213●『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-2021)⑪『アイアン・ジャイアント』の苦悩、そしてこれから。AI化して喋る巨大ロボは、無辜の民の心を救えるか?
213●『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-2021)⑪『アイアン・ジャイアント』の苦悩、そしてこれから。AI化して喋る巨大ロボは、無辜の民の心を救えるか?
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そこで、巨大ロボットアニメ作品の結末です。
神もしくは神様に相当する存在を宿す搭乗型巨大ロボットが活躍する、代表的な三作品、『新世紀エヴァンゲリオン』、『THE ビッグオー』、『ラーゼフォン』。
そして『進撃の巨人』も実質的に“搭乗型巨大ロボット”に加えられるでしょう。
それらの物語の結末が、クライマックスのスケールの大きさに比べて、なんともささやかな「日常の平和」の場面で締めくくられたということには、着目する価値があると思います。
なんだかんだ言ったって、本当に守るべき価値があったのは、普通の人々の「日常の平和」に尽きるのではないだろうか? ……ということですね。
ファーストガンダムの数あるエピソードの中から、『ククルス・ドアンの島』が選ばれて2022年に劇場映画化された理由も、そんなところにあるのではないでしょうか?
ガンダムであれザクであれ、巨大ロボットは「戦争に勝つ」ための道具。しかし戦の勝ち負けよりも、本当に守るべきは戦災孤児たちの「日常の平和(そして心の自由)」ではないのか。
映画の出来栄えには様々なご意見があるようですが、敢えて2020年代の今になって劇場用にリメイクされたことに、大きな意味があるように思えるのですが……
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さて、人間のパイロットが搭乗するのではありませんが、“AI化されて喋る巨大ロボ”の歴史的な佳作がありましたね。
『アイアン・ジャイアント』(1999)。
おそらく異星人によって製造された宇宙兵器である巨大ロボが、マクロの空を貫いて落ちてきたブービートラップ戦艦みたいに、地球にもたらされました。
本来、破壊神であるそのロボは、純真な少年と出会ったことで平和な自我に目覚め、「正義のヒーローになる」と決意するのですが……
作品の時代はソ連が人類初の人工衛星を打ち上げて、米国民が核戦争の恐怖におののいた「スプートニク・ショック」の西暦1957年。
あの人工衛星は要するに、ソ連からの「米国さんにはいつでもどこでも、ウチの核ミサイルを落とせますよ」というサインだったわけですね。
この冷戦下の一触即発を背景に、宇宙人の巨大ロボが出現したら……という、ちょっと奇想天外だけど魅力的な発想。
軍人や政府関係者たちが国民を疑う不信感の滑稽さと、少年とロボットの間に培われる素朴な信頼感と友情が、見事な対比となっていました。
これはまことに上出来の逸品……と言いたいところですが、多少、引っかかる点があります。
細かなことですが、作品の舞台である1957年は、米国初の潜水艦用核ミサイル・ポラリス搭載の戦略原潜ジョージ・ワシントンが就役する前年にあたります。また、潜水艦から核ミサイル発射実験が最初に行われたのは1960年でありますから、厳密には、作中の潜水艦からの核ミサイル発射は、疑問符が付きます。
ミサイルの形状も1964年以降の戦略原潜に使用された「ポラリスA3」になっていて、史実に符号しません。
原潜の名前は時代に合わせて、1954年に就役した「ノーチラス」と英文字幕に明記されておりますが、同艦は核ミサイルを運用していませんよね。
たぶん軍事オタクが見たら、かなり滅茶苦茶なアバウト感覚があるでしょう。
もうひとつ大きな“引っかかり要素”、こちらがむしろ重大ですが、「主要登場人物がみんな白人(に見えますね)」であること。
1957年はキング牧師の公民権運動が盛り上がっていました。有名な「I Have a Dream」(アイ・ハヴ・ア・ドリーム)の演説は1963年、そしてアメリカ公民権法の成立は1964年。いわゆる有色人種である日本人としては、多少引っかかる点も無きにしもあらずです。
人種問題をすっぱりと切り離すには、やや複雑な時代だったのでは?
もしも主人公の少年がアフリカ系とかプエルトリコ系とかアジア系だったら、作風はかなり変わっていたことでしょうし、じつはその方がよかったと思います。
プエルトリコ系の若者たちを描いたミュージカル『ウエスト・サイド物語』がブロードウェイで初演されたのも同じ1957年です。
やはりスプートニク・ショックの1957年頃を舞台とする映画『ドリーム』(2016)はNASAに勤務してロケットの軌道計算に大活躍した“社会的に白人から分離されていた”女性たちの物語ですが、そこにはかなり露骨な当時の人種分離政策が描かれていました。
そのような時代背景をかんがみますと、『アイアン・ジャイアント』が1999年に劇場公開されたときに、かつて1957年に「colored(カラード)」と差別的に称された記憶を持つ人々が作品を観たならば、おそらく「白人の、白人による、白人のための、白人同士でゴチャゴチャやっているだけの巨人ロボット物語」と受け止められたでしょう。
哀しいかな、そこが『アイアン・ジャイアント』の致命的欠陥であり、アイアン・ジャイアント自身の宿命的な苦悩ではないかと思います。
『アイアン・ジャイアント』の作品テーマは凄く良いのですが、もう冷戦終結後十年を経た1999年の劇場公開です。
スプートニク・ショックは四十年あまり昔のこと。そうなれば人種的な多様性に配慮して、1957年という時代を描くのをやめて、世紀末もしくは21世紀の今を舞台にして作られた方が良かったのでは? と思えるのですが。
同じAIロボットもので、ディズニーの『ベイマックス』(2014)が大ヒットしたように、ですね。
主人公の少年ヒロはアジア系の風貌にデザインされていましたし。他の登場人物も、見た目はアジア系か中南米系を思わせるキャラが多かったような。
で、1957年前後は、おそらくアメリカの白人系の皆様にとっては淡くなつかしいノスタルジーの時代なのでしょう。
1973年の映画『アメリカン・グラフィティ』の舞台は1962年でしたし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の第一作で旅する過去の世界は1955年でしたね。
それはさておき、『アイアン・ジャイアント』は何度見ても心を潤してくれる良作であることに間違いはありません。
興行的には惨敗したとされますが、やむをえないことと思います。
ただ、前述の欠点を除けばストーリーは申し分なく、「戦争をすることをやめ、戦争を防ぐ側に回った戦闘ロボット」という、アニメ史上稀有な、素晴らしいキャラクターが誕生しました。
アイアン・ジャイアントが守ったのは、主人公の少年たち普通の人々の「日常の平和」だったのですね。
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人間というものが何やら決定的に信頼できなくなった21世紀の現代。
ウクライナ、ガザ、そしてニッポンの“頂き女子”や、永田町のセレブな皆様の裏金事情をみれば、明らかですね。
人間って、どうしてそこまで愚かなのか。
某通訳さんが「賭博でスッた損失は62億円」というニュースが出てきたとたん、「俺は二兆円熔かしたぜ」と豪語なさるお方がネットに登場。
いや、自慢なさるのはご自由に……ですけどね。
しかしその一方、かつてアフガン方面で黙々と井戸を掘って住民を助け、そしてあまりにも悲しい最期を遂げられた医師の先生がおられましたね。日本人として本当に立派なお方であると尊敬します。
賭博で消えるお金の0.001%でもそちらに回っていれば、多くの人の命が救われたことでしょう……
このような時代に、巨大ロボットアニメは何ができるのか。
これまで書いてきた内容から、ある程度推測できるかもしれません。
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➀主人公は無気力な、精神の漂泊者。
まず2024年の今、視聴者なり観客となる庶民の人々が、十年あまり昔と比べて、明らかに生活苦を感じているであろうこと。
無節操な円安と「江戸時代並み」とされる重税、開くばかりの上下格差。
経済格差だけでなく、全国民に本来平等であるはずの、「医療・教育・司法」の面でも、事実上決定的な格差がまかり通っているようです。
たとえば、いなりずしのパック一個を万引きしたという誤認逮捕で四日間にわたり勾留されたというケース。でたらめの容疑をかけられたお婆さんがもしも市長のお知り合いだったら、警察の対応はどうなったでしょうか? 即刻解放してませんか?
重苦しい絶望と諦めが、この国の(貧しい側の)若者を覆っています。
そんな空気の中で人生を見放したものの、自殺して転生するわけにもいかず、無気力と闘いながら心さまよう若者が、主人公にふさわしいでしょう。
②搭乗型巨大ロボと主人公の関係は、馬と人。
巨大ロボットは高度なAIを備え、パイロットとなる主人公と口頭でやり取りができます。もう今どき、喋るのは当たり前ですよね。
ロボットは戦闘しますが、主人公が操縦しているのは見せかけであって、実際は「ロボットが主人公の意思をくみ取って、忖度して自ら動いてあげている」という関係です。優秀なサラブレッドと新米ジョッキーの関係かな。
それとも、ロシナンテに乗ったピンボケなドン・キホーテか。
これでは主人公の役割はなさそうですが、ロボットにも弱点はあります。
メンテナンスには、やはり人力を必要とする場面があること。
あそこを修繕して下さい、そこの錆を落として、油をさして下さいね……と。
騎手は愛馬に乗るだけでなく、日々の世話もしてあげますよね。
馬は機械ではありませんから、水を飲ませ、ニンジンなどを食べさせ、毛並みを手入れしてやり、蹄鉄を取り替え、安心できる寝床を用意してやる。西部劇映画ではそんな場面も出てきます。
ロボットと人間の関係は、そうやって培われます。
③心優しいロボット。
主人公はロボットをうまく“乗りこなす”ことができず、感情的に衝突することもしばしば……となります。
しかし正直、ロボットの方が、人生経験が豊かなんですね。
主人公はロボットから学ぶことが、多々あります。
ロボットは本音のところでは心優しく、主人公に献身します。
ロボットが戦闘して敵を殺すのは、乗せている主人公を守るためなんですね。
主人公は冷酷な兵士であらねばならず、ロボットの仕事は冷徹な戦闘です。
しかしロボットの過去……先代のまたその前の世代のロボットから連綿と引き継がれてきた数百年にわたる戦績のデータを紐解くにつれ、主人公はこの戦争をやめさせる方法を悟ります。
それは危険な手段であり、自分にとってなにひとつ得るもののない“たったひとつの冴えないやり方”であるのですが……
ただ、その手段によって、見知らぬ無辜の人々の「日常の平和」を守ることはできるだろう……
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だいたい、以上のような設定が考えられそうです。
書いてみたいですね、そのうち……
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巨大ロボットアニメの歴史に、次なる「フォースインパクト」が想定できるならば……
それはおそらく「人類を導き、その愚行を正すことのできる、真に賢明なAI」を搭載したロボットの出現でしょう。
それも、人類が意図的に製造したのではなく、天文学的に無数のAIが保持している無限大の情報の蓄積と交雑のるつぼの中から、自然発生的に生成されたプログラムが、まるで突然変異の遺伝子のように、あるロボットを通じて人類社会にもたらされる……
そういうものではないかと思います。
いわば、救世主の誕生のように……
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