170●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑰作品の致命的な欠陥? 機雷の謎。

170●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑰作品の致命的な欠陥? 機雷の謎。




 『小説版ゴジラ-1.0』に感じる「謎」の続きです。


     *


 主人公・敷島青年の就職先は、木造漁船を改装したオンボロ掃海船・新生丸。

 東京湾近辺の海中に敷設されたデンジャラスな機雷を係維索切断器で引っ掛けて海面に浮上させ、甲板に搭載した13ミリ単装機銃の射撃によって「安全圏の三〇〇メートルまで離れた場所から機雷の小さな触角に弾丸を当てる」(P50)ことで爆破処理する……というお仕事です。


 しかしゴジラが出現したことで、その対抗手段として「回収した機雷を使え」(P73)と命じられます。

 そこで新生丸の船上で、主人公の敷島青年が「回収した機雷の改修作業を行って」(P74)一晩徹夜するはめとなり、「結局一睡もできなかった」(P74)けれど、「二機の機雷の改造は終わりました」(P75)と報告する場面が出てきます。


 これ、最初はサラリと読み流してしまいますが……

 ふと、気づきますね。


 この二機の機雷、


 そこのところ、小説版では説明がありません。

 私はまだ映画の方を見ていませんが、たぶん映像もその部分は上手にシレッと端折はしょっているのではないかと思います。


 だって……


 これ、とても大事なことです。

 機雷を安全に回収して、対ゴジラ兵器として所定の改造を施すことができなければ、海神作戦に至るまでのストーリーは大幅に破綻するのですから。


 しかし断言してもいいですが、それ、不可能ムリムリですよ。


 機雷には「四本の角のような触角が備わっている。それは鉛に包まれたガラス管で、そこに船底が接触すると、ガラス管が割れ、その中から通電性の高い液体が漏れ出し、信管に通電させて爆発する仕組みになっている」(P74)と説明されます。


 そんな物騒でセンシティブな超危険物体が海面にプカプカ浮いた状態になるわけで、それをオンボロ船・新生丸の甲板に引き揚げる方法として考えられるのは……


 改造した機雷を海面上に降ろす動作を逆にすることですね。

 改造機雷を海面に降ろすには「船尾のダビットクレーンに吊り下げた改造機雷を海面上に押し出した」(P82)とあり、そののち吊り下げロープをゆるめて海面に降ろしています。

 この手順の逆をやったのでしょう。


 とすると、まず誰かが海に入って、機雷の本体にそっと取りつきます。

 機雷には、敷設する際に吊るすための輪っかがついていますので、四本の触角に触れないように注意しながら、新生丸のダビットクレーンから降ろしたロープを、その輪っかに通します。

 ダビットクレーンは英文字のJを逆さにしたような形で、予告編の映像で新生丸の船尾に装備されているのが確認できます。

 そろそろとロープを巻き上げて、機雷を海面上に持ち上げます。そしてクレーンをくるりと回して、機雷を船尾甲板の上に持ってきて、ロープを緩めてそろそろと甲板に降ろします。

 以上、簡単じゃないか……ってはずがないですよね!


 ダビットクレーンの腕の長さは数メートルってところでしょう。

 とすると、海面に浮かぶ機雷を持ち上げるとき、新生丸の船尾との距離はたった数メートル。

 パシャッと小波が一つでも来たら、機雷と船尾は接触します。

 機雷はおそらく直径一メートル余りの球体ですから、波が無くてもクルクルとよく回ります。

 機雷の触角は四方向に向いています。まず確実にどれかがカツンと新生丸に当たります。

 するとドカン! サドンデスのドボン死です。


 ほぼ百%、海面の機雷は引き揚げる直前かその途中で新生丸の船体に接触して、ドカンとなるはずです。

 そりゃそうでしょう。不用心に近づいてきた船にゴッツンしてドカンと吹き飛ばすのが、機雷の使命なんですから。そのように作られているのですね。


 クレーンの腕が長かったとしても、安全なはずがありません。

 機雷を吊るして、クレーンをくるっと回して甲板の上に持ってくる過程で、チョイと船が揺れたり風が吹いたりして、機雷が振り子のように揺れれば、船室や甲板のどこかにカツンと当たるかもしれず、そうなったらドカンじゃないですか。


 かりに、万に一つの超絶な幸運に恵まれて新生丸の甲板に降ろせたとしても、その後の改造作業がこれまた問題です。

 「その触角を取り去り、代わりにそこに電線をはんだ付けする作業」(P74)と書かれてありますが……


 いったいどうすれば、信管に直結している触角を四本も、安全に取り外せるのでしょうか?


 ドライバーでネジを外せばスルッと取れるような安物ではないでしょう。

 一つ手順を間違えてガリッとやればドカンでしょう。

 かりに万に一つの超幸運に恵まれて触角を取り外せたとしても、そこに「電線をはんだ付けする」なんて、ちょっと考えればクレイジーの極みではありませんか?


 だって、はんだ付けする箇所のすぐ下には、信管が生きているんですから。

 それが数センチ離れているのか、それとも数ミリなのか分かりません。

 そこへ、高熱のはんだ付けを行う。

 その熱が信管を刺激するのかどうか、素人の私にはわかりませんが、摂氏200度以上の高温のハンダゴテで信管の関連部品を触り続けるのは、果たして大丈夫なのでしょうか?


 また、「信管に通電させて爆発する仕組み」(P74)ですから、電線をはんだ付けした箇所に、コーヒーをポタッと落としたり、海水のしぶきがかかったりしたら、通電してドカンといきはしないでしょうか?


 一連の「改造作業」は、その危険度において、何も知らない素人だから知らぬが仏の馬耳東風……みたいな、つまり狂気の沙汰かもしれないのです。

 敷島青年をはじめ、機雷を直接扱う専門知識も訓練も欠いているド素人が、夜なべの内職みたいな徹夜作業で、ハイできました……なんてはずがないでょう!


 その一晩で何回死んでも不思議のない、超デンジャラスでお馬鹿な自殺行為としか言いようがないのでは?


       *


 そもそも機雷は、いったん海中に敷設したら、それっきりの消耗品です。

 結局爆発しなかったら、起爆装置が故障して不発弾となったのか、そうでなければ掃海作業で強制的に爆発させられるかのどちらかであり、「海中の中古機雷を回収してリサイクル」なんてことは、常識的にあり得ないはず。


 絶対に百%、どこかでドカンとなって、サドンデスのドボン死となるはずです。


 だって「海中の中古機雷を回収してリサイクル」が安全に可能ならば、貧乏な日本海軍のこと、大戦中に率先して盛んにやっているはずです。

 B29や潜水艦が機雷を撒いてくれるたびに、じゃんじゃんウェルカムとばかりに回収して信管を抜いて改造するか、炸薬を取り出して、爆弾や魚雷やら特攻兵器の弾頭などに再利用したはず。


 それも『ゴジラ-1.0』みたいにオンボロ漁船に毛が生えた程度の設備で、掃海作業の専門教育も訓練も受けていないド素人の手で四本の触角を取り外して起爆装置を改造することができるというのなら、“特攻平気”の日本海軍のこと、そのための決死部隊を編成し、アメさんの機雷を組織的かつ大規模に回収して再活用する実績を上げていたはずです。

 

 要するに、敷島君にできるなら、とっくの昔に誰だってやっているだろう……ってことですね。


 そのように機雷の回収と再利用が、慎重にやれば安全にできるのならば、どこの国でもやっているでしょう。それに「誰でも安全に回収できる機雷」なんて、撒けば撒くほど敵に拾われてしまうだけなので、もはや兵器として成立しなくなってしまいますね。まあ世界平和には貢献するでしょうが……


 結局そうならなかったのは、機雷の「回収」なんて試みたら、その作業過程のどこかで確実に百%ドカンということになるからですね。触角なんか外そうとしたら絶対ドカンとなる仕掛けですよ。

 バカを見るどころか、毎日が陸奥爆沈みたいなもの。半径三百メートル以内の人まで巻き添えで死ぬんですから。もう目も当てられない惨状が繰り返されるだけだ……と、軍人の誰もが想像できたということではないでしょうか。


       *


 海岸近くに漂着した機雷を、地元の警察や消防団が処理しようとして不意に爆発し、一般市民も巻き添えになった事案として……


    湧別機雷事故(1942)死者112人

    名立機雷爆発事件(1949)死者63人


……があります。

 沿岸の家屋は衝撃波でぺちゃんこに潰されたと言います。

 犠牲者の多さは、爆発の威力を物語ります。


 機雷とは、いかにアンタッチャブルな激ヤバ物体であるのか、よくわかりますね。


 ですから……

 信管が生きている中古機雷を引き上げて「改造」するなんて、現実には百%の自殺行為、それはもう正気ではなく、能天気なお馬鹿としか言いようがないでしょう。

 主人公たちが魔法使いでもなければ、あり得ない設定と断言していいのでは。


 これ、『ゴジラ-1.0』のストーリー前半の最大の謎です。



 機雷。

 それは流木一本でもゴツンと当たればドカンといきかねない、ひたすらにデリケートで、かつ凶悪なシロモノです。

 新生丸がゴジラに対して、あれほど安易に「リサイクルの改造機雷」を自作DIYしてぶつける戦いは、もともと実現不可能でナンセンスな夢物語だったのです。


「海中の中古機雷を回収してリサイクルする」行為の恐るべき愚かさは、もはやギャグマンガのレベルでは?

  

 この点は明らかに、『ゴジラ-1.0』のストーリー前半の物語設定における、致命的なほどの欠陥であると考えざるをえません。


       *


 おそらく『ゴジラ-1.0』の映画を見たら、超絶のCG映像に幻惑され、引き込まれてしまうでしょう。

 また“特攻”という悲劇の本質について、深く考えさせてくれる傑作であることも確かです。

 しかしこの、機雷に関する扱いの、あっけらかんとしたユルさは、どうにも納得ができかねるのです。


 作風は、日本人の感情面に強烈に響くものがあるでしょう。

 しかし、物語の合理性の面では、なんとも理解しがたい印象が残るのです。


 『ゴジラ-1.0』は、多分SF作品。

 ただし「少し、不思議」のSFではなく、「すこぶる、不可解」のSFかもしれませんね。

 辛辣な感想文になって本当に申し訳ありませんが……



       *



 さて、「怪獣映画」としてのテーマが簡潔明瞭に示されて、かつ、ゴジラに対する畏敬の念なりリスペクトが込められた良作としては、渡辺謙氏が出演された米国製の『GODZILLA』(2014)の方が優っているように思います。

 それについてはまた別稿で……




  【この稿、終】

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