199●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?⑬シンジ君の“父殺し”は、無数の綾波レイに捧げる鎮魂歌。

199●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?⑬シンジ君の“父殺し”は、無数の綾波レイに捧げる鎮魂歌。




 『エヴァンゲリオン』の一連の作品群、四半世紀におよぶ壮大な叙事詩の主人公は……

 名目上は、碇シンジ君ですね。

 もちろん、TV版の導入部ではシンジ君を中心に物語が進みますので、視聴者としてはシンジ君が主人公であることに疑いを持ちません。


 しかし、1995年のTV放映から26年を経て、新劇場版の第四作で完結をみたとき、あくまで結果論ですが、真の主人公は綾波レイであったと、そう思いませんか?


       *


 本当の主人公は、綾波レイ。

 そう断定できる根拠は……


 新劇場版は、いったん完結したTV版のリビルドであり、物語の要素が凝縮されています。

 第一作(前編)『:序』(2007)、

 第二作(中編)『:破』(2009)、

 第三作(後編)『:Q』(2012)、

 第四作(完結編)『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021)

 以上を通覧しますと……

 全編が「サードインパクトとその阻止」を目標として、ドラマのベクトルが統一されていますね。

 そして、ゲンドウがもくろむサードインパクト……それは、第三作からはアディショナルインパクトとなりますが、いずれのインパクト現象においても、絶対必要不可欠な要素として設定されているのが、綾波レイです。

 レイなくしてインパクトは成立しない。

 旧劇場版の『まごころを、君に』では、ブヨブヨマシュマロなリリスと合体して、綾波巨人を形成しました。そして新劇場版第四作では、イマジナリーという、ちょっと理解を超えた存在が綾波巨人と化して、ヴンダーの吶喊とっかんを両手で止めようとしましたね。

 彼女は、あの控えめな陰キャゆえ、いかにも裏役に徹しているように見えながら、じつは突出した、見た目も明らかな、巨大な主人公なんですね。


 つまり、綾波レイはゲンドウの企ての成否を左右する重要人物なわけです。

 しかし彼女はゲンドウから、個性を持つ人間として扱われていません。

 あくまでゲンドウの妻ユイの複製体クローンであり、数え切れないスペアが用意された、いわば使い捨ての駒。

 ゲンドウの命令で行動し、エヴァに乗って使徒と闘い、死ねばすぐにスペアが後を引き継ぐ……という、非人道的な運用のもとで大量消費される人造人間。

 綾波レイにはそのような「運命が仕組まれている」ことがTV版の中盤で暗示されます。

 ただしTV版ではレイの正体は仄めかすにとどまり、明示されたのは新劇場版第三作の将棋対局の場面に冬月のセリフで……ということになりますね。


 レイは相当に陰キャです。

 ユイの複製品ゆえ、“ユイの代用品”すなわち“人形”として愛玩してくれるゲンドウにだけ好意を示します。

 TV版第5話で、暴走した零号機からエントリープラグを射出させ、そこへ駆け寄ったゲンドウが火傷もものせずハッチを開けます。

 あれは父と娘の愛情を感じさせる名場面とも取れますが、ゲンドウにとってレイは“ユイの代わり”でしかありません。ですからゲンドウからほとばしった愛情は、レイに対してよりも、心の中のユイに向けられたものでしょう。

 ゲンドウにとって、心の中のユイは唯一無二の大切な存在。

 それに対して、レイはいくらでも取り替えの効く、インパクトのための使い捨て部品なのですから。

 それでも、そのときゲンドウが落としたメガネを大切に持ち続けるレイ。

 彼女が人間的な愛情に飢えていることをあらわす、切ない情景だと思います。


 一方、レイは他者との接触を排除しています。

 他人に愛されることを拒み、愛することを否定する。

 理由は明白、「いつでも死ねなくてはならない」からですね。

 「命令なら死ぬ」といった彼女のセリフもありますね。

 いつでも突然の死を受け入れなくてはならない彼女にとって……

 他人に愛されても、また他人を愛しても、それは心の重荷。“自分の死を辛くするだけ”なのですから。


 本当は、TV版第26話の“学園エヴァ”の場面にみる、明るく闊達で、それなりに我も強い女の子なんですね。あれがきっと、彼女本来の性格。

 そんな自分を押し殺し、絶望の諦観を抱いて、じっと耐えながら生きていく……。


 そこまで切羽詰まった、ギリギリの生を生きている綾波レイこそ、エヴァ全編の真の主人公であると思うわけです。


       *


 では碇シンジ君はどうかというと……

 じつは、彼がいなくても、大半のドラマは成立しますよね。

 レイが死ぬ気で戦えば、そして実際に毎回バタバタと死んで、スペアに交替し続けるストーリーにすれば、シンジ君がいなくてもおおむね、対使徒戦はやっていけるでしょう。


 しかもシンジ君自身、TV版第17話でダミープラグが登場したことで、お払い箱の危機に直面します。

 シンジ君がいなくても、ダミープラグさえあればエヴァは動くし、戦ってくれる。

 ゲンドウいわく「いやなら帰れ」ですね。

 やっとの思いでエヴァに乗り慣れたところで、「お前なんかいなくてもいい」とサドンデスで実質クビを言い渡されたようなものです。

 以来、シンジ君は、乗せてくれとお願いしなくてはエヴァに乗せてもらえない身分に落とされてしまいました。


 シンジ君の存在理由……レゾンデートルが崩壊したわけです。

 哲学的不条理な回、第25話の冒頭の明朝体テロップがそうですね。


 ということで、シンジ君がいなくてもエヴァのストーリーは成立することになってしまったことが、ダミープラグ採用の事実からわかります。


 で、かりに物語からシンジ君を取り去ってしまったら……


 メインの主人公は綾波レイとなります。


 でも、そのかわり物語は、アニメ界随一の陰キャ少女を軸とした陰々鬱々な悲劇大作となったはず。もう、痛くて痛くて見てられません。

 だから、シンジ君が必要となりました。

 ゲンドウの親父から「帰れ」と邪険にされても、ミサトにすがりつき、自分の意志で、しがみついてでもエヴァに乗るという展開になっていきます。


 そんなシンジ君は物語の中で、いかなる役割を果たしたのでしょう。


 思いますに、おそらく、戦場に放り込まれた純朴なシロート少年の目を通じて、綾波レイを描く……という手法だったのではないでしょうか。

 そうすることで、シンジ君の保護者役としてのミサトが生きてきて、作風にコミカルなテイストが配合され、レイと真逆な、ちょっとおバカな人間味を漂わせることに成功したのだと思います。


 つまり、シンジ君は“主人公・綾波レイの語り部”であり、無機質なロボットアニメに人間的な要素を挿入して筋運びを活性化させるオッドマン(SF『アンドロメダ病原体』の『オッドマン仮説』:任意の研究・作業等を行うグループを編成する時に、専門外の人間を1人加えることによって、より効果的な結果が得られるというもの)だったと考えられるわけです。


 人間的な喜怒哀楽を抑えることなく、ほとばしらせ、反発し、抗い、屈服し、いじけ、閉じこもり、感情の起伏をあらわにする純真なシロート少年。

 しかしそんなシンジ君は、他者との感情的な接触を極力忌避する綾波レイにとって、驚くほど自然体で接してくれる、魅力的な人物となってゆきます。


 ネルフという秘密組織を維持するための人工都市で暮らす少年少女たち。

 ある意味、狡猾な嘘と白々しい虚構を張り巡らせた生活環境にあって、シンジ君はまっすぐで正直。

 それは綾波レイを戸惑わせます。

 そしてもう一つ。

 シンジは、ユイとゲンドウの実子であったこと。

 ユイの遺伝子から複製されたレイが、ユイの遺伝子と、そしてユイが愛する夫であるゲンドウの遺伝子の両方を持つシンジ君に惹かれるのは、当然の成り行きであったでしょう。

 まさに、母が我が子を愛するように。

 ですからこれは、恋心というよりは、母性愛ですね。


 レイは、シンジ君に接することで、否応なく変化してゆきます。

 TV版の第6話、戦闘で傷つき苦しむレイに心から同情し、エントリープラグのハッチを開けて救出するシンジ。

 あの「笑えばいいと思うよ」の名シーンですね。

 ゲンドウがハッチを開けてくれた場面の再現ですが、一点異なるところは……

 シンジ君がレイに、人間的な感情の発露を促してくれたことです。

 レイは実感したのでしょう。

 複製体クローンでなく、替えの効かないただひとりの人間として、そして“ユイの代わり”でなく、一人の個性ある少女、綾波レイとして、シンジ君は私を大切に思ってくれている……と。

 そして、シンジ君の前でなら、普通の女の子になってもいいんだ……と。


 もっとも、母性愛にあふれるレイにとって、シンジ君の好意は「息子に愛されている=母をいたわってくれている」という関係に近かったのではないかと思います。

 そういった触れ合いを重ねることで、多分、レイは決意したのでしょう。

 「碇君がエヴァに乗らなくてもいいようにする」と。

 シンジにとって、エヴァに乗って戦うことは、心身ともに苦痛でした。

 そりゃそうですね、エヴァ初号機には母ユイの魂が宿っています。

 それに乗って戦うことは、母を酷使し、傷つけること。

 挙句、使徒を食ってしまう状況にまで追い込んでいくのですから……。

 そりゃ、心の重荷になるはずです。

 自責の念、苦悩するシンジ君。


 だからレイは、シンジ君に命を捧げるようになります。

 「碇君は死なない、私が守るもの」ですね。

 そして、シンジ君がエヴァに乗らなくてもいいようにするには……

 シンジ君の代わりに戦ってあげることですね。

 そのために死んでも、いっさい後悔しない。

 まさに母性愛のなせる自己犠牲です。


 ことほど左様に……

 綾波レイのふるまいは、万事「利他的」な行動規範に基づいていました。

 「自分のために」が、全く無いのです。

 我が子のためにすべてを犠牲にしてもためらわない母のように。


 そしてついに、彼女はシンジ君のために命を捧げます。

 TV版第23話、第16使徒との闘いですね。


       *


 この、あまりにも薄幸な少女を、何とかして救いたい。


 それが、新劇場版四部作における、シンジ君の大命題になります。

 綾波レイが死んでも死んでも、スペアの複製体クローンがその悲惨な運命を引き継いでいくばかり。

 彼女を、この不幸な輪廻から解脱させてあげたい。

 どうすればいいのか。


 綾波レイは、シンジ君の父ゲンドウの支配下にあります。

 まるで奴隷のように。

 ゲンドウの凄まじいまでのこだわりと執着が、レイの首枷足枷となっています。

 それらを破壊し、取り去らねばなりません。

 そのためには……


 ゲンドウを殺す。つまり“父殺し”です。

 

 そうすれば、綾波は自由になれる!


       *


 とはいえ、それだけの理由で父を殺せば、いわば家庭の内輪もめ。

 シンジ君の個人的な私怨の解決としか見えません。


 そこで、ゲンドウを抹殺する、大義名分が必要となります。


 ミサトです。

 彼女は第三作で、ネルフ殲滅を目指す反ゲンドウ組織のリーダーとなっています。

 新劇場版第四作で、シンジ君はエヴァ初号機に乗ることを決意し、ヴンダーでネルフ本部を強襲しようとするミサトに告げます。

「ミサトさんが背負っているものを、半分引き受けるよ」

 ゲンドウを抹殺すれば、サードインパクトを完成させるためと思われるアディショナルインパクトを完全に停止できる。

 ゲンドウが生きていれば、性懲りもなく次なるナントカインパクトを仕掛け続けるだろう、永遠に……

 だからゲンドウを、殺す。

 そうすることで人類を滅びから救う。

 これ、大義ですね。


 シンジ君は続けて告げます。

「僕は僕の落とし前をつけたい」

 これこそが、“綾波レイを解放し、救済したい”という彼個人の願いを指すのではないでしょうか。

 綾波レイに仕組まれた不幸な運命の呪縛から、彼女の魂を解き放つこと。


 それはまた、“息子の、母への愛”と同義だったでしょう。

 綾波レイは、シンジの実の母ユイの複製体クローンなのですから。

 シンジ君がどこまで意識したかは測りかねますが、「綾波を救うことは、母の魂を救うこと」でもあったはずなのです。


 そして、シンジ君と対決したゲンドウは、謝罪します。

 「すまなかった、シンジ」と。

 様々な意味合いがこもっていることと察しますが……

 おそらく最も大きな要素は、ユイを愛するがゆえに複製した綾波レイを底無しの不幸に陥れてしまった自分への悔悟。

 それから、ユイの魂と重なる綾波レイの魂を救うために、“父殺し”の十字架を背負う決意までした息子への贖罪でしょう。


 シンジ君は決して、父ゲンドウが憎いから殺しに来たのでない。

 ただ、綾波レイを救いたいから、そうしているのだ。

 成長した息子が母に尽くし、孝行したくなるのと同じように。

 そこでついに、ゲンドウは自分の過ちを悟り、その責任を取ることを受け入れたのでしょう。


 ユイの魂が宿ったエヴァ初号機もろとも、自分のエヴァをガイウスの槍で刺し貫くことで……


 正確には、シンジ君は父ゲンドウを直接に殺害するのでなく、いわば自殺を幇助ほうじょするような形となりましたが……


 これがシンジ君の“父殺し”のプロセスに秘められた、父と子、二人の真意だったのではないかと思います。


 父ゲンドウを殺すことで、母と同じタマシイを持つ綾波レイを救済する。

 そうすることでしか、この物語は終わらないから……ですね。



       *


 シンジ君の“父殺し”は、複製の途中で、あるいは複製後の事故や戦闘で帰らぬ人となった無数の綾波レイたちへの鎮魂歌であったのでしょう。





    【次章へ続きます】





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