221●『おたくのビデオ』(1991)⑧象牙の塔に君臨する、“超高級オタク文化”。

221●『おたくのビデオ』(1991)⑧象牙の塔に君臨する、“超高級オタク文化”。



ネットのニュース

●実物大ガンダム、大阪・関西万博で展示に意見さまざま 「こいつ動かないぞ」「関西に立つ」名セリフにちなむ声も

2024 6/26(水) 14:33配信 中日スポーツ

来年の大阪・関西万博に実物大のガンダムを展示すると、バンダイナムコグループが26日、発表した。これを受けてネットにはさまざまな声が挙がった。

ことし3月まで横浜市でのイベントで展示されていた「動くガンダム」を再利用。片膝を立てて腕を大きく上げるオリジナルポーズの高さ約17メートルで、動かない。


 また、このような展覧会も。


●日本の巨大ロボット群像展

(京都文化博物館 公式サイトより)

会期:2024年7月6日(土)~9月1日(日)

当日券は大人1800円、小学生700円

初の巨大ロボットアニメ『鉄人28号 』放映から60年。

日本独自のジャンルである「巨大ロボットアニメ」のデザインとその映像表現の歴史を紐解き、「巨大ロボットとは何か」を問いかける、かつてない展覧会。

(前略)「動くガンダム」を始めとする架空の「実物大」ロボットが日本の主要都市に存在し、それらは今や日常的な風景となっているほどです。


       *


 いや、「巨大ロボットとは何か」とドヤ顔で問いかけられてもねえ……

 「子供のおもちゃ」だったはずでは?

 20世紀では、秋葉原あたりの今は無きタイガーホールみたいなお店で、ささやかに無料でファンが集うといった販促行事だったのが、今は国家的イベントや公立の博物館に場所を移して、権威ある偉い方々の監修のもとで麗々しく開催されるとは……

 まさに隔世の感。

 そして“架空の「実物大」ロボットが日本の主要都市に存在し、それらは今や日常的な風景となっている”とされる現実。

 これぞ日本全国のオタクランド化です。

 オタク文化の権威化と高級化、とどまるところを知りません。


 まあ、それはそれで結構なことですが……


 脚光を浴びるのはメジャーな大ヒット作ばかり。

 できれば、「過去に埋もれつつある良作」の発掘と再評価にこそ、力を注いでほしいとも思うのですよ。


 たとえば『ロボットカーニバル』(1987)は絶対にアリですよね。所収の『明治からくり文明奇譚〜紅毛人襲来之巻〜』は傑作です。また『大江戸ロケット』(2007)にもデカい奴が出てきましたね。

 あ、それに『ARIEL』(エリアル/1989にアニメ化)を抜かしたらあきまへん。美少女型巨大ロボはオタクたちの“自由の女神像”ですしね。

 それに変形ロボの元祖的存在である『マグマ大使』(1966)もね。

 『THE ビッグオー』(1999-2000)は絶対にスルーせずに、あの謎々だらけをキチンと説明してほしいものです。巨大ロボットを哲学した貴重な大作なんですから。

 それに洋物とはいえ『アイアン・ジャイアント』(1999)はどう解釈されるのか。

 それと『スペースボール』(1987)の超巨大メイドロボ。あのメイドロボはオタク文化として超革新的でした。日本のメイドオタク文化よりも先行していましたから。

 マイナーですが『サイボーグ009』の漫画版(1964-)で出てきた敵役の『0013』と彼を収容する巨大ロボットのエピソードは忘れられません。コミュニケーション能力に障害を持つ0013にとって、巨大ロボットは009たちと交流できる数少ないツールだったのでしょう。その結末の哀しさといい、これこそが「巨大ロボットとは何か」との問いに対する完璧な答えではないかと思います。


       *


 さて……

 前章で、オタク文化は、「高級オタク文化」と「低級オタク文化」に分かれている……と申し上げました。


 実はその中でも群を抜いた“最高級”のオタク文化が、私たちの目の前に具現化していますね。


 今年、2024年の2~9月に「京都市京セラ美術館」で開催中の、『京都市美術館開館90周年記念展 村上隆 もののけ 京都』です。


 『洛中洛外図』や『風神雷神図屏風』など国宝や重要文化財の伝統芸術が、登場キャラクターをオタクなアニメキャラ風に置き換えた、ある種のパロディ作品となって展示されています。

 しかしそれら伝統芸術の逸品は、これまで国家が保護する象牙の塔の権威によって、厳重に守られてきたもの。

 それが、オタク風パロディに再解釈され、なんかもう、アニメキャラのお土産饅頭か人形焼きの箱の包装紙もどきなデザイン(あ、あくまで個人の感想です)に変貌した作品が、厳格極まりない公立の美術館で賑々にぎにぎしく展覧されている……。


 これこそ、オタク文化に国家が自ら権威のお墨付きを与えた証文みたいなもの。

 その結果、展示作品は一枚何億円? という、20世紀のオタク文化では想像もつかない超高級アートに所謂いわゆる“大化け”しちゃってるんですね。これぞ魔法を超えた現代の錬金術!

 それらの作品はNHKの『フロンティア』で、アンディ・ウォーホル(1928-87)の超高級ポップアートと並び讃えられていました。

 1962年に発表された『キャンベルのスープ缶』で一世を風靡したウォーホルは、「派手な色彩で同じ図版を大量に生産できるシルクスクリーンの技法を用い、スターのイメージや商品、ドル記号など、アメリカ社会に流布する軽薄なシンボルを作品化した。古典芸術やモダニズムなどとは異なり、その絵柄は豊かなアメリカ社会を体現する明快なポップアート、商業絵画としても人気を博した。しかし、そこにはアメリカの資本主義や大衆文化のもつ大量消費、非人間性、陳腐さ、空虚さが表現されていると見ることもできる。」(ウィキペディアより)とも評されています。


 このように、“オタク文化を国家が権威づけしたことで成立した超高級デラックスなポップアート”なるものが立ち現われ、20世紀には「子供騙しだ変態だ」と蔑まれたオタク文化をこよなく愛したファンの目の前で神格化していく、奇々怪々な現代なのであります。


 こういった「超高級オタク文化」の台頭は、富裕層様の御趣味としてはよろしいかもしれませんが、昔ながらのチープなオールド・オタク文化ファンにとっては、ちっとも嬉しくない現象でして。


 「つまらん」の一言です。

 だって、低級だから、良かったのですよ。


 常識を重んじる世間様からバカにされ続けたからこそ、そこに沈殿していくルサンチマンの精神が、マグマのような創作エネルギーに転換されて、1980年代にオタク文化を爆誕させたのだと、そう思うわけです。


 ルサンチマン(仏: ressentiment):弱者がかなわない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。


 当時の松本零士先生の漫画作品『男おいどん』(1971-73)がその急先鋒で、続くアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974)から、『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』などは、「理不尽な強者に対する、虐げられた弱者の怒り」が物語の下敷きとなっていましたね。

 ガンダムもマクロスも、主人公たちは弱者の側であり、しかも、味方の偉いさんたちからも見放されたり利用されたりと、けっこう散々なめに遭っています。乗っているのは子供ばかりなのにシレッと最前線に送り込まれるホワイトベース、せっかく地球に帰れたのに各国政府からツマハジキされてさまよえるマクロス艦……


 『おたくのビデオ』の主人公二人も、“まともなオトナ”からバカにされ、事業の成果が大資本メジャーに奪われるなどの悲劇に遭遇、強者に対する弱者の悲哀とルサンチマンを心のバネにして、おたくの帝王オタキングを目指します。


 こうした、弱者の立場に共感できるルサンチマンの切なさこそ、1980年代のオタク文化を支えた創作エネルギーの源だったのではないでしょうか?


       *


 それから、過ぎることおよそ半世紀……

 すっかりセレブ化し、権威あふれる象牙の塔に奉られた“高級オタク文化”。

 古くからのオタク文化は、格差社会における豊かな人々、すなわち社会的強者の愛玩物になってしまったのです。


 つまるところ、「富裕層の、富裕層による、富裕層のための高級オタク文化」と、「貧民の、貧民による、貧民のための低級オタク文化」にくっきりと色分けされてしまった……ということですね。

 

 高級オタク文化は、瀟洒な額縁に収められた、一枚何億円という作品です。

 低級オタク文化は、タダで観る深夜アニメか、ワンコインガチャで入手します。


 つまり、オタクたちですら、格差社会の中で“上級オタク”と“下級オタク”にくっきりと境界分けされてしまい、それぞれが別々の国に住んでいるような生活を営んでいるという状況ですね。


 これは、オタク文化にとって、決して望ましい状況とは言えません。

 高級オタク文化と低級オタク文化、それぞれの中で内容が固定マンネリ化していくことが、容易に想像できるでしょう。


 古い高級オタク文化を継承(模倣)して、新たな高級オタク文化が創られる。

 古い低級オタク文化を継承(模倣)して、新たな低級オタク文化が創られる。

  

 これが未来永劫の如くに、繰り返されていくのです。

 2024年の今、そうなってきたことが、じわじわと実感されますね。


 オタク文化は、今後、未曽有の停滞期、いや倦怠期を迎えることでしょう。


       *  

 

 社会の貧富の格差は、そのままオタク文化の中身の格差となって現れています。

 昔のオタク文化は、おしなべて、貧しくて弱い庶民の熱き心の占有物でした。


 1970年代から90年代にかけて、ニッポンのアニメのスタンダードを確立した“世界名作劇場”の主人公たちは、言わずもがな、「貧しき弱者」でしたね。マルコもペリーヌも、レミも、青い空のロミオも。

 20世紀のジブリアニメ系列作品も、どちらかというと主人公は「貧しき弱者」の側に立っていました。ナウシカもラピュタもそうで、極めつけは『火垂るの墓』。


 しかしながら21世紀のジ●リアニメは、主人公にボンビーさを感じなくなりましたね。生活のゆとりを感じさせます。

 90年代のバブル経済で、庶民が一時的にリッチになった、そんな社会の空気をそのままずっと反映しているのかもしれません。

 ボンビー路線のTVアニメでは、2000年の『NieA_7』(ニア アンダーセブン)が筆頭格でしょうが、それ以降は経済格差の拡大でリアルボンビーな庶民が激増していったにもかかわらず、ボンビー生活と闘うアニメはかえって見られなくなりました。


 みんな、異世界へ転生して、そっちでリッチ三昧ざんまいする道を選んだみたいです。

 しかし、しょせんはタダで観るTVアニメ。

 一回30分弱の、現実逃避に過ぎません。

 いくらチート力で無双しようが親ガチャ大当たりだろうがラッキー続きで成り上がろうがハーレムざんまいで世界制覇しようが、画面のエンドロールと次回予告が終われば、そこには現実があるばかり。

 酷税と物価高騰にヒイヒイ言う生活に変わりありません。

 結婚も出産も子育ても、非正規雇用の庶民には高嶺の花、もはや上級国民様の贅沢になってしまいましたね。そうでなければ首都の合計特殊出生率が1を切るなんて異常な現象が起こるはずがないのです。だって人類、基本的に生殖活動セックスは好きなのですから。


 そして、国家に選ばれしオタク文化はより高く権威化し高級化して、庶民のボンビーオタクがはるかな象牙の塔に仰ぎ見る、高値のリッチカルチャーに変貌してしまいました。


 いや別に、そのことをいけないとは申しませんよ。

 「おもろない」だけでして。


 ただ、そうやって「高級オタク文化」が象牙の塔に君臨してしまいますと、新たなるオタク文化はみな、「高級オタク文化」の猿真似でダウンスペックの模倣品と化してしまうということですね。

 同じ現象が、「低級オタク文化」の中でも繰り返されます。


 それでも儲かる輸出文化として、今は通用しますが、それは歴史的な円安だからお買い得なわけで、うかうかしているとK国やC国の作品に質量ともに追い抜かれていくであろうこと、先述した通りです。


 おそらく、いまやK国やC国の作家たちの方がエネルギッシュで貪欲で挑戦的ではありませんか?


 ニッポンのアニメ作家やラノベ作家、K国やC国のかれらに太刀打ちできるかどうか……

 翻訳ソフトがもう少し進歩すれば、ネット投稿のラノベですら、海外の書き手の作品が手軽に読めるようになるでしょうし。


       *


 ニッポンの古き良きオタク文化は、権威ある象牙の塔に囚われてしまいました。

 カリ城の塔に閉じ込められたクラリス姫を救い出す大ドロボーさんのように、再びこの国に斬新な「シン・庶民オタク文化」を取り戻してくれる創り手は現れるのだろうか?


 オールドオタクファンとして、期待したいところなのですが……


       *


 では、どうすればいいのか……

 



     【次章へ続きます】


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