218●『おたくのビデオ』(1991)⑤「先人の偉業へのアンチテーゼ」を忘れた?

218●『おたくのビデオ』(1991)⑤「先人の偉業へのアンチテーゼ」を忘れた?



 21世紀初頭から……

 政府主導の“権威コンテストづけ”と“補助金マネー”にジワジワと漬かって煮詰められ、ここ十数年で湯豆腐みたいに“国策文化”に仕上げられたオタク文化。

 作家たちは国策に沿った内容の作品を作ろうと、忖度そんたくを繰り返して……


 その結果、2024年の今、アニメもラノベもカドが取れて円くなり、刺激の少ない、どれも似たり寄ったりの、変わり映えのしない、ちょっとキツく言えば“毒にも薬にもならない”無難なテンプレ作品揃ぞろいになってしまったのではありませんか?


      *


 たとえばTVアニメで、宇宙SFの『カウボーイビバップ』(1998-99)という歴史的な傑作がありました。

 これと比較されるのは『スペース☆ダンディ』(2014)。

 後者は「プロデューサーの南雅彦、総監督の渡辺信一郎、脚本家の佐藤大・信本敬子、音楽(参加)の菅野よう子らは1998年放送の『カウボーイビバップ』を手がけたスタッフ。宇宙の賞金稼ぎ、各話完結スタイル、音楽やアイキャッチの凝り方など共通する要素もある。」(ウィキペディアより)とされ、やはり前作の『ビバップ』を超える意気込みを期待したのですが……

 ホントに申し訳ないのですが、比べようもないほど、グダグダでしたね。

 (あ、あくまで私個人の感想です)

 いろいろ議論はあるかと思いますが……

 要約すれば、「無難すぎる」の一言に尽きます。

 オチを無難に丸く収めるよう、忖度そんたくを重ねたことがうかがえます。

 誰に気兼ねなく輸出できる“国策文化”としては満点なのでしょうが……


 同じ未来の宇宙コメディSFでも、かなり昔の漫画作品で竹宮恵子先生の『私を月まで連れてって!』(1981-86)の方が、よほど面白くて素晴らしいという感じ。

 どこが違うと言えば……


 「権威ある社会常識に対するアンチテーゼの存在」でしょう。


 『私を月まで連れてって!』(1981-86)の第一巻Vol.8“スーパーカー・グラフィティ”では、未来社会の高速道路はすべてリニア化でエアカー(今なら「空飛ぶクルマ」に類するイメージ)が自動走行しているのですが、道路の車体浮上システムが災害で故障、その一方で急病人が発生、街の病院へ搬送する手段は……前世紀の遺物たる超ポンコツのガソリン車のみ! で、ガソリンなる珍品の調達はどうする? といった事件が展開します。

 他愛もないストーリーかもしれませんが、そこには科学万能で利便性を追及した社会へのアンチテーゼが、コンパクトながらも、きっちりと仕込まれているわけです。


 今から40年も昔の漫画のネタの方が、なんだか正統派。


 今のアニメや漫画、21世紀の新作なのに、昔どこかで読んだ旧作みたいな?

 そんな、ある種の“退化現象”が、現代のオタク文化に蔓延しているのでは?


 最近の各種コンテストで賞を獲った漫画やラノベで、宇宙SFについてみると、「1970~80年代のSF漫画で使われていたレベルのネタじゃないか?」と感じる作品が、ここ数年で散見されます。ある意味、『宇宙家族ロビンソン』(1965-68)でも観ているみたいな感じというか。

 これは一種の“先祖返り”かもしれませんが、作者の先生は、それを承知で書かれているのかどうか?

 たぶん世代の断絶があって、1960~70~80年代のSFについて知らずに書かれているのかもしれないなあ……とか、つまらぬことを邪推してしまいます。

 あ、あくまで私個人の感想でありまして、失礼をお詫びいたしますが……


       *


 何年か前、ある書店様がSF本のキャンペーンイベントを企画されて、その中で、日本SF作家クラブの会員諸氏が、ネットを通じてオールタイムの世界SFオススメ作品を紹介してください……ってのがありました。

 私も投稿権があったので、たまたま締め切り近くにネットの該当ページを見ますと、えっ! と驚き。

 1980年以前のSF作品、からきし無いのですね、ほぼ誰も紹介されていない。

 『メトロポリス』が、『渚にて』が、国産の『海底軍艦』や、あの名作の『第四間氷期』が、『美しい星』が……無い?  『銀河乞食軍団』も無い! まあ、平田晋策先生の『新戦艦高千穂』は傍系の超レトロ&レアアイテムなので仕方ないとしても。

 今はうろ覚えですが、『銀河帝国の興亡・三部作』はあったっけ? でも『レンズマン』とか、チャンドラーの『銀河辺境シリーズ』は無かったよね?? ブラッドベリの『火星年代記』『華氏451』もあったのかどうか? くらいの印象です。『月は無慈悲な夜の女王』はありましたが、キャンベルの『月は地獄だ!』は無かったし。

 『アルジャーノンに花束を』が無かったのはショック。

 J・G・バラードの『ヴァーミリオン・サンズ』とか、フレッド・ホイルの『10月1日では遅すぎる』も。それにロバート・F・ヤングも、ティプトリー・ジュニアも……


 最近のSFの書き手の先生方は、たぶん1980年代以前の作品は映画の『スター・ウォーズ』『スタートレック』『未知との遭遇』『2001年宇宙の旅』はご覧になっていても、『謎の円盤UFO』『タイムトンネル』『サンダーバード』『スティングレイ』なんかは未見で、ましてや映画版の『渚にて』『華氏451』や『トリフィドの日』『地球爆破作戦』『地球が静止する日』『禁断の惑星』『博士の異常な愛情』『ミクロの決死圏』『決死圏SОS宇宙船』、マーティン・ケイディンの『宇宙からの脱出』(小説ですが『月は誰のもの』も傑作)、のみならずマイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』の映画化作品とかアリステア・マクリーンの『サタンバグ』なんか、存在すら認知されていないのでは……

 まさかのまさかですが『プリズナーNo.6』と『マックス・ヘッドルーム』を知らないとか?


 そういった世代ギャップを嘆くつもりはありません。今どき、よくあることです。

 ただ気になるのは、知らずにSFを書いたら、なんとはなしに、どこかでネタが被るよね……ということでして。


 そんな作品が増えてきた……のかもしれません。


 そして、昔の作品にご関心のない編集者やプロデューサーの皆様も、たぶん。


 あ、そうか、読者の皆様も、昔の作品なんか気にしてはいませんよね。

 でも、私みたいなウルサイ読者がいて、指摘するかもしれませんよ。


       *


 それらSFやアニメの、昔日の遺産を踏まえて作られた新作って、たとえ誰かが書いても、今どき読まれなくなったのでしょうね。

 いや、それ以前に、編集者様にとって、今や理解困難な不思議ネタと化したのかもしれません。

 その点、『おたくのビデオ』では、ラスト近くで『日本沈没』と『海底軍艦』のパロディカットがしっかりと入っていて、「これら昔のSFのレガシーを踏まえた作品ですよ」と表現されているところ、さすがだと思います。


 で、何が言いたいのかといいますと……


 「昔はこんな作品があった、凄い作品があった!」という認識があると、おのずとネタの被りを避けて、あるいは承知の上でステルスなパロディを設定したりして、そうやって昔の作品をリスペクト(つまりオマージュですね)しながらも、それを「乗り越えていこう」とする斬新な作品が生まれるということです。


 今のアニメやラノベには、「昔の作品を知った上で超えていこう」とする方向性が、最初から欠落しているのではないでしょうか。

 そのことを批判する資格は私にはありませんが、もしもオタク文化がドヨヨーンと停滞しているのなら、「先人の作品を踏まえて、超えようとする」新作こそ、新たな文化の風穴になるのではないかと思うのです。


 先人の偉業を知り、リスペクトしつつ乗り越える。


 1980年代のガイナックスは、まさにそんな作品を残してくれました。

 オネアミス、トップ、ナディア、そしてエヴァ。

 すべて、先人のSF遺産を踏まえ、リスペクトし、巧みに取り込んでいます。

 だから、土台がしっかりとしながら斬新であり、タマシイをゆさぶり、心躍らせる、知性の化学反応に満ち満ちていたのではないかと、そう思うのです。


 なぜならば……

 そこに、「既成の文化に対するアンチテーゼ」が生まれるからです。

 「先人の偉業はこうですね」と承知したうえで、「私の作品はこう考える」とアンチテーゼを投げかけるのですね。

 

 アンチテーゼ……対立概念、反対命題。

 過去の数々の傑作に対して、対立し反論しつつ、乗り越えていく姿勢。

 それがあってこそ、今の停滞したオタク文化が革新されると思うのですが。




     【次章へ続きます】

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