173●『2024.01.02羽田空港・衝突事故』、JAL516の奇跡を推論する。③ペット同席論争。では乗員の命はどうなる?

173●『2024.01.02羽田空港・衝突事故』、JAL516の奇跡を推論する。③ペット同席論争。では乗員の命はどうなる?





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 JAL516便の悲惨な事故。

 しかし「乗客乗員全員生還」という喜ばしい結果。

 ただしそれは、ネットの世界に混迷と不毛の議論を生み出すことにもなりました。

 例の「人間が全員助かって、ペットが死んだのは可哀想すぎる」に始まる、一連の「ペット同席」論争です。


 手荷物室に預けられていた二匹のペット動物は、残念ながら亡くなりました。

 やむを得ないことと思います。

 しかし、この報道をきっかけに、「ペットはケージに入れて乗客のキャビンに同席できるようにしてほしい」といった要望が著名人からSNSに投稿されて、何やら大論争になっているとか……


 愚かなことです。


 議論するまでもありません。


「非常時であろうがなかろうが、人間の生命は動物の生命に優先する」


 これが鉄則です。

 この鉄則を捻じ曲げたら、江戸時代の「お犬様」社会に逆戻りですね。

 ペットを人間のキャビンに同席させることは、、その動物を他の人間の乗客や乗務員と等価に置くことを意味するのですから。


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 JAL516便のクルーである機長、コ・パイ、CAナインの皆さんの行動は徹頭徹尾、「乗客の生命は乗員の生命に優先する」姿勢に貫かれていました。

 乗客全員を機外に避難させたうえで、機長が自ら機内を点検して、残置者がいないことを確認し、最後に脱出されたと言います。

 命を懸けて、乗客を救う決意。

 仕事とはいえ、涙が出るほど、尊いふるまいをなさったと思います。

 日本の航空機乗務員の誇りが、そこに輝いていると思います。


 前章で書きましたように、もしも「第三の脱出口」が開かなければ、おそらく犠牲者が出ていたと思えるほど、生と死のギリギリの境界線にあったのですから。


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 では、もしもこのたびの事故に見舞われたJAL516便が、人間のキャビンにペット同席を認めていたら、どうなっていたでしょうか?


 日本国内でキャビンにペット同席を認める航空会社では、その運送約款で「非常時にはペットは機内に残して避難すること」が定められていると言いますが……


 現実に、飼い主さんがそうするとは思えません。

 まず百%、「ケージを抱えて避難したい」と乗員に要望されるでしょう。

 「うちのポチを、うちのタマを助けてください」と懇願されるでしょう。

 「家族と同じなんです。お願いします!!」とCAさんに泣いてすがりつかれたとしたら……

 それとも「ポチと別れるのは嫌です! 死ぬまで一緒に機内に残ります!」と駄々をこねられたとしたら……

 それがダメなら、ケージを開けて、ポチやタマを機内に放つでしょう。

 「仕方ありません。さあ、自分の力でお逃げなさい……」と。


 これ、まさに狂気の沙汰だと思います。

 珍奇なブラックユーモアのジョークに近い。


 だって、機長をはじめ乗員の皆さんは、「自分たちよりも乗客の生命を優先する」覚悟でヒコーキを飛ばしておられるのですから。


 そんな乗員の皆さんに「うちのポチを、うちのタマを助けてください、家族なんです!」と泣いて懇願した時点で、それは暗に「事実上、乗員のあなたよりも、このペットの生命を優先してください」と要請しているのと同じであることが、わからないはずがないでしょう。


 「ポチやタマを先に避難させる」ことは、すなわち「乗員が避難する順番が後ろに回される」ことを意味するのですから。


 一秒一瞬の逡巡が生死を分ける非常時に、「乗員の生命よりも動物の生命を優先させる」に等しい行為は、絶対に許されないはずです。犯罪的ですらあります。


 「お客様のペットの命と自分の命を天秤にかける」ような判断を乗員クルー自身に強いることは、殺人に近いほど残酷で罪深い行為であると思うのです。

 任務に献身する乗員の皆さんの中には、ひょっとして、「乗客にとって家族の一員である、かけがえのないペット」の命を助けるために、人間である自分の命を犠牲にする人が現れるかもしれません。

 ポチやタマを助命救出する代わりに、逃げ遅れた機長が、コ・パイが、CAさんが死ぬ……

 それは日本人好みの美談として、もてはやされるもしれませんが……

 犠牲になる乗員にも、家族が、あるいは恋人がおられるはず。

 そんな悲劇は、断固として起こしてはならぬことです。



 非常時の機内から脱出する列の最後尾は、機長をはじめとした乗員クルーです。

 となると、いよいよのときに最初に死ぬのは、原則的に乗員なのです。

 そして、避難の列の途中にペットを割り込ませるということは、乗員の誰かに「死ぬ危険を冒せ」ということです。


 その本音を率直に言えば「私のペットを救うために乗員が死んでもかまわない」という価値観ですね。


 そんな非常識を許してはならないというのは、議論するまでもなく、人間として、当然厳守すべき鋼鉄の掟でしょう。


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 今回の事故、たまたまJAL516便の全員生還という結果でしたが……

 もしも、一人でも人間の犠牲者が出ていれば(それは乗員である可能性が高いですが)、「ペットがかわいそう」といった議論はおそらく発生しなかったでしょう。


 それどころか、そもそもが「乗客乗員全員死亡」という結果になっても全然おかしくないケースなのです。

 ほんの数分早く、エアバスの燃料タンクに火が回って爆発していたら……

 機体が劫火に包まれて、八か所の脱出口が一つも開けず、全員が機内に閉じ込められたとしたら……

 一人残らず焼死です。

 八か所のうち三か所が幸運にも使用できたから、人間が、からくも命拾いできた。


 だから最初の最初から、「ペットどころではない」恐ろしい事態だったのです。

 それに加えて、海上保安庁の方々が五人もお亡くなりになっている、その痛ましさの前には「ペット同席問題」など午睡のまどろみの寝言みたいなもの、どこのお花畑のメルヘンなのやら、ですね。


 最も恐ろしいのは、このような事故が繰り返されることです。

 この事故には必ずどこかに原因がある。

 その正体を突き止めて、絶対に再発しない方策を確立しなくてはならないですし、そのためには「誰それのミスだった」という責任問題で片づけて済むはずがない。

 ミスが原因だったら、二重三重の安全策で、もう絶対に発生しないという仕組みを構築するしかありません。今回の事故に限らず、航空機事故の悲劇の歴史が語るのは、人の命を安全に守ることの困難さです。とにかく、飛行機が墜ちたらまず百%、死ぬのですから。


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 人命が最優先。

 乗客であれ乗員であれ、人命がすべてです。

 航空機事故がもたらす人命の危険性の前には、動物の命など雲散霧消、そんなことに全くかまっておれないのが偽らざる実情でしょう。


 ペット同伴の旅客機が実現したらどうなるのでしょう。

 ペットたちが興奮してワンワン、キャンキャン、コケッコー、キッキー、パオーンと騒ぎ立てたら、あるいは飼い主がペットを機内にはなってしまったら、ヒコーキはたちまち緊急着陸を強いられるではありませんか。

 飛行中にペットの体調が悪くなったら、CAさんが「獣医さんは乗っておられませんか?」と機内アナウンスするのでしょうか。

 ペットが犬猫のレベルでなく、ヘビやカメレオンやハゲタカやクマやスッポンだったり、あるいはサルや豚や馬や牛や象だったらどうするのですか。

 そいつがスカンクやワニだったりしたら?

 そんなことでCAさんが頭を悩まして対応に追われるヒコーキに、あなたは乗りたいでしょうか?


 動物の奇態な鳴き声、そして獣の臭気と同居するキャビン。

 これ、普通に考えて、悪夢の部類だと思います。

 そういう環境はジャングルか動物園であって、飛行機の中では願い下げです。あ、あくまで個人の感想ですよ。


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 それよりも危険をはらんでいるのは、人間です。

 飼い主にとって可愛いペットでも、他の人間にとってはそうではありません。

 動物アレルギーの心配だけでなく、心情的に犬嫌いや猫嫌いの人だっているわけで、動物そのものよりも、「飼い主vsアンチペットな人」との、人間同士のトラブルも頻発するでしょう。

 人間同士がケンカになれば、これまた緊急着陸です。


 CAさんにとって最も厄介な悩みは「人間という名の動物」ってことになりそうですね。


 2020年9月、「ピーチ・アビエーション」の機内でマスク着用を拒否した客が乗務員とトラブルになり、緊急着陸したという事案もありました。


 驚くほど些細なことがきっかけで、緊急着陸を強いられるものです。


 乗せている人間だけでも、日々トラブルの種を抱えています。

 CAさんの仕事のキャパシティは、人間相手だけで一杯のはず。

 この上、ペットのケダモノさんたちの面倒まで見なくてはならないとなったら、CAさんの苦労とプレッシャーは、たちまち限界を超えてしまうでしょう。


 空を飛ぶこと自体、相当に危険なこと。

 しかも旅客機の乗員にも乗客にも、震電のお兄さんみたいな脱出装置はついていないのです。操縦の制御を失ったら、特攻と同じ結末になりかねません。

 「墜ちたら死ぬ」環境で、「人間のみならず、ペットの動物まで助けねばならない状況」を抱えて飛ぶのは、自殺的なほどに恐ろしいことではないかと思います。


 ですから「ペット同席OK」のヒコーキには、乗りたくありません。

 誰かさんの愛玩動物が助かるかわりに、自分が、あるいはCAさんが死ぬ羽目になったら、たまったものではありませんから。


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 JAL516便の今回の事故は、はからずも「人間とペット」の関係に一石を投じる結果になりました。

 私も子供のころ、ペットを飼ったことがあります。

 哀しいことに動物の病気で、早くに亡くしました。

 しかし今になれば、毒殺された可能性もあると思います。

 以来、ペットは飼っていません。

 「ただ、可愛がればいい」というものではないと思い知りました。

 ペットと社会に対する飼い主の責任は、決して軽くはないということですね。


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 JAL516便の事故の渦中で、二匹の動物が死にました。

 しかし、人間の命は守られました。

 これは、極めて正しい価値観の結果だと思います。






     【この稿 終わり】



※付記

下記のAとBが目の前で水に溺れています。

どちらか一方しか助けられないとしたら、どちらを選びますか?

A:可愛い仔パンダ、動物です。

B:刑が確定した、無抵抗の死刑囚、人間です。


 心情的にはAを助けたい。

 しかしそれでもBを助けてあげなくては、自分の中の、人間として根本的な何かが終わってしまう気がします。

 いかがでしょうか?

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