208●『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-2021)⑥ロボットアニメのサードインパクト、ロボットに神は宿るか?

208●『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-2021)⑥ロボットアニメのサードインパクト、ロボットに神は宿るか?



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ネットのニュース

●AI試験機とF16戦闘機が初の模擬戦 米空軍「飛躍的進歩」

2024 4/23(火) 13:59配信 毎日新聞

米空軍と国防高等研究計画局(DARPA)は、人工知能(AI)による自律飛行試験機が2023年9月にF16戦闘機との空中近接戦闘(ドッグファイト)の模擬戦を初めて実施したと発表した。事故を起こさずに無事に模擬戦は終了。勝敗は明らかにされていないが、米軍は「良いパフォーマンスを見せ、航空宇宙分野の飛躍的進歩となった」と評価した。

米メディアによると、試験機はF16をベースに改良されたもので、性能を確かめたり、緊急時に操縦を代わったりするために2人が搭乗していた。

米空軍は、F22ステルス戦闘機の後継機開発を含む「次世代航空優勢(NGAD)」計画を進めている。主力の有人戦闘機は、センサーやミサイル発射の機能を担う多数の無人戦闘機とネットワーク化して運用する構想を描いている。AI自律飛行機の試験成果も、無人機開発に生かされる見通しだ。【ワシントン秋山信一】


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 AI戦闘機ファイターの時代、いよいよ到来ですね。

 将来の空中戦は、AI同士の殺し合いになりそうです。

 いずれ人間は、要らなくなるのかな?

 しかししばらくは、「人間が同乗してAIのお相手をしながら飛ばす」といった関係になるかもしれませんね。

 最初から何もかもAIに任せてしまったら、例えば敵側のAIにハッキングされる危険をどうするか、それとも、味方とはいえ賢いAIが勝手に判断してどこかへ飛んで行ってしまうかもしれませんね。敗ける確率が高まったら、戦う前に逃げ出したり、そもそも飛行場から飛び立ってくれなかったり……

 そんな、“駄々をこねる”AIをなだめすかして戦わせるために、人間が乗ってAIを補助するとか、督戦してやらなくてはならない……そんな状況が生まれるのかも。

 つまり、人間がAIの一部品になってしまうってことですね。

 手前味噌ですみませんが、ネット投稿している拙作『緊急脱出(ベイルアウト)!…蒼空のLove&Comedy…』は、そんな趣旨で書いたものです。

 「人間にとってAIが必要である」状況を超えて、「AIにとって人間が必要である」ようになりつつある時代を想定した出来事ですね。そうなるとAIが人間を愛するようになるかもしれません。


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 さて、『鉄人28号』以来の巨大ロボットアニメの歴史を通観しまして……


一、リモコン(ラジコン)式巨大ロボが登場した60年代→ファーストインパクト

二、搭乗型巨大ロボが登場した70~80年代→セカンドインパクト

  ……と、位置づけてみました。


 人間が搭乗して操縦するロボットは、OVA『トップをねらえ!』(1988-89)で、それまでの過去作品を総括した完成形を観ることができたと思います。

 スケールの壮大さはピカイチでしたしね。


 とすると、続きますのは……


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三、巨大ロボットに神が宿る→サードインパクト


 そうです。人間が搭乗するだけでなく、そこに神様か、神様に相当する超常の存在が同乗するようになったのです。


 代表的なのは、この三作でしょう。

  『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)

  『THE ビッグオー』(1999)

  『ラーゼフォン』(2002)


 巨大ロボが単なる機械ではなくなり、それ自体が人類の思考では計り知れない超常的な意思を持つ、一種の“神的なるもの”として存在感を示す……という作品ですね。


 20世紀と21世紀、その境目をまたぐ時期に、「巨大ロボに神が宿る」かのような作品が、相次いでアニメに具現化したことになります。

 巨大ロボットの製造者や操縦者の意図を超越して、巨大ロボは神の如くに行動し、世界の在り方そのものに偉大な変容をもたらしていきます。


 『新世紀エヴァンゲリオン』、『THE ビッグオー』、『ラーゼフォン』ともに、その結末では「世界の在り方」が変わってしまいましたね。


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 「巨大ロボに神が宿る」発想は、その元祖としては実写特撮映画の『大魔神』三部作(1966)にさかのぼれるでしょう。

 民人たみびとの素朴な信仰の対象である神像が、人類の悪事を知って目覚め、その偉大なパワーで正義を執行するというお話は、日本人にとって、昔話や民間伝承と同じ次元で受け入れやすいものと思われます。


 人の道を踏み外して横暴の限りを尽くす専制君主。

 これが有象無象うぞうむぞうの悪党風情なら英雄的なヒーローや仕事人&仕置人が活躍してケリをつけてくれます。

 しかし、さらなる大物である絶対権力者の悪を成敗するには、その上位者として君臨する『大魔神』じきじきの、文字通り神の怒りであり天罰が必要でした。

 このような場合、欧米ではどうするかというと、人民の暴動や蜂起であり、クーデターであり革命です。とにかく、フランス革命やアメリカ独立戦争の実績がありますからね。

 しかし日本史には、それがありませんでした。

 権力者に支配されるのが大好きで、与えられたヒエラルキーの中で互いにせこせことマウンティングするだけで一生を終えてしまう、自虐的な国民性。

 ですから、あやまちを犯した権力者たちに日本人が望むのは、選挙による民主的な政権交代でなく、神様の天罰。

 このあたり、常に権力に忖度して泣き寝入りを決め込む日本人の潜在心理に合致しているのかもしれません。

 まさに他力本願、神様に祈って巨悪を罰してもらう、そのための巨大魔神ということでしょうか。


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 『大魔神』と同じ1966年、TVのブラウン管にも神的な巨人が登場しましたね。

 『ウルトラマン』。

 人類の武力では歯が立たない超常の存在である怪獣の脅威から、罪なき人々を守ってくれる、まさにウルトラなジャイアントが、神々が住まうかのような“光の国”からやって来たのです。

 悪さをする怪獣を懲らしめる、すなわち天罰を下す巨神として……


 ただし、困ったのは科学特捜隊。

 怪獣出現のたびに奮闘するものの、いつも最後はいいところをウルトラマンに持っていかれて、もうアジャパーと嘆くしかありませんでした。俺たちの存在意義って何なんだよ、ウルトラマンの引き立て役か……と隊員が嘆く場面もありましたね。

 しかし最終回は、ウルトラマンでなく科特隊の勝利に終わりました。

 いつまでも「神頼み」でなく、「奇跡は人が起こすもの」なんですよね。

 そこが『ウルトラマン』の作品として偉大な点であると思います。

 ウルトラマンが光の国へ帰ってしまったら、そのかわり、私たちがしっかりしなきゃね……とファンの子供たちに教えてくれたのですから。


 『大魔神』も『ウルトラマン』も、視聴対象は大人でなく、小学生を含む子供たちを想定していました。『大魔神』に登場する子供たちと、『ウルトラマン』放映の“前夜祭”(DVDボックスの特典ディスクに収録)に集まった子供たちを見れば明らかですね。

 それゆえに両作品とも、作品のテーマもストーリーも明瞭で、わかりやすかったと思います。


 『ゲンと不動明王』(映画は1961)という、心あたたまる児童映画があります。21世紀の今に鑑賞しても、のどかでホッコリした気分にさせてくれる良作ですね。

 田舎の道端の祠に祀られていた不動明王の像が人間と等身大になって動き出し、孤独でいじめられっ子の少年を夢の中で元気づけ、ケンカに勝つ戦法も教授してくれる……というファンタジー作品。

 かの大スター、三船敏郎さんが演じる不動明王様がいささか説教臭くて鼻につくかもしれませんが、そこは公開当時の時代の空気ということで納得できる範囲です。

 こうした路傍の仏像って、昔は子供たちの味方であり友達だったんですね。

 となれば、東大寺に鎮座されているような大仏様が歩き出して、子供達を肩に乗せて遊んであげるのもフィクションの世界ではアリってことで、そう考えると『大魔神』や『ウルトラマン』が当時の子供たちにすんなりと受け入れられた理由に納得できそうな気がします。


 神様も仏様も、純真な子供たちの守護者なんですね。


 「神が宿る巨大ロボ」の本質であり原点は、そのあたりにありそうです。




      【次章へ続きます】

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