200●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?⑭エヴァの見事な完結、全てのチルドレンの幸せな終劇。

200●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?⑭エヴァの見事な完結、全てのチルドレンの幸せな終劇。



 『エヴァンゲリオン』新劇場版四作では、綾波レイの魂が救済されて、決定的な福音がもたらされました。

 綾波レイこそが本編の主人公であり、そうすることでのみ、エヴァのお話は完結できるからです。


 それは同時に、さながら“迷える子羊”だった五人のチルドレンそれぞれが、“エヴァの無い世界”で幸せな居場所を見つけていく物語でもありました。


       *


 ゲンドウを抹殺する、そうすれば全てのエヴァは消滅し、チルドレンはみな、「仕組まれた運命」から解放される。


 そのプロセスとして、ガイウスの槍を構えてゲンドウのエヴァにせまるシンジ君。

 ただし、ゲンドウを抹殺する……この“父殺し”を成就させるには、自身のエヴァ初号機ごと、ゲンドウを槍で貫かねばならなかったようです。

 それでも、父と刺し違えようと覚悟するシンジ君。

 が、そこでユイの魂が現れて、シンジ君を安全な位置に突き放して守り、ユイ自身がシンジ君の身代わりになります。ゲンドウはユイの魂とともに槍を受けて、いわば夫婦めおと心中。

 こうして、ユイとゲンドウは、二人そろって平和に成仏することができました。

 「父さんは、母さんを見送りたかったんだ」というシンジのセリフの意味が生きてきますね。


       *


 そしてついに、全てのエヴァが次々と消滅していきます。


 シンジ君をはじめ、レイ、アスカ、カヲル、マリ、併せて五人のチルドレンは「エヴァに乗らなくてもいい」自由を獲得し、「エヴァの無い世界」での、それぞれの居場所へと去っていきます。


 作品の最終、数分間のこのドラマは「エヴァからの卒業」とも評されますが、まさにそうでしょう。

 第三作でアスカは、14年過ぎたのにチルドレンが誰も肉体的に歳を取っていないことを「エヴァの呪縛」と言い放ちましたが、たしかに、「エヴァに乗らねばならない」世界にいる以上、チルドレンたちの時間はエヴァとともに止まっていたわけです。


 エヴァの呪縛を振りほどき、止まった時計の針を動かして、エヴァを卒業する。


 その結果、チルドンたちはそれぞれの居場所へと旅立っていきます。


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 卒業式の会場は、映画会社の特撮ステージでした。

 これまでの世界を実写の特撮映画に見立てて、いよいよエヴァが消える今、特撮映画の撮影は終わり、ヴンダーやその他のメカたちはピアノ線で吊り下げて操演そうえんするミニチュアに、エヴァたちはスーツアクターの着ぐるみに姿を変えています。


 映画シャシンの撮影は終わり、クランクアップして無人となった特撮ステージ。

 チルドレンたちの“解放”と同時に“解散”が告げられる、印象的な舞台設定ですね。


 まず、アスカの運命が変わりました。

 TV版では幾多のトラブルと嫉妬の嵐を乗り越えて、シンジ君にラブな気持ちを抱いていたらしく、旧劇場版のラストでは二人して赤い海の渚に寝そべって、未だに葛藤するシンジ君を「キモチワルイ」と断罪しますが、要するに最後、二人は一緒になれたわけです。

 またTV版の最終、第26話の「学園エヴァ」の部分では、シンジ君の机に相合傘の落書きがあり、その中には左に「明日香」、右に「碇」とあり「おもろい夫婦」と。それをぐちゃぐちゃと消して「あんたバカあ!」と、アスカが怒りのメッセージを書き加えています。

 二人はどうやらクラスで公然のカップル、将来一緒になる可能性大でしたね。


 しかし新劇場版では、アスカの気持ちがシンジ君から明らかに離れていきます。

 「私を助けてくれない」と、何度かシンジ君をなじっていましたね。

 もう愛想が尽きた……って感じです。

 その原因の一つは、シンジ君の心が“綾波の救済”に捧げられていたからでしょう。

 第四作の前半で、ただじっとりと鬱状態で何もしないシンジ君の心の中は、ひたすらに第二作で救うことのできなかった綾波レイへの贖罪の念に満ちています。

「綾波をたすけられなかった……」

 この一念に凝り固まって、ただの腑抜けと化した初号機パイロット。

「じゃ、あのとき死にかかっていた私はどうなのよ!」がアスカの心境でしょう。

「私はどうでもよかったってわけ? バカシンジ!」

 ……と、怒り心頭に発していても、むべからぬこと。


       *


 ……ということで、旧劇場版ではいいところまで進んでいたアスカとシンジの関係は、新劇場版でご破算となってしまいました。


 で、アスカの心に、シンジ君に代わって浮上してきたのがケンスケ君ですね。

 ケンスケ君はアスカに惚れていながら、新劇場版第二作までの流れのままでは、彼女をシンジ君に取られてしまい、最後まで独身のまま、あぶれてしまう可能性がありました。


 ケンスケ君にも救いを。

 それが神様仏様庵野様の思し召しだったと思われます。


 トウジ君はヒカリと結ばれてマイ・スイート・ホームを築いているのに、ケンスケ君が生涯独身では可哀想すぎますよね。いい青年だし、第3村にあれほど貢献しているのだし。

 彼も……いや、もしかすると、ややオタッキーな彼こそが、この作品を熱心に支持しているニッポンのオタクたちの未来に向けた希望の星だったのかもしれません。


 アスカが最も大切にしていたぬいぐるみ、それと同じ着ぐるみの中にケンスケ君が入っていたことは、アスカの孤独を癒し、彼女に尽くして心の救いをもたらす存在として、神様仏様庵野様がケンスケ君を選んだということでしょう。

 アスカが乗っていたエントリープラグが、ケンスケ君の家に到着したことを示すカットもありましたし。


       *


 で、綾波レイです。

 彼女は本編の真の主人公でした。

 第三作と第四作で、シンジ君は鬱々のヘタレ状態でしたが、そうすることによって、綾波レイ……この場合は“そっくりさん”の黒綾波が丁寧に時間をかけて描かれました。

 まさに、主人公らしい存在感です。


 そんな彼女は白綾波に戻り、特撮ステージの場面で、ぼさぼさの長髪で現れます。

 あの長髪は何だったのでしょう?

 私個人の感想ですが、“髪は女の命”とも申しますので、無数の複製体クローンの綾波レイの命がここに重なって現れたのではないかと思います。

 彼女はガラクタで作ったラグドールを抱いています。

 ラグドールには「つばめ」と書いてあります。

 第3村で出会ったヒカルの娘、ツバメを愛おしく抱いた黒綾波の魂も、ここに含まれているってことですね。

 レイの長髪は、何日も野宿してきたみたいに、ボサボサに乱れています。

 自分で櫛を入れたことがなく、他人に櫛を入れてもらったこともないようです。

 自分で自分を愛することも、他者を愛することも、他者に愛されることも拒否することで、自分の突然の死をいつでも受け入れる心準備をしてきた彼女を象徴しているかのようです。

 エヴァの備品同様に扱われる複製体クローンである自分、いつでも死んでスペアに取り替えられる自分を覚悟している彼女。

 その儚い運命が、手入れされていない髪に表れているように思います。


 そしてついに……

 シンジ君に促されて「エヴァの無い世界」へと解放される綾波レイ。

 そこで彼女が最後に見せた笑顔。

 最高でしたね。


 綾波の魂は救われますが、その行先はどうやら、カヲル君だったようです。

 綾波レイは、シンジ君の母親ユイの完全コピー。

 となると、シンジ君と結ばれたら、遺伝子的に近親相姦の関係になります。

 これはまずいですね。

 ですから、綾波レイのシンジ君への愛は、恋愛ではなく母性愛。

 エヴァに乗って苦しむシンジ君のために「碇君がエヴァに乗らなくてもいいように」と願い、「碇君は死なない、私が守るもの」と、まさに我が子を守る母のようにシンジ君に命を捧げてきたわけですから。


 だから、彼女はカヲル君のもとへ。

 カヲル君は何もしないで放っておいてもいいですね。

 宇宙の「真空崩壊まで死なない」と公言し、ゲンドウ亡き後、しれっとその後釜に座ったようですし、作品の全キャラの中で最も図太くて大胆な神経の持ち主です。

 TV版で初号機の手に潰されても平然と新劇場版に復活してきたわけですから。


       *


 しかしそうすると、今度はシンジ君が独身のまま、最後にあぶれてしまわないか?


 心配ご無用! と登場してきたのが、マリ・イラストリアス嬢でしたね。

 マリの登場は唐突過ぎましたが、多分、そういうことだったのです。

 エヴァを卒業するキャラたちの“その後”を慮った神様仏様庵野様が、最後にシンジ君を救うために、マリを用意してくれたんですね!


 奇妙なのは、マリはシンジ君とともにエヴァで戦うことがなく、二人で対話する場面もごくわずかで、二人がラブラブな感情を抱くようになる経緯がみられないこと。

 これはやや不自然ですが、多分結論的には、「シンジ君への一目惚れ」だったんでしょうね。

 いわば、押しかけ女房。

 それも、マリの個性ではないかと思います。

 直感で、こうと決めたら真実一路。

 「♪幸せは 歩いてこない だから歩いて……」と歌っていたのは、そういうことかな?

 なるほどです。

 恋愛に理由などいらない派……なんですよ、マリ嬢は。


 最終シーンのすぐ前あたりで、青い海の渚に体育座りして、マリを待つシンジ君。

 そこへド派手に飛び出してきて、「ギリギリセーフ!」と元気印のマリ。

 どこが、ギリギリセーフなのでしょうか?

 待ち合わせの何時何分に間に合った……という、計数的な「ギリギリセーフ!」でないことは明らかです。

 というのは、マリを待つ間のシンジ君の描写、背景からシンジ君自身まで、原画や動画の線で表現されましたね。

 これ、TV版の25-26話で用いられた手法と同じ意味があるのでしょう。

 つまり、シンジ君が内省的に思い悩み、迷いながら時間だけが経過していく……という状況を絵的に表しているのです。

 思い悩むシンジ君。

 そこへ駆けつけたマリ。

 だから「ギリギリセーフ!」は心理的なギリギリセーフです。

 シンジ君が悩みの果てに、マリが来ることを諦めて絶望する、その直前に間に合ったということですね!


 まさに、マリは最後に残ったシンジ君に滑り込みで手を差し伸べる、救いの天使の役割だったわけです。


 この場面はもう一つ、第四作を散々待ちあぐねたファンに対して、ギリギリで間に合った……という、監督の安堵とゴメンのメッセージを表しているのかも?


 とはいえラストの、宇部新川駅のホーム。

 マリは、大人になったシンジ君の首からチョーカーを外してポケットに入れます。

 ゴミ箱に捨てずに、ポケットに入れた!?

 どうやら、この先ずっとシンジ君を支配するというか、手の内に収めておくつもりのようですね。

 エヴァから解放されたものの、マリに拘束される結果となったシンジ君。

 まあ、人生ってそんなもの。

 末永いご健勝をお祈り申し上げます……


       *


 宇部新川駅のホームの場面、あれはきっと、“同窓会の帰り道”だったのでしょう。

 卒業後、同窓会で再会してカップルが誕生し、一緒に帰る、そんな感じでは?


 こうして全てのチルドレンが、それぞれにふさわしい居場所に到達していきます。

 互いの渇望を補完するカップルとなり、収まるベきところに、収まった……


 申し分のない、素晴らしき大団円だったと思います。


       *


 第四作のポスターのキャッチコピーは……


 「さらば、全てのエヴァンゲリオン」


 全てのエヴァンゲリオンに別れを告げて、五人全てのチルドレンが真の自由を手に入れる物語でした。

 これを言い換えれば……


 「幸せに、全てのチルドレン」


 ポスターやCDジャケットで、青い渚に描かれた五人のチルドレンの幸せな姿は、本当にエヴァンゲリオンが完結したんだなあ……と、しみじみとした気分にさせてくれますね。


 ここで思い出します。

 TV版の最終回、第26話の最後の最後のテロップは……


 「そして、全ての子供達チルドレンに おめでとう」


 最高の着地点に、物語が帰結しました。

 巡りめぐって、TV版の最終話のラストへの、見事な回帰。

 エンドロールが流れる中、ファンは誰もが心の中でこう叫んだと思います。


 「そして庵野監督、ありがとう!!」




      【次章へ続きます】


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