181●『2024能登半島地震』と二つの映画『日本沈没』(1973)(2006)。⑧『日本沈没』はなぜ「続編」に難航したのか?
181●『2024能登半島地震』と二つの映画『日本沈没』(1973)(2006)。⑧『日本沈没』はなぜ「続編」に難航したのか?
小松左京先生が遺されたSFの金字塔、『日本沈没』(1973)。
小説は1973年3月に出版、そして同名の映画作品は同年12月に公開されました。
小説・映画とも空前の大ヒット。
本稿では映画作品をメインに扱いますが、これがまた、製作期間がわずか四か月でエイヤッと作られたとは到底思えないほど丁寧な作り。
丹波哲郎氏、小林桂樹氏はじめ、大御所の俳優さんたちの演技が醸し出す“風格”がもう絶品クラス!
当時はCGなど皆無、すべてミニチュアの特撮なのに、半世紀前の映像とは信じられないほどのリアリティ!
特撮の出来の良さでは、10年ほど後の『さよならジュピター』よりもずっと素晴らしいと思います。
そのあたりは後の章で、2006年版の映画と併せて触れさせていただくとしまして……
その前にひとつ、『日本沈没』のおそらく最大の謎について考えたいと思います。
「なぜ、続編があんなに長い間、難航したのだろう?」
*
ウィキペディアの解説によりますと……
「元々は「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」をテーマに据えており、日本列島沈没はあくまでもその舞台設定で、地球物理学への関心はその後から涌いたものだという。(中略)難民となって世界中に散っていった日本人を描く第2部の構想(仮題は『日本漂流』)もあったことから、下巻の最後には「第1部・完」と記されていた。下巻発刊後から長らく執筆されることはなかったが、2006年のリメイク版映画の公開に合わせ、谷甲州との共著という形で出版された。」
どうして、第二部の上梓まで33年もかかってしまったのでしょうか?
『日本沈没』は、日本の出版界に不滅の足跡を残したメガヒット作です。
出版翌年の1974年から75年にかけて、映画の内容をさらに詳しく盛り込んだTVドラマにもなり、一時間枠で26話も放映されました。
ですから1976年あたりに「第二部」が出ていれば、またまたメガヒット確実……だったと思いますし、1973年出版の「第一部」との連続性も、より自然にスムーズに結合していたことでしょう。
なぜ、33年もの時間がかかってしまったのか?
1973年の映画『日本沈没』を繰り返し観ました。
ラストシーン、熱風と陽炎の彼方に、日本避難民を乗せた列車が消えていく、その画面のエンドマークをながめつつ、感じました。
「ああ、とうとう終わってしまった……」と。
気宇壮大なSF叙事詩が完結したんだ……という感慨がこみ上げてきます。
ということで……
どうみても、続編を期待します……という心境にはなれなかったのです。
「これで終わったはずがない、続きが楽しみ!」の、真逆の気分なのです。
皆様はいかがでしょうか?
*
映画『日本沈没』(1973)のラストに待ち受けていた、圧倒的な「完結感」、それには理由があるはずです。
1973年の『日本沈没』は、結局のところ、何を描こうとしていたのだろうか?
日本を沈没させる物語の本質は、どこにあるのだろうか?
それがどことなく、心の隅に引っかかっていました。
一般に解説されているのは、ウィキペディアにあるように「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」というテーマです。
そのテーマのままならば、1973年の『日本沈没』の読後感や、映画を観終わった時の印象は、「これで終わったはずがない、続きが楽しみ!」であるはず。
これは、国を失った日本人の未来を描く物語のプロローグにすぎないのですから。
しかしどうやら、読者や、映画の観客が得た印象は、異なっていたようです。
つまり、端的にいうと、続編はそれほど熱望されなかった……ということ。
このことに、きっと作者の小松左京先生は、気づいておられたのでは?
だから、なかなか続編が書けなかった。
読者や観客からの「猛烈な渇望」があれば、先生はお書きになったはずだと思うからです。
あ、あくまで私の個人的な妄想ですよ。
客観的な根拠はありません。「そんな気がする」ということです。
*
では、1973年の『日本沈没』には、何が描かれていたのでしょうか。
巨大な日本列島を海底に沈める地殻変動のメカニズム。
日本沈没を予測した田所博士の絶望感、そして総理たちの説得。
若き潜水艇パイロット、小野寺の活躍と愛の彷徨。
渡老人による「D計画」の提起と発動。
ニッポンを襲う天変地異のスペクタクル。
日本民族の海外脱出への方策と計画の実行、そして……
私個人の感想ですが、とても印象に残る場面が三つあります。
➀ 渡老人から「なにもしない」と語られて、うなずく山本総理の目に浮かぶ涙。
② しかし、何もしないのではなく、せめて、五万人、三万人……いや一人でも助けたい! と苦渋の心境を吐露する山本総理。
③ ラスト近く、山本総理に別れを告げて「わしは日本が好きだった!」と、声を振り絞る田所博士。
日本列島がほぼ沈没した時、オーストラリアの首相みたいな人物が「3400万人」と、脱出に成功した日本人の数を見積もる場面があります。
つまり、当時の人口一億人のうち、救われたのは三分の一。
残り三分の二は、沈む列島と運命を共にしたことが察せられます。
それが、D計画の功績であり、同時にその限界。
そして、粉雪のように火山灰が降り注ぐ中、ひとり残って佇む田所博士。
この場面、やはり目頭が熱くなります。
そのあたりに、『日本沈没』(1973)の真の主題が秘められていると感じます。
すなわち……
これは「日本を去る人」の物語でなく、「日本に残る人」の物語であったのだと。
だから、日本が全部沈んで、一億の国民の三分の二の人々が滅びたことで、お話はおしまい。
これが見事な完結なのであって、だから、続編は求められなかったのだと。
*
【次章へ続きます】
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