223●『おたくのビデオ』(1991)⑩ブルース・リーの本物感とラノベ感、ルサンチマンをエネルギーにブレイクスルー!

223●『おたくのビデオ』(1991)⑩ブルース・リーの本物感とラノベ感、ルサンチマンをエネルギーにブレイクスルー!




 ルサンチマン即ちハングリー精神を、いずこから学び取るか。

 少なくとも、同じアニメやラノベの世界にネタがないことは明らかです。

 とすると、現実世界の実例から、その要素を探り出すのが適切では?


 そのアプローチ手法として……


 第一に「恵まれぬまま早逝そうせいし、死後に高い評価を得た人物」が何を遺したのか、それを参考にしてみてはいかがでしょうか。


 創作の道半ばで訪れた、早すぎる死によって“未完の人生”に終わったものの、後世にその作品や業績が認められ、かけがえのない影響を遺した文化創造者。

 そこには、「大量生産・大量消費」のマンネリ芸術とは本質的に異なる、何かがあるはず。


 第二に「生前に名声を得たものの、不幸な無念の死を遂げた」ケース。

 これも“未完の人生”ということですね。

 未完ゆえに「到達できなかった理想」とは何か、考えさせてくれます。

 かれらは、人生のゴールに何を夢見ていたのだろうか?


 そして第三に……。

 「生前にさほど評価されず、今も評価されていない作家だけれど、あなた自身が感動する作品を発掘できたケース」ですね。


       *


 思いつくものを例示してみます。


文学の世界では……

◆エドガー・アラン・ポー(1809-49):作品は評価されたが、終生貧困に苦しむ。

◆エミリー・ディキンソン(1830-86):詩人。

◆ハーマン・メルヴィル(1819-91):70歳代に没、しかし生前に評価されず。

◆アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900-44)

◆フランツ・カフカ(1883-1924)

◆宮沢賢治(1896-1933)

◆中島敦(1909-42)

◆小林 多喜二(1903-33):『蟹工船』の作者。

◆金子みすゞ(1903-30)

◆知里幸恵(1903-22):『アイヌ神謡集』

あるいは……

◆石垣りん(1920-2004):早逝とは言えませんが、少ない作品の面白さは抜群。

◆平田晋策(1904-36):マイナーですが『新戦艦高千穂』の作者、交通事故死。


画家では……

◆フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)

◆ポール・セザンヌ(1839-1906):死後に評価高まる。

◆アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)

◆ポール・ゴーギャン(1848-1903):死後に評価高まる。

◆田中一村(1908-77):死後に評価高まる。


映画関係では……

◆チャールズ・チャップリン(1889-1977):作品はアカデミーを逸し、晩年は米国を事実上追放。

◆ジェームズ・ディーン(1931-55)

◆ブルース・リー(1940-73)

◆クリストファー・リーヴ(1952 - 2004)

◆川島雄三(1918-63):映画監督


写真家では……

◆ロバート・キャパ(1913-54):ベトナムにて地雷で爆死。

◆ゲルダ・タロー(1910-37):キャパに名声を与えた写真の、真の撮影者。

◆沢田教一(1936-70):名声を得るが取材時に襲撃され死亡。

◆一ノ瀬 泰造(1947-73):のち映画化『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999)


その他

◆フランツ・シューベルト(1797-1828)

◆ガリレオ・ガリレイ(ユリウス暦1564-グレゴリオ暦1642):晩年不遇。

◆グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-84):死後に評価高まる。

◆アルフレート・ヴェーゲナー(1880-1930):“大陸移動説”評価されず遭難死。

◆野口 英世(1876-1928):任地のアフリカで病死。


生前に名声を得たものの、非業の死を遂げた人。

◆ジャンヌ・ダルク(1412-31):軍人であり聖人、死後数百年を経て名誉回復。

◆ロアルド・アムンゼン(1872-28):探検家、人命救助に赴き行方不明。

◆アメリア・イヤハート(1897-37):飛行家。

◆チェ・ゲバラ(1928-67):革命家。

◆植村直己(1941-84):冒険家。

◆織田信長(1534-82)

◆アレクサンドロス3世、大王(紀元前356-紀元前323年)

◆クレオパトラ7世フィロパトル(紀元前69-紀元前30年)


特殊な事例

◆アドルフ・ヒトラー(1889-1945):アンネ・フランクへの加害者、悪しき例。

◆アンネ・フランク(1926-1945):ヒトラーの被害者。


       *


 なにか、ありそうな気もするのですが。


 新たなるルサンチマン(=ハングリー精神)をエネルギーに、マンネリの壁をブレイクスルーする方法が……


       *


 最近はブルース・リー(1940-73)の生き様と作品を再確認しています。

 彼の出演作品はおもに『ドラゴン危機一発』(1971)、『ドラゴン怒りの鉄拳』(72)、『ドラゴンへの道』(72)、『燃えよドラゴン』(73)、そしてリーが生前に撮影されたフィルムを編集した『死亡遊戯』(78)の五作ですが、この五作(というかハリウッド映画としては『燃えよドラゴン』の一作のみ)だけで永遠の名声を獲得したことに驚かされます。やはり奇跡的な出来事でしょう。

 そして五作とも、その物語は……

 みんなラノベ。そのまま文字に起こせば、まんまラノベですよ。

 格闘技ラノベの元祖、ここにあり、です。

 視覚的要素は、後世の格闘映画ではワイヤーアクションにCGや特撮が組み合わされますが、『ドラゴン危機一発』(1971)や『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)の時代は主役の演技とスタントの合わせ技だけで魅せてくれますね。つまり、リアルすぎるほどの本物感が満載。何度観ても、あれは凄い……

 加えてリー本人の、若さゆえの生意気さと、人なつこい剽軽ひょうきんさのバランスの面白さ。やはり、単なる格闘映画とは、ちょっとテイストが違います。

 あくまで個人の感想ですが、リーの「寂しいから構ってよ」的な感じがチラチラと演出されて、あれは女性のハートをズキュンですね。しかしご本人も、マジに孤独の辛さに直面したことがあるのでは。そして実社会の不条理に対する反発と怒りも。

 特に『……危機一発』と『……怒りの鉄拳』の初期二作の主人公は、弱者を踏みにじる強者に仲間や家族を殺されたルサンチマンを激しい原動力としています。もう、典型的なルサンチマン映画です。

 しかもリーは最後に正義の殉教者となるんですね、つまりテンプレな型にはまった勝利者として凱旋するのでなく、自ら全てを捨ててゼロに戻るのです。彼自身の哲学「水になれビー・ウォーター」のように。

 ドキュメンタリーも何本か観ましたが、現実のリー自身も、最初の主演を果たすまでの米国での不遇時代に、白人社会で経験した差別などのルサンチマンをエネルギーに変えているように見えます。


 しかし彼は、格闘家としての自分の限界を悟っていました。自ら監督・脚本も務めた『ドラゴンへの道』(1972)のラスト近くで「武器がはびこるこの世界で、彼が生きていくのは大変なことかもしれない」というセリフが挿入されています。武器とは銃器のことですね。

 この作品の設定は現代であり、いくらでも拳銃をブッ放すマフィア相手の闘いとなっています。

 いかなる格闘技も遠方から撃つ銃火器にはかなわない。

 これは、格闘家としての現実の自分に加えて、映画という架空世界の自分においても、決定的かつ悲劇的な限界です。

 なるほど、格闘映画の多くが、銃器を使用できない特殊な条件下か、近代的な銃火器が民間に普及していない19世紀以前に時代設定している理由に納得できますね。

 リーは、格闘映画という作品の行き詰まり、その先に立ちはだかる袋小路を早くから予見していたように思います。

 そこには絶望しかないのか、それとも壁を打ち破るブレイクスルーはあるのか。

 ブレイクスルーがあるとすれば、格闘という肉体的フィジカルな戦闘技術ではなく、格闘技の道を究めようとする自分の精神的スピリチュアルな力によってのみ、実現できるのではないか……

 そんな、不安に似た悲壮感も、どこかに漂ってきます。

 やはり、宿命と悲劇の人であったのでしょう。


 リーが存命していたら、今は80歳代。

 生きていれば、彼の目に、今の故郷・香港はどのように映るのでしょうか?

 老師の帰郷、それだけでドラマになりそうな。



  【次章へ続きます】


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