187●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?②『カウボーイビバップ』は凄かった。
187●この国が良くなる気がしないのは、なぜだろう?②『カウボーイビバップ』は凄かった。
忘れた頃にもう一度観たくなるアニメって、ありますよね。
それが劇場版でなくTVシリーズの場合、なんとなくDVDを観始めたら、結局、第一話から最終話まで全部観てしまった……となることがしばしば。
途中でやめられなくなるお話、それって間違いなく傑作ですね。
観終わって心洗われ、人生をリセットする気分になれたら、なおさらでして……
古くは『未来少年コナン』や『ふしぎの海のナディア』がそうですが、とりわけ世紀の変わり目に傑作が集中しています。
例えば……
『少女革命ウテナ』(1997)
『カウボーイビバップ』(1998)
『トライガン』(1998)
『THE ビッグオー』(1999)
『ノワール』(2001)
『HELLSING』(2001、OVAは2006-12)
『スクラップドプリンセス』(2003)
『クロノクルセイド』(2003)
『シムーン』(2006)
作画や
上記の作品の素晴らしい点は、なによりも脚本が
一話ごとにググッとのめり込ませてくれるだけでなく、物語の最後になって「ああ、そういうことだったのか」と、ある種の謎解きや、不明点を解明して納得させてくれる巧みさを堪能できます。
特に、いずれの作品も、最終話の圧巻ぶりは尋常ではないですね。胸にズシンとせまる哀愁と喪失感とか、主人公たちと共に生きたかのように感じさせる存在感。その余韻の深さ。
あくまで個人的な感想ですが、TVシリーズにおける20世紀の最高作は『少女革命ウテナ』、21世紀の最高作は『シムーン』、そして両世紀をまたいで『カウボーイビバップ』が総合的な高みに君臨するといった感じでしょうか。
やはり、スパイクとジェット、フェイにエドの四人が揃うと、本当に申し訳ありませんが、近ごろの、長生きエルフの女流魔法使いさんとか、時々猫キャラになる薬屋さん、あるいは進撃する巨人さんとか、鬼滅の剣士の皆様方が束になってもかなわないほどの個性とリアリティに圧倒されます。
*
『カウボーイビバップ』のシリーズ中で、SF好きの心に刺さる神回は「Session #19ワイルド・ホーセス」。
スパイクの愛機ソードフィッシュが自動制御能力を失って地球の大気圏に墜落するところへ
極めつけは、シャトルの機名が、あのコロンビア号!
シャトルとしては二機目だけど、一機目のエンタープライズ号は大気圏内の実験機なので、最初に宇宙へ出て最も長く活躍した最古参のポンコツシャトル・コロンビア号が老骨に鞭打って勇躍登場……という設定だったのでしょう。
しかし史実では『カウボーイビバップ』が放映された1998年の五年後の2003年に、本物のコロンビア号は大気圏突入時に空中分解を起こして乗組員全員死亡という悲劇に潰えてしまいました。
そしてアニメのコロンビア号は、史実のコロンビア号と全く同様に、機体の耐熱タイルがボロボロ剥がれた状態で大気圏に突入する羽目になります。
まるで、五年後の悲劇を予見したかのようであり、そして今はその悲劇を追悼し鎮魂するかのような筋運びになってしまったことが、偶然のなりゆきとはいえ、まさに神回ではないかと……
また、スパイクたちとビバップ号が低軌道で制御を失うことになるコンピュータウイルスの設定、調子に乗った悪漢たちの自業自得など、前半の伏線の積み重ねも緻密で、何度観なおしても「よくできてるなあ……」と感嘆するばかりです。
この回に加えて「Session #7ヘヴィ・メタル・クイーン」で大活躍していた、宇宙トラックを走らせるトラッカーたちがユニーク。
この設定にクリソツな実写SF映画がありましたね。
『スペース・トラッカー』(1997)、長大な貨物カーゴの先端に、牽引式でコクピット兼機関部のユニットを連結するスタイルがまんま同じ。デニス・ホッパー氏が主演して、ポンコツトラックを転がす、気のいいおっさんドライバーを好演していました。世界設定の雰囲気がビバップとほぼほぼそっくりなので、まるで“実写版番外編”です、一見の価値、大いにアリだと思います。
また同作の中で、女友達の母親が難病で入院し、その治療法が確立するまで冷凍睡眠で年月を稼いだ……という設定があり、これもビバップのフェイの境遇と同じです。
まるで、お互いに示し合わせたみたいなクリソツ度を楽しめる『スペース・トラッカー』の公開はビバップの放映の前年である1997年。偶然の一致でしょうが、もしかすると企画段階で参考にしていた? と疑いたくなるほどです。
さて、『カウボーイビバップ』のアニメの技術面における神回は「Session #20道化師の鎮魂歌」だと思います。
バルーン化した殺人鬼の、クルクルポンポンと飛び跳ねるコミカルな動きに対して、スパイクのキレッキレの銃撃戦。幼児退行した殺人鬼が好んでいた遊園地のアトラクションが、あっけなく殺人鬼に引導を渡す皮肉さ。キャラの動きの緩急と、逆説的な結末がワサビのように効いたエピソードですね。上出来のアニメって、こういうものではないでしょうか。
*
『カウボーイビバップ』の憎いほどに素晴らしい点は山ほどありますが、その最たるものは、いまだに“未完成”のままであるということです。
なるほど、26話分のエピソードは完璧な仕上がりですし、映画版の『天国の扉』も、キャラのセリフ回しがややテンプレなきらいはありますが、第二次大戦物のソードフィッシュに加えて、F-89 スコーピオンらしき(?)ジェット機も出てきて、プラモマニアを欣喜雀躍させてくれました。
しかしそれでも……
初回放映時の最終話「第十三回:よせあつめブルース」がDVD化されていない!
まるで画竜点睛を欠くが如く、あの、最もビバップらしいボヤキとウンチクの回が正規のDVDになっていないことですよね。
あれが正規媒体になるまでは、『カウボーイビバップ』は間違いなく、完結したとは言えないでしょう。
あの回で、人生の殺伐さを癒された人、多かったのではありませんか?
ということで、『カウボーイビバップ』の凄いこと。
21世紀の今もきっと、ビバップ号はファンの心の宇宙を飛んでいるはず。
残されたジェットとフェイは、うまくやっているんだろうか?
いつまでも心に残り、ずっと生き続ける作品であってほしいものです。
*
で、本題です。
DVD化された『カウボーイビバップ』の「COWBOY BEBOP 5.1ch DVD-BOX(2004)」。
そこには、所収の三話分にオーディオコメンタリーが付されています。
そのひとつ「Session #24 ハード・ラック・ウーマン」のコメンタリーで特に注目したのは、ビバップ号の四人は「疑似家族」だったと明言されていること。
スパイクとジェットとフェイとエド、この四人には“家族”の要素が含まれていた。
言われてみて、なるほど……なのですが、これって、『カウボーイビバップ』の隠されていた重要設定だと、とらえることができるでしょう。
作品の全編にわたる、大切な隠し味。
四人がそれぞれ、家族的な役割を果たしているとも言えますが、四人のうちで最も強く“家族を求めていた”と言えるのは、もちろんフェイ・ヴァレンタインですよね。
冷凍睡眠でそれ以前の記憶を失い、全くの根無し草となっていた彼女。
自分に宛てたビデオレターが太陽系を巡り巡って届くことで、ついに記憶を取り戻した……はずが、戻るべき家はどこに行ってしまったのか……。
そう考えると、『カウボーイビバップ』のストーリーを裏返すと、さまよえる自分が安住できる“家庭”を探し続けるフェイの“心の彷徨”が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
最終話でついにフェイは、ビバップ号に“還るべき場所”を見出すのですが、その瞬間、スパイクが船を降りてゆきます。
船内で狂ったようにフェイが放った拳銃の発砲音は、希望を絶望に差し替えられた彼女のあまりにも切ない慟哭であり、結果的にスパイクを連れ去るジュリアへの激しい嫉妬の念であると感じるのですが……
フェイは、結局、“家庭”を見つけられたのだろうか?
そんな思いがずっと残っています。
さて、そこで思うのですが……
21世紀の最近のアニメ作品から、「
【次章へ続きます】
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