219●『おたくのビデオ』(1991)⑥アンチテーゼとしてのミリタリー、そのアンチテーゼはあの名作『寿歌《ほぎうた》』?
219●『おたくのビデオ』(1991)⑥アンチテーゼとしてのミリタリー、そのアンチテーゼはあの名作『
アニメやラノベに限らず、映画も小説も絵画も音楽も、「新しい魅力を備えた作品」というものは、既成の文化や社会に対する、何らかのアンチテーゼが包含されているようです。
今の世の常識はこうでも、私の作品ではこうだ! ……という、オリジナリティにこだわる意思の提示ですね。
そこに、たとえささやかでも革新の芽が育ち、新しい文化が生まれるのではないでしょうか。
映画では、たとえば『E.T.』(1982)。
“宇宙人は侵略してくる”という、伝統的なSFの概念に一石を投じましたね。
小説では、たとえば『不思議の国のアリス』(1865)。
“主人公は男子”という固定概念を吹き飛ばし、少女が大活躍しますね。
絵画では、たとえば、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の作品たち。
私には説明する能力がありませんが、アルル在住以降(1888~)の作品、たとえは『星月夜』(1889)の表現なんて空前絶後ですよね。ファン・ゴッホの前にも後にも同様の作風は無かったように思います。
音楽では、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナーなど18~19世紀の巨匠たちは、先人の音楽を新しい着想と様式で乗り越え続けましたが、20世紀ではやはりビートルズ(1962年にデビュー、1970年に事実上解散)ですね。ロックという分野にとどまらず、世界的な熱狂を巻き起こしたのは、それまでの音楽シーンの常識を覆す魅力があったからでしょう。
*
ということは……
思い返してみましょう。
20世紀のオタク文化の最初の大きな潮流を生み出した作品。
ヤマト、ガンダム、マクロスの三作品ですね。
いずれも表現形式はアニメであり、作風はSFという点が共通しています。
アニメとSF。
これ、オタク文化の基盤と言うか、土壌のようなものですね。
そこに“萌え”という
しかしその一方で……
ヤマト、ガンダム、マクロスの三作品には、もうひとつ共通項がありました。
「ミリタリー」の要素です。
いずれも、戦争をメインに扱っていました。
今でこそアニメの戦争場面はありふれていて、美少女が生足のノーヘルで対戦車砲みたいな殺人兵器をブッ放しても誰も驚きませんが、ヤマト放映が始まった1974年では、世間のタブーに真っ向から挑むような、社会的問題作だったのです。
米軍統治だった沖縄が日本に返還されたのは1972年、翌1973年には米軍がベトナム戦争に事実上の敗北を認めて総撤退するという歴史的大事件が起こります。
日本国内はもう、反戦ムード一色。
愚かなるベトナム戦争、ついに終わる。
学生運動は下火となり、ヒッピーが怪しい煙を吸ってピースを叫ぶ世相でした。
そこに登場した宇宙戦艦ヤマト。
世の良識あるオトナたちは、「右翼の軍国アニメ」と
プロデューサーの故N崎さんが、いかにも右寄り風の言動だったことも災いしたとおもわれます。
要するに、平和なニッポンに戦艦ヤマトを復活させてブワーッと戦争するTV漫画を日曜夜7時半のお子様ゴールデンタイムにぶつけたわけです。
ヤマトが放映された1974年10月から翌年の3月まで、同じ時間帯に被っていたのは、世界名作劇場の『アルプスの少女ハイジ』(1974)と『フランダースの犬』(1975)でしたから、PTAなお母さんたちからすれば、毎回バカスカ殺し合う戦争アニメなんて、よい子に見せたいはずがありません。
結局、裏番組化したヤマトは山娘と忠犬に敗れ去る結果となりましたが……
まあ、むべなるかな、でございます。
しかしながら、ヤマトを皮切りにオタクなアニメブームが爆誕したことは事実。
世の中の良識あるオトナたちが目をそむけるのをよそに、ヤマト、ガンダム、マクロスの三作品は、「ミリタリー」というアンチテーゼを社会の常識に突き付けたわけであり、それを若者たちは歓迎したのです。
アルプスやフランダースがどんなに平和なお花畑でも、戦争は否定できないのだよ、フッフッフ、ヤマトの諸君……と。
あ、これはあくまで私個人の感想です。
私自身は遊星仮面が「戦争をやめろ!」と叫ぶ姿を全面的に支持します。
昭和のヒーローはああでなくちゃ。
戦争なんか、絶対に許されるべきものではありません。
しかしウクライナがそうであるように、逃げ場のない戦争を他者から強いられる現実というものには、備えておかなくてはならないと思います。(以下省略)
まあしかし、ヤマト・ガンダム・マクロスはあまりにも殺しまくりました。
ヤマトは波動砲一発で、一般市民を含めたガミラス人を無慈悲に大量虐殺、一国を滅亡させました。
その現場に際して古代君が「おれたちに欠けていたのは愛することだった」みたいな述懐をいたしますが、これは寝ぼけた遅刻の言い訳みたいなもので、
そして……
ガンダムではコロニーを落として人類の半分を。
マクロスではゼントラーディとの開戦で人類のほぼ全部を。
その内容の良し悪しはともかく、「戦争ってこうなんだ」というアンチテーゼが、当時のオトナたちの常識にドカンと突き刺さったのではないでしょうか。
しかしヤマト、ガンダム、マクロス共に、「完全な戦争礼賛ではなかった」ことは確かですね。ここはフォローしなくてはならないところ。
ヤマト最終話で、沖田艦長が亡くした家族の写真に涙する場面。
ガンダムでは『ククルス・ドアンの島』というエピソード。
マクロスでは、戦後の復興の地味すぎる労苦を描いたこと。
押さえるべきところは、押さえていたと思います。
とはいえ、オタク文化の“発進!”に、それまで社会が忌避していたミリタリー、すなわち戦争の要素が強烈なアンチテーゼとなって、それがブーム推進の
オタク文化は、当時の社会常識へのアンチテーゼから出発したのです。
*
しかしこちらも、忘れてはなりません。
ヤマト(1974)→ガンダム(1978)→マクロス(1982)のオタク文化爆誕の時代に、演劇の分野に誕生したこの名作を。
『
役者が舞台で演じる劇ですが、2022年に人形劇となって再演されたとき、下記のようにネットに紹介されています。
●作者・北村想も声で出演~ 43年に渡って愛され続ける名作『寿歌』が、史上初の《人形劇》となって名古屋で上演
2022.11.30 エンタメ特化型情報メディア スパイス
核戦争の終わった、関西のある地方都市。荒野でリヤカーを引く旅芸人のゲサクとキョウコ、その途上で出会う謎の男ヤスオの3人による掛け合い漫才のような奇妙な旅を描いた『寿歌(ほぎうた)』は、今から43年前──1979年に、名古屋在住の劇作家 北村想によってこの世に生み出された。
*
作者の北村想先生は意識されていないかもしれませんが、これはアニメファンのオタクたちがミリタリーなストーリーやキャラのコスプレに熱狂していた時代に、演劇の分野から突き付けられた、一種のアンチテーゼではないかと感じるのです。
市販の映像ソフトが無いのでまことに残念なのですが、北村想氏の作品集で、『寿歌』の脚本を読むことはできます。同氏は映画『K-20 怪人二十面相・伝』(2008)の原作者でもありますね。
『寿歌』(1979)では、物語の背景には第三次世界大戦があり、残り物のミサイルが時折発射されて、その爆発が空に光る時代。世界は荒野と化し、人影はなく、ただ男女二人がリヤカーを牽いて歩むのみ。二人は戦争の凄惨を経験し、無数の死を
終末の世界なのに、どこかほのぼのと明るく、そして滑稽な二人。
この独特の空気感は、空前にして絶後かも。
ジャンル分けするなら、SFに含まれるのでしょう。
『寿歌』は、世界最古のSFと言われる『竹取物語』(9-10世紀に成立)を除いた、オールタイム日本SFの最高傑作かもしれません、私はそう思います。
公益財団法人静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)のホームページによりますと……
●【寿歌】瓦礫の荒野と蛍の光……北村想『寿歌』における聖性(安住恭子)
劇場文化 2019年11月2日
北村想の『寿歌』は、戦後の日本の戯曲の中で、最も上演回数の多い作品といってもいいのではないだろうか。北村が書いてから四〇年ものときがたつのに、今なおどこかしらで上演されているのだという。それぞれのカンパニーが新作戯曲を上演することの多い日本の現代演劇の中で、それはかなり特異なことだ。なぜこの作品は、それほど演劇人を引きつけるのだろう。(以下略)
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『寿歌』に近いテイストの作品は、漫画では『ヨコハマ買い出し紀行』(1994-2006)があります。
また、それら“終末世界もの”の原点としてネビル・シュートの『渚にて』(小説1957、映画1959)に描かれた、恐ろしいほどに
『寿歌』『ヨコハマ買い出し紀行』『渚にて』の三作とも、戦争や災害などの“破滅がもたらした平和”の中に物語が生まれていきます。
ヤマト・ガンダム・マクロスの三作で始まったアニメブームとオタク文化の勃興以来、アニメでもラノベでも、実に多くの作品で戦争が描かれてきました。宇宙戦争で最も多くの兵士が死んだのは『銀河英雄伝説』(1982-89田中芳樹氏著)ではないでしょうか。敗けたら万隻単位で戦闘艦が沈みますし。
この“銀英伝”のメガヒットが“お手本”となって、アニメとラノベの世界に戦争がやすやすと浸透し氾濫したのかもしれませんが……。
以来、戦争即ちミリタリーの要素が、アニメとラノベの定番となって
2024年の現在でも、アニメとラノベの世界の戦争は飽くことなく続いています。
*
ミリタリー全盛の時代に対するアンチテーゼは、単なるお花畑の“戦争否定・平和礼賛”ではなく、過去45年にわたって演劇人を惹きつけてやまない『寿歌』にみるような「破滅がもたらした平和」ではないかと、そんな気がするのです。
【次章に続きます】
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