を取ってゆくのだ。まさしく敵に背を見せる行為に、オリヒメもそんな後姿を蔑視し、


「さっさと楽になって」


 切れ長の目を冷淡に歪めた彼女は、手元で膨らませた炎を雅志の背へと放とうとした。だが、オリヒメは異音に気づいて手を止める。冷徹な目は訝しげに眉を顰める形へと変化し、辺りに響く低重音に視線を移らせ――――、


「この音は……まさか」


 そう、それは陸橋を走行するモノレールの音。摩天楼に囲まれた街に響き渡るそれは、徐々に異音を大きくしてゆき――……、


(オレの見立てならここなんだ! この場所なら!)


 逆走ではない通常の速度で走行するモノレール、走行路からは炎が立ち上り始め、続いて爆音を立てて黒い煙を上げる。そればかりか派手な爆発を再度起こしたモノレールは猛スピードで上空に吹っ飛び、脱線した車両は雅志たちの方向へと猛突進してきた。


(逆走のモノレールに炎を焚きつけて、投げた石でモノレールを支配する時間を正常に戻した。これで――――、頼む!)


 飛来した巨体は空で真っ二つに割れ、片方は燃える高層建造物の下腹部へと直進し――――直後、耳を劈く激しい衝突音が一帯にドスン!! と響いた。車両はビルに突き刺さり、窓ガラスや鉄骨、コンクリートの瓦礫が派手に散る。


 粉っぽい灰色の煙で周囲が霞む中、雅志は衝突現場から離れた場所で凄惨な状況の行方を見守る。今度こそ、今度こそやったか――、生唾を呑み込んで煙の中を見つめるも、


「……はぁ、はぁ……、こちらもみすみすと負けるわけにはいかないから」


 人型のシルエットが灰色の中に映し出され、揺れる煙の流れに金髪を靡かせながら彼女は現れた。足こそ挫いたのか、左足を引きずってはいるものの、オリヒメは確かに生きていた。


「嘘だろ……」


 対して雅志の顔からは希望が消え、空中で割れた片側の、彼の後背で横倒れしていた車両へと力なく背を預ける。もう、足腰に力が入らない。一歩たりとも動ける気がしない。


「立てもしないなら勝負は決まり。私の手で終わらせてあげるから」


 オリヒメの声が耳に届いた。完全に勝利を確信している音色だ。


「……――そうだ。正真正銘今度こそ、勝負は決まったんだ」


 雅志は力なく笑った。


「オレの勝ちだ、今度こそ」


 はあ、何を言って? そんな面持ちで雅志を見たオリヒメだけれども、天にピンと腕を伸ばした彼に釣られて彼女も顎を上げる。

 建築物からは瓦礫の落下が未だにやまず、それどころか大きな塊がオリヒメの近傍に落ちたのだ。さらにはそれ以上に巨大なコンクリート、刺々しい鉄骨までもが段階的に降り落ちる。


「時間を掛けて燃やされたビルにモノレールが突っ込めば、どうなる? 何のためにオレが走り回って時間稼ぎをしたと思う?」


 雅志は背中の窓ガラスを炎で溶かし、落ちるようにして車両内へと入る。一方のオリヒメも焦燥に駆り立てられた顔で足掻くも、挫いた足のせいか、動きがかなり鈍い。もたつくうちに、彼女の四方は瓦礫であっという間に埋まってゆく。


最初ハナから『灼恋の星姫オリオンガール』対決で勝つつもりなんてなかった。勝つならこういう形だっていうのは決めてたんだ、こっちは。オレの『音』にまんまと釣られてくれたのがお前の敗因だ)


 もしこれが現実ならば、オリヒメと雅志、両者とも死を迎える曲面であろう。しかしこれはゲーム、より長く生き残り続けることに焦点はある。硬い殻に篭る雅志か、それとも瓦礫の雨に生身を晒すオリヒメか、――結末は言うまでもない。


「いやぁ……いやあああああああああああああああ!!」


 彼女の叫びが乾いた雨音の中、聞こえた。声を張り上げることのないあのオリヒメの声だとは、にわかには信じられない。雅志は思わずほくそ笑む。


「やだ……ヤダ! 私が負けるはずなんかない! 千石に負けるはずなんて!!」


 勝手に言っていればいい、雅志は人知れずそう呟く。


「ばーか、ざまあみろ。誰を相手にしたと思ってるんだ。元ゲームチャンピオンなんだぞ、こっちは」


 その時、この〈マイナス・ゲーム〉をプレイして以来最大級の音を雅志は耳にした。それと同時にオリヒメの絶叫がこだまし、以降、ピタリと彼女の声はやんだ。

 雅志は上に掲げた、勝利を知らせるスマートフォンを消えゆく意識の中で眺めて、


「やっと……勝てたんだ」

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