190●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?⑤家族こそ「年功序列と終身雇用」の原点だったのに。

190●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?⑤家族こそ「年功序列と終身雇用」の原点だったのに。



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 1960年代後半に大量生産された「スパルタ親父と教育ママ」が大暴れしたおかげで、否応なく親子の分断が深まり、家庭というものがメルトダウンする原発のように自壊していったのが70~80年代。

 その結果、90年代以降のアニメにおいても、ニッポンの家族の実態を写すかのように“家族愛至上主義”が色あせていったのではないかと思います。


 以上はある意味、「競争社会に毒された家族の自滅」であるともいえますが……


 自滅だけでなく、外的要因が家族関係を破壊する現象も、直後に発生しました。

 それも全国的に。

 所謂いわゆる、バブル経済の崩壊。

 正確には、バブル崩壊に直面した企業の対処法です。


 バブル崩壊は1990年から始まったとされますが、暴落する株や不動産などの不良債権を手放せないまま、(トランプの“ババ抜き”のババをつかまされたかのように)突然の経営難に陥った企業はどうしたのか。

 判で押したように、一斉に「人件費の削減(リストラ)による利益確保」に走りました。まるでアホなレミングの暴走みたいに、大多数の企業が愚かなクビキリに邁進してしまったのです。


 そもそもバブル崩壊で企業がドツボにはまった責任は、ひとえにその企業の経営者にあります。調子に乗って株だの不動産だのに手を出して、本業を地道に守ろうとしなかったからですね。

 その衝撃の象徴といえるのは、1997年、山一証券と北海道拓殖銀行の経営破綻でした。

 特に山一證券は「バブル崩壊による収入の落ち込みに加えて、総会屋への不正な利益提供や、株売買の損失を隠す「飛ばし」が明らかになった。帳簿外の債務は2,600億円に上り市場の信用を失って自主廃業となった」(NHKニュースアーカイブ)とされます。

 この簿っていったい何なんだよ? 昨今流行りの裏金か? ってことですね。アンフェアな小ズルイ手法で稼いできた結果ではないのか? と、フツー、疑われて当然です。

 廃業の記者会見で社長が「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と号泣したことが大々的に報道されましたが……

 そりゃ社員の皆様は命令されたまま仕事したので責任はないでょう。しかし経営者のあなたは泣いて済むものではないはず、どうやって責任をおとりになるのですか? 

 ……と怪訝に思ったものです。泣いて誤魔化すなよ、と。一部の有力債権者は損してもあなたがたにこっそり補填してもらえた一方で、見捨てられた没落債権者には、夜逃げや首吊りに追い込まれた人もいたのでは? と、今でも不審に思います。


 しかし経営者の多くは自身の責任を棚に上げ、社員(従業員)のクビを切る人件費削減で事態の収拾をはかりました。しかも経営者自身が斬首人となるのではなく、社外から専門職のクビキリエージェントを招いたわけです。

 他社の社員をあの手この手で自己都合退職に追い込むことで手数料を取り、クビにした人に再就職をあっせんすることでさらに手数料をせしめる、という二度おいしい稼業であるクビキリエージェントは、まさに大鎌を構えた死神そのものでした。

 当時の私はかれら死神を横目で見る立場でしたが、ホント、ヤな連中でしたよ。

 他人の不幸をむさぼり食って楽しむ人格を、ふつふつと感じさせられましたし。


 彼らクビキリエージェントは、まことしやかに言いました。

 「年功序列と終身雇用の、ぬるま湯の時代は終わりました。これからは実力主義の成果主義、自分の力で勝ち取れない者は淘汰されるのです」

 いやしかし、「実力主義の成果主義」とおっしゃいましても、企業につきものの、「コネ採用とコネ出世」のコースに乗る“上級社員”の皆様はそのまま温存されたわけですよね。

 問題は、その下層でじたばたする従業員が、苦労して「実力と成果」を求めて自己研鑽する気になれたかどうかです。

 だいたい20世紀末のころですね、それまで「社員」と呼んで大切にしていた労働者を「従業員」と呼ぶようになったのは。ニュアンス的には「仲間」から「使用人」に格下げしたようなものです。

 そこで従業員は気付きます。

 「実力で成果を上げるよりも、他人を蹴落として保身を図る方が容易である」と。

 ブラック企業の繁殖です。

 立場の弱い誰かに周囲がリスキーな仕事を押し付けて(つまりイジメの手口で)、過労自殺に追い込むケースが目立ちはじめ、自殺後に周りの人々は申し合わせたように「一人で仕事を抱え込まずに相談してくれたら良かったのに……」と、憐れみの言葉を寄せるのが常道となりました。

 この傾向は「失われた30年」を経た今も変わりません。最近の某歌劇団の事件だって、似通った要素があるのでは?


 ということで「失われた30年」の間、この国の人々はせっせと、「お互いを蹴落とす」ことばかりに執心して、「互いに協力して成果を上げる」ことをしなくなっていったわけです。

 そりゃ生産性はガタ落ち、他国にGDPで抜かれるはずですよ。


 で、何が言いたいのかといいますと……


 クビキリエージェントが徹底的に破壊した「年功序列と終身雇用」。

 それこそが「ニッポンの家族」の仕組みそのものだった、ということです。


 バブル崩壊が生み出した全国的なリストラの暴力は、金銭面のみならず精神メンタル面においても、この国の家族を崩壊させたわけです。それも徹底的に。


       *


 “一族”とか“一家”の概念でくくられるニッポンの家族制度には、五世紀頃に伝来した儒教の思想が影響していると思われます。

 古臭いと思われるでしょうが、家族はその年長者をリスペクトし、年長者は死ぬまで家族を守ります。そして当然、家族は簡単にクビにはできません。離縁だ勘当だと言い張っても戸籍簿は変えられませんし、法的には相続の対象になりますからね。

 良くも悪くも、是非もない“運命共同体”です。

 21世紀の今でも、社会からの認識は変わっていません。子供が罪を犯したとき、親がマスコミに責められて世間に詫びたり、家族ぐるみでネットにさらされるなど、弊害も大きいのですが……

 ともあれ「年功序列と終身雇用」は、この国の長い歴史に培われて、家族関係の骨格であり、根幹をなしてきたわけです。


 いや、じつは、少し考えてみると、「年功序列と終身雇用」は、必ずしも、この国に限られたガラパゴスな風習ではないことがわかりますね。

 『世界名作劇場』に描かれた欧米の家族像……親子ときょうだいの血縁の絆は、基本「年功序列と終身雇用」ではありませんか? 子は親を慕い、親は子を守る、死ぬまで(いや死んでも)家族は家族なのだと。

 アカデミー賞6部門に輝くアメリカ映画『わが谷は緑なりき』(1941)に登場する英国の炭鉱労働者一家が結束して家族を守りあう姿なんて、「年功序列と終身雇用」そのものですよ。


 「年功序列と終身雇用」は、決してニッポンオンリーのガラパゴスな悪弊ではなく、世界的に認められた、普遍的な原則かもしれませんね。

 映画『ゴッドファーザー』(1972-)の家族ファミリーたちも、基本的には「年功序列と終身雇用」です。こちらは足を洗いたくてもそうさせてくれないので、悲喜こもごもであるのですが。


 「年功序列と終身雇用」の最大の問題点は、家族の最年長者に権力が集中して、悪い意味で独裁化することでしょう。

 しかし家族の根幹たる儒教の教えでは、「孟子は徳によって天下を治め(王道政治)、武力による覇道を批判し、禅譲と放伐により歴史が推移してきたとする徳治主義を主張した。」(ウィキペディア)とありますように、最高権力者のモラル低下をきつく戒めています。暴君と化した権力者は臣民の手によって退位や追放されるべし、と言ったところでしょうか。


 こうした家族単位の「年功序列と終身雇用」の仕組みは、戦後の財閥解体後、ニッポンの企業に導入され、驚異的な生産性を発揮して高度経済成長を牽引しました。

 「年功序列と終身雇用」は裏返すと「滅私奉公」につながって、労働がブラック化するきらいがありますが、その反面「年功序列」なので、原則的に「部下から下剋上される心配がなく、仕事に集中できる」という巨大なメリットがあります。

 クビキリエージェントが流布した「実力主義・成果主義」は、その上位に実力も成果も分からない「コネ採用・コネ出世」層を残している以上、しょせん本質は「エセ実力主義・エセ成果主義」に過ぎません。

 そのような職場ではいつ部下に下剋上されて蹴落とされるかわかりません。「部下を見ればミツヒデと思え」です。だから、先輩は後輩に仕事を教えようとせず、むしろ、出る杭が出る前にイジメて排除しようとします。

 つまり、人材が育たないのです。

 それを補うためなのか、労働者派遣法が改正されて、一般の製造現場や事務職にまで(1999以降)派遣労働が原則大幅解禁され、即戦力たる「教育済みの労働力」を「いつでもクビにできる」条件で職場に導入していった様子が、TVドラマ『ハケンの品格』(2007)に活写されています。平均視聴率20%超えのヒット作でしたね。


 『ハケンの品格』には高スペックのスーパー派遣社員と、仕事はミスだらけの新米派遣社員が対極的に描写されていますが、現実は多くの人が新米派遣社員側の立場に甘んじていたことでしょう。TVドラマみたいにカッコよくは生きられません。

 しかもスーパーハケンさんですら「時給三千円」でして、その高額ぶり(?)に「ええっ」と周りが驚いているのですから、安く買い叩かれたものです。


 つまりハケンとは、早い話が、労働力の使い捨てであり、賃金の合法的な事実上のピンハネであり、正社員と派遣社員の分断を招くばかりで、いいところがありません(あ、すみません、あくまで私個人の感想です)。

 『ハケンの品格』では社内食堂の同じメニューでも、派遣社員の方が高価格になることが語られています。このように細かなところまで働くモチベを落とす嫌味なギミックで満ちていますので、当然、正社員と派遣社員は感情的にギスるでしょう。

 そして正社員同士、派遣社員同士の熾烈な足のひっぱりあいと蹴落としあい。

 労働環境は果てしなく劣化していきます。

 2024年の春闘で驚異的な賃金アップが実現したといっても、三月末時点では、その恩恵にあずかれるのは大企業の正社員だけです。今のところ、何一つ事態は改善されていません。


 このままでは、この国、良くなる気がしませんね。

 

 解決するにはどうすればいいのか。

 簡単です。派遣労働(と非正規労働)の制度をやめて、元に戻せばいいだけです。


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 ことほど左様に……

 世紀末のクビキリエージェントたちは、昭和の企業に生き続けていた「年功序列と終身雇用」の高効率労働システムを完全破壊し、企業から自前の人材育成の環境も、労働のモチベも、円満な職場風土も壊滅させてしまったわけでして……


 この悲惨な状況が、今度はニッポンの「家族」にフィードバックされたのだと、そう思います。父母はリストラ、子供世代は非正規労働となれば、家族の中に「年功序列と終身雇用」の時代の、“家族愛至上主義”の仕組みを維持することは困難になるでしょう。家族一人一人が、その日その日を生きるだけで力尽き果ててしまうからです。


 昭和の時代までは「年功序列と終身雇用」でそれなりに安定していた家族関係の絆が、労働環境の変化を受けて、いまやバラバラに砕かれてしまいました。


 世紀末以降、企業のリストラという怪獣によって潰されたまま戻らない、家族同士の絆。


 “家族愛至上主義”が崩れさった現実を受けて、今、アニメはどうなってしまったのでしょうか?


 すなわち、家族のポジティブな絆を否定した、“おひとりさま物語”の台頭です。


 たとえば、『薬屋のひとりごと』(2023)のように。




   【次章へ続きます】


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