215●『おたくのビデオ』(1991)②オタクはどこへ行った? 

215●『おたくのビデオ』(1991)②オタクはどこへ行った? 



 にしても……

 「オタク」って言葉、最近、とんと聞かなくなりましたよね。

 いやそりゃまあ、アキバのメイドカフェとかコミケ会場に集う人々は、今もマスコミからは「オタク」にカテゴライズされているのかもしれませんが……


 20世紀のころに比べると、ずいぶんとオタクのイメージが縮小してしまったと感じるのは私だけでしょうか。そう、〇〇コンバットにあえなく駆除される哀れなGブリさんのように……



ネットのニュース

●秋葉原がもはや「オタクの聖地」ですらなくなった根本理由

2024 6/16(日) 8:11配信 Merkmal

……2013年には大手ドラッグストアチェーンの「ダイコクドラッグ」がステージ付きメイドカフェを併設した店舗をオープンし、大きな話題となったが、わずか数年で閉店している。

振り返れば、こうした大小の資本が入り乱れる隆盛こそが、衰退の始まりであったといえる。衰退を如実に示したのが、2022年7月、アニメや漫画のグッズを取り扱う大型専門店「とらのあな」の秋葉原店が、20年間の歴史に幕を下ろしたことだ。(以下略)


       *


 ♪風の中のオタク 街角の腐女子

  みんなどこへ行った? 見送られることも無く……


       *


 前章でご紹介しました、2006年の岡田斗司夫先生の名講演にも触れておられる通り、いまや「オタク・イズ・デッド:オタクは死んだ」ように思えるのです。

 いや、オタクの風景が消え去ったわけではありませんね。コロナ禍を生き延びて、コミケは今も健在ということですし。メイドカフェも消滅したわけがありません。


 要するに「オタク」の概念が私たちの頭の中でいつのまにか希薄化してしまった、ということでしょう。

 誰も、オタクに驚かなくなった、見かけても奇異に思わなくなった。

 それは、オタクから社会的偏見のくびきが外れ、市民権を得たこと。

 でも、その代わり「オタク」という言葉が特殊な価値を失い、何かもう、道端の雑草か路傍の石程度に、どーでもいい存在になってしまったことを実感せざるを得ません。

 社会の関心が、「オタク」というワードに反応しなくなったのですね。

 つまり、「オタク」の無価値化。

 理由は、だいたい下記の三点にあると思います。


       *


第一に、オタク年齢層の高齢化。


 『おたくのビデオ』の物語は1982年に始まります。

 このとき、主人公は大学一年目。浪人していない18歳と仮定しましょう。

 彼は中学時代に『宇宙戦艦ヤマト』と『未来少年コナン』、高校で『カリオストロの城』『機動戦士ガンダム』の洗礼を受け、大学生になったとたん『超時空要塞マクロス』に遭遇するわけで、なんとまあ、オタク的に幸せ一杯な十代を満喫してきたことになりますね。

 岡田斗司夫先生がおっしゃる「オタク第一世代」にほぼぴったりあてはまると思います。

 そんな主人公の彼ですが、そのまま歳を取れば、2024年の今年には……


 60歳の還暦。


 未だにオタク道から足を洗っていなければ、もはやオタキングどころかオタジー&オタバーの領域ですよね。その間、ヤマト・ガンダム・マクロスにエヴァなど、オタクにとって日々の糧にも等しいアニメ作品群は、続編に新作、ゲーム化やブルーレイ化などでマルチに展開されて新規のファンを獲得してきたわけですから、いまやオタクの年齢層は三世代にまたがってしまったのです。

 その一方、かれこれ40年も昔の1980年代にオタクの若者を「失格人間」とばかりに蔑んだ、当時の“オタク天敵”のオトナたちは続々とジジババ化して鬼籍に入ってゆかれました。

 このように壮大な世代交代劇が発生した結果、2024年の現在、オタクは世代的に普遍性を獲得してしまったと言えるでしょう。


 そろそろ、オタク専用の老人ホームが売り出されてもいい頃ですよね。

 シニアオタクと、その先の終末ファイナルオタクが集い、萌えポスターに囲まれ、美少女美少年フィギュアを愛でて過ごし、毎日がコスプレで、同人誌をコミケに出品して人生の終活をオタク道に捧げ、墓石はエヴァの集団墓地に無数に並んでいるユイさんのアレか、イスカンダルの古代進君か地球の沖田艦長の墓標をデザインして、その墓碑銘には「生涯一オタク」と刻むのが冗談抜きのリアルとなることでしょう……合掌。


 まあ、以上はあくまで私個人の妄想ですが、このように第一世代のオタクが後期高齢者に仲間入りする時代はすぐそこに来ているわけで、現実にそうなりつつある今、「オタク」なる言葉のイメージはすっかり枯れ果てても、むべなるかな、ですね。

 そこにはオタクに対する蔑みもリスペクトも無く、ご老体が運転するデンジャラスなクルマの枯葉マークと同じように「どこにでもいる、ちょっと関わりたくないお年寄りの一種」という意味合いしか残らなくなったのでしょう。


 どうってことないですよね。ゴルフやゲートボールの代わりに緩めのサバゲーとかコスプレでRPGごっこ。そんな老人たちが街中を闊歩、いや徘徊するのですよ。

 所謂いわゆる“ボケ老人”なるものの時代は去り、いよいよ“萌え老人”の全盛期が幕を開けようとしているのです。

 キモい、なんて顔をそむけないで下さいね。

 これがニッポンの明日のリアルなんですから。

 若者のアナタ、長生きしたら貴方もこうなるのですよ。


       *


第二に、オタク外の人々のヘビーオタク化。


 そもそも1980年代にオタクを小馬鹿にして蔑んでいた人々は、「私はオタクなんかじゃない!」という鉄壁の自覚とやや薄っぺらなプライドを頼りにしていました。

 しかし40年後の今……

 アニメオタクなんてすっかり地味化してしまって、むしろそれ以外のジャンルで、ド派手でヘビーでエキセントリックなオタク化が進行してしまいましたね。


 よくある例が、あの可愛いネズミさんのテーマパークです。

 20世紀の時代は一万円札を握りしめてゆけば豪勢に遊べましたが、今は入るだけで一万円に達し、ちょっと優先的にアトラクションを楽しみ、飲み食いしてキャラグッズを買って帰ろうとすれば、家族連れなら一日で十数万円、オフィシャルホテルに泊まろうものなら数十万円が軽く飛んでしまう、上級国民様御用達のゴージャス遊園地となってしまいました。


 それでも熱心に通って、おニューのアトラクションにおニューのグルメ、珍しいグッズを集めて自宅を可愛いネズミちゃんの私設展示館にしてしまうオトナたち、ゴマンと集まってくるものですね。

 私にはいささか理解を超えるのですが、どうして“ひらP”とか“PケSパーニャ”ではダメで、最低でもUSなジャパンでなくてはならないのか、彼女と彼たちのオタク度は真意が計り知れません。

 だって、本来的に子供さんのための子供騙しの遊園地じゃないですか?

 いや、あそこは大人の遊園地なのだ! と言うのなら、子供さんが親の所得に関わらず気軽に楽しめるリーズナブルな入園システムって、逆に必要ではないでしょうかね?

 ともかく、あのスペシャルな超巨大テーマパークが今やリッチな金満オタクのブランドと化して、オタクな嗜好の対象となってしまったことは否定できないでしょう。

 ええ、私は浅草の“花やしき”で十分に楽しいですけどね。あすこのジェットコースターはSペースMウンテンよりも迫力ありましたし。それに遊園地って、「何をするか」よりも「誰と行くか」が圧倒的に重要ではないかと。本質的に、アトラクションは二の次なのです。

 あ、以上はあくまで私個人のプライベートな感想に過ぎませんよ。


 それ以外の分野でも、アイドルグループのイケメンボーイズorガールズタレントさんを海外まで追いかけてコンサートとグッズにマネーを注ぎ込む方であるとか、特定のスポーツ選手の試合に世界の彼方までチェイサーするとか、TVに紹介された秘境のグルメを食するために遠路はるばる大旅行グランドツアーする方とか、ペットの愛玩とファッションに大金を投じるとか、借金してまで“頂き女子”さんに貢ぎまくったり、その頂き女子がホストさんに貢ぎまくったり、あるいはPケモンの希少カード一枚にン千万円を投じたり……

 それらマニアックな行動のスケールとクレイジーなほどの投入マネーの巨額さを思えば、一冊数百円の同人誌、数千円のDVD、数万円のフィギュアをチマチマと集めるアニメオタクたちのチープでささやかでボンビーなこと、可哀想なほどちいせえ小せえ……ではありませんか。


 これは可処分所得の格差拡大が急速に進行した21世紀において目立ち始めた現象ということでしょうが、それまでのアニメを中心としたオタクの活動よりも、「オタク外の人々のオタク的散財活動」の方がはるかにスケールアップしてエスカレートしているのです。


 こうなると、日本国民みんなオタク。

 むしろ、アニメオタクよりもビッグでマッドでクレイジーなオタク揃い。

 となると、もうアニオタごときを笑えませんよ。

 巷のイケメン男子やアイドル女子に大枚はたいている貴方の方が、よほど重度のオタクかも?

 カネと人生の無駄遣い……と指弾される点においては、むしろアニオタよりも重症かも?

 そんな不安が社会一般に広がり、「オタク」なる言葉の使用を控えさせているのでしょう。

 他者を「オタク」と蔑んだとたん、その言葉がブーメランになるのですから。


 そこで、マスコミはそれをより優雅に「推し活」と言い換えるようになりました。


 ということで「オタク」が非人間で、「推し活」が真人間だなんて偏見も、一切成り立ちませんよね。根っこは同じなんですから。

 日本国民総オタクの21世紀。

 だから「オタク」が影をひそめて、かわって「推し活」が大手を振って社会を闊歩するようになったってことなのでしょう。


 それ、どこが違うねん! ……と、ツッコミたくもなりますが……。


       *


 要約すれば、こういうことでしょうね。おとぎ話です。


 人類の一部が退化してサルに戻り始めました。

 サルになっていない人間たちは、サルになってしまった人間たちを「下等動物のサル」と、上から目線で軽蔑しました。

 しかし人類のサルへの退化現象はどんどん広がってゆき、とうとう人類すべて一人残らずサルになってしまいました。

 すると、サルになった人間たちは、互いを「下等動物のサル」でなく「人間」と呼ぶことにしましたとさ。どうみてもみんなサルなんだけど。


 今は、そういう時代ではないかと思います。


       *


 で、第三の理由ですが……




     【次章へ続きます】



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