第64話 勇者グランの愛の物語 その4

 マリクが人差し指と親指でつまんでいる小瓶の中には、琥珀色の液体が入っている。

 その液体に俺の顔が映り込む。

 我ながら、何ともいえない表情だ。

 困惑と歓喜そして自己嫌悪が混じり合ったような複雑な気持ちを、顔と言う額縁に、目、鼻、口で表したかの様だ。


「何を迷ってるんだ? お前がやることはただ一つ」


 欲望のままに生きること。


「うう……」


 マリクの言葉はいつも核心をついていた。

 だが、こんなものを使ってマリナを振り向かせたとしても、それは本当の愛なんかじゃない。


「格好つけるんじゃない。お前は元々、あの女を牢獄に閉じ込め、言うことを聴かせようとしてたじゃないか。結局、お前は、何かの力を借りなければ、あの女をものに出来ないんだ」

「くっ……」

「それとも、このまま思いを果たせず死ぬか?」


 マリクはそう言うと、瓶を持った手を振り上げた。


「ま、待って!」


 俺はその動作に驚き、情けない声を上げる。

 それを見て、ニヤリとするマリク。


「いいか? 飲み物に混ぜるだけでいい。それだけで効果がある」

「本当か?」

「ああ。この私が苦労の末、27ループ目でやっと創り上げたものだ。あんな小娘に効かないはずがない」


 27ループ?

 マリクはたまに訳が分からないことを言う。

 マリクは一見小柄で大して強そうに見えない。

 だが、優れた知性と、何物にも動じない態度。

 年は俺より1こ上なだけだが、この世を知り尽くしたかの様な目をしている。

 俺達とは違う世界で生きているのではと、その存在を遠くに感じる時がある。

 ステータス的には俺と遜色ないはずだが、まだ見せたことも無い得体の知れないスキルを持っていそうなので気味が悪い。



 その日の夜。

 毎晩、俺とマリナは食事をする。

 いつも会話は無い。

 正確には一方的に俺が話すだけで、マリナは気まぐれに相づちを打つだけだ。

 俺はそんな気まぐれに喜びつつ、彼女が食べ物を咀嚼する姿にドキドキする。

 そのドキドキが、今日はいつもより強い。


「ありがとう。ソーニャ」


 メイド服を着た給仕係の太った女、ソーニャがマリナのグラスに水を注ぐ。

 マリナはソーニャから給仕される物しか食べないし、飲まない。

 平民の出のソーニャと、同じく平民の出のマリナは出自が同じことから気が合う様だ。

 城の中で仲良く話しているのを、よく見掛ける。

 だから、マリナはソーニャが差し出す物に毒が入っているなど、夢にも思わないだろう。

 否、毒じゃない。

 惚れ薬だ。

 マリナはグラスに口を付けた。

 気付いていないようだ。

 もしも、気付いたらこう言うだろうか……


「いっそ、毒でも盛って殺してくれればよかったのに」


 俺は、思わず吹き出してしまった。

 自分の愚かさに。

 何が、勇者だ。

 俺は最低だ。

 だけど、俺はそれでもマリナが欲しかった。


 そんな俺を不思議そうな顔でマリナが見ている。

 グラスはもう空っぽだった。




「グラン……」


 マリナの声は、今や、俺を寄せ付けまいとする硬い声では無かった。

 甘く、柔らかい、まるで恋人が耳元で囁く様な声だった。


「好き……」


つづく

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