209●『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-2021)⑦ロボットを“神化”したアニメ、その結末の不思議。
209●『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-2021)⑦ロボットを“神化”したアニメ、その結末の不思議。
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巨大ロボを神にたとえる心理は、番組タイトルにも現れているようです。
『マジンガーZ』にしてからに「魔神」の発音が含まれますし、『勇者ライディーン』(1975)は「雷神」、それに『伝説巨神イデオン』(1980)、『六神合体ゴッドマーズ』(1981)のように「神」の文字を含むタイトルがみられます。
巨大ロボットを神になぞらえて、人類に対して正義をなし、天罰の執行者たることが期待されていたということでしょう。
そして1984年。
神……ただし破壊神を宿した、画期的な巨人ロボットが銀幕に降臨します。
巨神兵。
そのスタイルの斬新なこと、存在感の恐ろしきこと、なによりも衝撃的だったのは、金属でなく生体部品で構成された、“生き物”であったことです。
つまり『ビッグX』(アニメは1964-65)+『大魔神』(1966)!
『風の谷のナウシカ』(1984)における人類の最強かつ最恐兵器として、その破壊力を存分に奮いました。下半身が腐ったままでも全力で放射し、王蟲をことごとく灰燼に帰する熱線ビーム(クシャナが「焼き払え!」と命じていますので、事実上の熱線ですね)の一閃と炸裂する火球、あの場面のインパクトは、おそらく21世紀のマイゴジをはるかに上回る、魔王的な
ビーム砲を使った破壊シーンとしては、1984年の巨神兵にまさるものはありますまい。
この巨神兵の作画を担当なさったのが庵野秀明氏ですから、1995年のエヴァンゲリオンが巨神兵にルーツを持つと考えてもおかしくはないでしょう。
庵野監督作品として1990年の『ふしぎの海のナディア』がありますが、そちらとも関係がありますね。すなわち……
「巨神兵」+「ナディア第37話に登場したネオ皇帝のアンビリカルケーブル」→「エヴァンゲリオン」 ということでしょう。
21世紀に再び映像化された『巨神兵東京に現わる』が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)と同時上映されたことも、何かの縁でありましょう。
巨神兵とエヴァはやはり同族だったのでは?
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巨大ロボットに神が宿る。それは
先に触れました、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)、『THE ビッグオー』(1999)、『ラーゼフォン』(2002)の三作品がまさにそうでした。
神の
神の手で
ムーと人類、二つの世界を再び調律するラーゼフォン。
しかし……
人間のパイロットだけでなく、神様も乗るロボット……となれば、その威力は究極の天罰に等しくなりますので、戦闘ロボットとしては頂点を極めてしまったことになります。
つまり、神なるがゆえの無敵。
ある意味、限界突破。
敗けることがあるとすれば、より格上の神様ロボットと対戦した時だけですね。
この神秘性と、宿命的な強さが、作品の限界ともなりました。
人類のすべてを超越した結果、人類に何をもたらすのか?
しかもそれは、普通の市民にとってかなり迷惑な天変地異を伴います。
その事象の正当性を説明することは極めて困難。
なにぶん、神様がなさることです。
はっきりした具体性を示せない、形而上学的な表現になってしまわざるをえないのです。
ですから……
視聴者にとっては、なにがなんだかわからない。
でもとにかく、何か凄いものを見せてもらった気がする……
物凄い、けれど、わけがわからない。
そんな印象にくるまれてしまったのです。
そして三作とも、最後の大団円は、何事も起こらなかったかのような日常の風景に帰結していましたね。
『エヴァンゲリオン』は、宇部新川駅のホームで語らうチルドレンたち。
『THE ビッグオー』は、すっかり元に戻ったシティで、いつものようにネゴシエイターを務める主人公。
『ラーゼフォン』では、数十年後に離島の民家で、孫娘(?)とともに彼氏との思い出にひたる、年老いたヒロイン。
物語のクライマックスでは地球をぶち壊すほどのクライシスが画面いっぱいに展開しますが、落ち着くところは、ささやかな「日常の平和」だったわけです。
どこか拍子抜けするほどの、のどかな大団円。
この共通性は、何を意味するのでしょうか?
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一方、『進撃の巨人』のアニメ版は2013年に始まり、完結編の放映は2023年と、なんと10年にわたる超大作となりました。
こちらも、完結した今となっては、「搭乗型巨大ロボットアニメ」に分類してよろしいかと思います。
物語の前半は、人類を凌駕して食物連鎖の頂点に立つ超越的な未確認生物として襲い掛かる巨人、その正体はいかなるものか……と、好奇心ワクワクで読者を引っ張ってくれましたが、物語の後半は「ビッグX+裸の巨神兵」となってしまいました。
自分自身が巨大化しつつ、その体内の、エヴァのエントリープラグ挿入位置に近い箇所に埋め込まれた形で一体化し、そこから巨人の全身を生体的に操縦する……といった仕組みは、要するに、「金属を使わず、すべてお肉でつくられた搭乗型巨大ロボット」と同じですから。
そしてまた、巨人たちが並んで地表を蹂躙する「地ならし」は、ほぼほぼ巨神兵の行進でしたね。横一列に並んで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のフォーメーションです。
この場合、巨人たちに宿る「神」は、始祖ユミルの魂ということでしょうか。
そしてこの『進撃の巨人』の結末も……
巨人が消え去ったのちも、人類は一向に進歩せず、ただいたずらに戦争を繰り返していきます。
そして物語の大団円は、生き残った登場人物のそれぞれの日常、そして巨樹の根元の墓前に佇む彼女の姿。
こちらも、拍子抜けするほどささやかな「日常の平和」だったのです。
神を宿す巨大ロボットが散々暴れまわって 歩み去り、そして残したものは結局、「日常の平和」。
これには何か意味があると思います。
【次章へ続きます】
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