第4話

 そんな長い時間、電車に乗っていないのに、いつの間にか昼になっている。空を見ながら歩いていると、けつまずいて転びそうになった。地面に手をついた時に、目を疑った。地面のタイルも真っ青だ。いいや、それだけではない。建物の屋根も壁も、電柱もポストも全てが青一色だ。一番薄い青と一番濃い青、その濃淡はあるけれど全てが青だ。

「き、気色悪い」

 奇妙な場所にやってきてしまった。青一色だなんて、センスを疑ってしまう。僕は、物珍しく辺りをキョロキョロしながら、探索を始めた。青一色とは言え、さすがに行きかう人々の肌の色や髪の毛は、青ではなかった。だが、服やアクセサリーは青で、僕だけが浮いているように感じた。でも、誰も僕を奇異な目で見てこない。周囲に同調しているのは、ピアスだけなのに。

 当てもなく彷徨っていると、鼻腔を刺激する香ばしい匂いが漂ってきた。なんだか、とても懐かしい気持ちだ。匂いの正体は、すぐに分かった。ハンバーグの匂いに引き寄せられるように、鼻をスンスン鳴らして歩いていく。すると、一件の家へと辿り着いた。まるで、玩具のようにこじんまりとした一軒家だ。僕は、背伸びをして、小窓から中の様子を伺った。目に飛び込んできた光景に、思わず声が出そうになり、咄嗟に口を押えた。

 家の中には、僕の母親と小さな子供が二人、テーブルを囲んでいた。

「いったい、どういう事なんだ?」

 茫然と眺めていると、母親と目が合ってしまい、僕は反射的に逃げ出した。

「アキ! そんなところで、なにをしているの?」

 背後から母親に声をかけられ、恐る恐る振り返った。すると、優しく微笑む母親が、手招きをしていた。

「さあ、早く中に入りなさい」

 金縛りにあったかのように、僕の体は硬直した。指一本動かず、声も出ない。

 いつ振りだろう。母さんのあんな笑顔を見たのは。

「アキ?」

 母さんが首を傾けて、不思議そうな顔を見せると、僕の体は自然と動き出した。母さんに促されて家の中に入り、空いている椅子に腰を掛けた。そして、僕の体は、また固まった。椅子に座る小さな二人の男の子は、ヒロと・・・僕だ。二人とも小学生の低学年くらいだ。目を見開いて二人の少年を眺めていると、テーブルいっぱいの大きな皿を、母さんが運んできた。皿の上には、山盛りに積まれたハンバーグが乗っている。二人の少年は、目を輝かせて、大はしゃぎをしていた。

「いっただきまーす!」

 二人の少年は、声を合わせ腕を伸ばした。僕は咄嗟に、フォークを握るヒロの手を掴んだ。

「ハンバーグを食べて大丈夫なの?」

 不思議そうな顔を見せるヒロと見つめ合っていると、母さんが僕の手の上に手を重ねた。

「大丈夫よ。アキも沢山食べてね」

 優しく微笑む母さんに、妙な恥ずかしさを覚え、素早く手を引いた。丁度、弟が目の前にいるヒロくらいの時の事だ。体調を崩していたヒロが、ハンバーグを食べて嘔吐してしまった。そのトラウマからか、ハンバーグを見たり匂いを嗅ぐと、ヒロは具合が悪くなった。そして、我が家の食卓に、ハンバーグが出る事はなくなった。母さんの作ったハンバーグを食べるのは、いつ振りの事だろう。僕達三人は、夢中になってハンバーグを頬張っている。母さんは、嬉しそうに僕達を眺めていた。

 膨れたお腹を摩りながら、椅子にもたれていると、母さんが皿を片付けた。すると、小さな僕とヒロが、テーブルに画用紙を広げ絵を描き始めた。僕は身を乗り出して、二人が描く絵を眺めた。やはり、僕・・・チビアキの方が、絵が上手だ。

「二人に絵を教えてあげて。アキは、とっても絵が上手だものね」

 僕の隣にやってきた母さんが、僕の肩に手を置いて目を細めた。僕は、ササッと二人の似顔絵を描いてあげると、大きな歓声が上がった。僕達三人は、夢中で絵を描いた。きっと、僕が一番楽しんでいたはずだ。

 僕が、色鉛筆を走らせていると、チビアキとヒロは飽きてきたようで、テレビをつけた。聞こえてくるテレビからの笑い声に、顔を上げた。テレビでは、バラエティー番組がやっていて、咄嗟に母さんを見た。母さんもチビ二人と一緒に、笑っている。我が家では、バラエティー番組は、ご法度だ。父親が、酷く嫌っているからだ。父親の目を盗んで見ていた事を思い出した。僕は、皆と一緒にテレビを見て笑った。そして、母さんの楽しそうな横顔を盗み見して、鉛筆を走らせた。

 僕は、椅子から立ち上がって、母さんに画用紙を差し出した。母さんを描いた絵だ。あまりにも恥ずかしくて、僕は家を出る。

「アキ! どこへ行くの?」

「ちょっと、散歩にいってくるよ」

「早く帰ってきてね」

 母さんは、僕が描いた絵を胸に抱き、心配そうだった。僕は、小さく頷いて、家を出た。

 まるで嘘のように楽しい時間だった。現実との落差を考えると、愕然とした。ここはいったい、どこなのだろう。

「ねえ、アキ!」

 家から遠ざかっていると、突然呼び止められた。振り返ると、小さな僕が立っていた。

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