第5章 勇者の国編

第61話 勇者グランの愛の物語 その1

「これ以上近づいたら、舌を噛んで死にます」


 黒髪の美しい女は無表情で、俺に向かってそう言った。


「死ねばいい。出来るならな」


 俺は精一杯の恐ろしい表情でそう言ってやると、女の両肩に手を掛けた。

 勢いをつけ、押し倒す。

 女の身体は羽のように軽く、ふわりと後ろに倒れる。

 小さな後頭部が羽毛布団の上ではねた。

 俺は女の頬に手を触れた。

 冷たくて柔らかい。

 女の目は真っすぐ俺を見ていた。

 俺はその朱色の唇を奪おうとする。

 だが--

 女の口の端から血があふれ出ている。

 こいつ、本気で舌を噛み切るつもりだ。


「やめろ! 頼むから、やめるんだ!」


 俺は女の口に手を入れ、自殺を止めようとする。

 口の中は血でぬるりとしていた。

 女は起き上がり、白いおもてに真紅の血を滴らせながら、動転する俺を紫紺の瞳で見下ろした。


「憐れな人。あなたは人から愛されたことが無いから、こんなやり方しか出来ないのね」


 落ち込む俺の肩を、女が両手で優しく包み込む。

 俺の乱れた心がほっこりと暖かく癒されて行く。


 女の名前はマリナ。




 一年半前。


 魔王討伐が完了し、俺は晴れてこの大陸の王となった。

 圧政をしくことで、皆、俺にひれ伏す。

 うるさいディオ王は流罪にしてやった。

 欲しいものは何でも手に入る。

 俺は理想の女を妻にしたいと思った。

 先代の王様、ディオの娘であるジェニ姫は、顔は美しかったが性格が全く合わなかった。

 婚約破棄してやったら、俺の頬をひっぱたきやがったので追放してやった。


 俺は母親を知らない。

 だから、優しい母親の様な女を求めていた。

 市井を歩き、目に付く女は親衛隊を派遣し、無理やり引っ張てこさせた。

 

 だが、どの女でも満足出来なかった。

 心は満たされない。

 

 そんな無為な日々。

 マリナを見つけたのは幸運だった。

 今思えば、胸を締め付けられる日々の始まりだったが。


 たまたま俺は親衛隊を連れ、街を探索していた。

 薄汚い教会の横を通った時、

 純白のドレスを着たマリナ(この時、俺はまだマリナの名前を知らないが)がそこにいた。


 一目ぼれだった。


 俺は声を掛けようとした。

 だが、王が自ら平民と接する訳には行かない。

 国民に知られたら、なめられる。

 躊躇していると、俺の両目に驚くべき光景が飛び込んで来た。


 ケンタ。


 黒いタキシードを着た雑用係。

 俺がパーティから追放し、平民に落とした男。

 そんな男がマリナと腕を組んでいる。

 俺は気が狂いそうになった。

 ケンタを平民に落としたのは理由がある。

 平民にしたことでマリナと知り合えたのか?(後でマリナに訊いたら、ケンタは彼女が拾って育てたらしい。その事実も羨ましい)


 俺は結婚式の様子をじっと見ていた。

 どす黒い感情が俺の中から湧いて来る。


「さすがに人妻は……」


 親衛隊長が俺の決定を覆そうとする。

 だが、俺は指示した。


「やれ」


つづく

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