163●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑩この国に蔓延する「特攻精神の呪縛」。

163●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑩この国に蔓延する「特攻精神の呪縛」。




 海神作戦は事実上の特攻作戦でした。

 震電の突撃という、彼らのシナリオにない偶然によって救われはしました。が……

 「一人の犠牲者も出さないことを誇りとしたい」という決意とは裏腹に、人命を軽視しまくった狂気の自滅作戦だったことは確かでしょう。

 

 それは、作戦の実施プロセスと作戦指揮だけの問題ではありません。


 作戦の根幹となる、精神的バックボーンが、特攻精神にあふれていたことも大きな問題でしょう。

 集まった民間人に野田博士や堀田元艦長が海神作戦を説明し、参加者を募る場面を振り返ってみましょう。



(A)今、東京は「未曽有の危機に瀕しています」、「あの怪物に立ち向かわなくてはならない」(P121)と、ゴジラを撃滅する以外に事態を解決する方法がないことが暗示されます。

……これは誰もが納得できます。放射熱線で都心が焼き払われた情景が、集まった人々に多大なショックを与えたばかりです。こうして、「命をかけてでも、ゴジラを亡ぼす以外に、この国を救う方法はない=つまり、他に方法がない」という事実が共有されていきます。


(B)「日本政府も米軍も当てにできない」「我々しかこの国の未来を切り開くことはできない」(P128)と断定し、「命がけの任務をお願いするのは大変心苦しい」(P128)と、生命の危険性を覚悟させます。

……ここに集まった君たちにしか、この国は救えない、他の人にはできない。命を捨ててでも、自分たちがリスクを負担して戦わねばならない、ということです。誰かに頼むことも、代わってもらうこともできない、と。


(C)「これは命令ではありません」(P128)と念押しされます。

……「帰っていいと言われると、かえって動けなくなる」(P128)わけですね。  

 「帰っていい」のですから、ここで立ち上がって、こんな作戦はバカげているからやめるべきだ、と主張することができなくなります。そして「動けなくなる」ことで、大多数の人々が、悪しき“同調圧力”に支配されます。“みんな自発的に志願している、おれ一人だけ逃げることはできない……”と。



 この(A)(B)(C)の論法レトリックは、大戦中に軍の上官が部下たちに「特攻を志願させる」ために行った説得の仕方と全く同じではありませんか?

 これを要約しますと……



【特攻精神の三要素】


(A)大義の認識……他に手段がない。

……「この国は存亡の危機に直面している」→「敵を撃滅し、勝利するしかない」と吹き込まれます。そこに大義があるということですね。

 いちいち明言しなくとも「勝つしかない。撤退や降伏など、絶対に許されない」ことは大前提となっています。「生きて虜囚の辱めを受けず」ですから。


(B)犠牲の決意……君たちが犠牲となって、死ぬしかない。

……「この国を救えるのは、君たちしかいない」、だから「心苦しいが、命を捨てて犠牲となるしかない」。つまり死を覚悟し、そう決意してくれということですね。そして「これは全国民に感謝される、崇高な行為である」ことが告げられます。


(C)自発の意志……これは強制ではない、自分の意志で参加を決めよ。

……特攻の常套句ですね。「国家も軍も、強制はしない。自分自身の固い意志で参加せよ」というのですが、断ったらどうなるのか、ただでは済まないことをみんな知っています。もしも断ったら、良くても最前線の最も危険な場所、例えば玉砕の予定地へ左遷されるだけでしょう。



 この「(A)大義の認識、(B)犠牲の決意、(C)自発の意志」を、「特攻精神の三要素」と呼ぶことにします。


 特攻精神を非難するつもりは一切ありません。崇高で尊い自己犠牲の精神です。

 しかし、その尊い心が、特攻を募る上官たち、上位者によって「利用」されていることも事実でしょう。


 上官の、隠された本音を推測しますと……


【特攻を募る上官の本音】


(A)大義の認識……勝つしかない。だから、他に手段がない。

→【上官の本音】「勝てないのは君たちが弱いからだ。俺が弱いのではない」


(B)犠牲の決意……君たちが犠牲となって、死ぬしかない。

→【上官の本音】「俺は犠牲にならないからね」


(C)自発の意志……これは強制ではない、自分の意志で参加を決めよ。

→【上官の本音】「だから、俺は責任を取らないからね」


 ……と、無責任極まりない作戦指導であったことが推論されます。


 以上はずいぶん辛辣な解釈ですが、しかし実際、「君たちの後にワシも続く!」と叱咤激励しながら、終戦となれば、スタコラと雲隠れしたエラいさんは随分おられたことでしょう。

 また、特攻兵器・桜花の発案者は「自分が乗ります」と宣言したものの、出撃することなく終戦で行方をくらまし、戦後に長らく存命。回天や震洋艇などの開発を熱心に推進した将官は、戦後も何食わぬ様子で存命しました。

 人命をかくも軽んじた自殺兵器が、かくも無責任に生産され運用され、開発と運用の責任者が責任を一切取らなかったことは、記憶しておきたいものです。


       *


 ということで、海神作戦の精神的バックボーンは、特攻精神そのものでした。


 『ゴジラ-1.0』は、だから特攻戦争映画なのです。


       *


 実際の戦争では、爆装した航空機、自爆専用機・剣、人間爆弾・桜花、人間魚雷・回天、自爆ボートの震洋から、地雷を抱いて敵戦車に突っ込む、あるいは離島の玉砕も、「特攻」(=自殺攻撃スーサイド・アタック)の概念に含まれるでしょう。

 多岐にわたって開発・運用された特攻兵器とその作戦は、多少の戦果は挙げたものの、戦局には全く寄与しませんでした。


 1944年10月のレイテ沖海戦の時点から航空特攻が始まり、翌年8月の終戦まで10か月にわたり、あの手この手で繰り返されて、結局、事実上の「無駄死に」に終ってしまった特攻。

 特攻を否定した343空による紫電・紫電改の活躍とか、重巡インディアナポリスを撃沈した伊58潜水艦の方が、戦果という点では、特攻以上の効果を上げたと言えるのではないでしょうか。それにしても戦局を変えることなく、虚しい戦いでしかなかったのですが。


 なぜ、一年近くにもわたり、性懲りもなく、この国は特攻を推し進めたのか?


 国家を上げて、「ギャンブル依存症」に陥っていたのではないかと思います。

 ギャンブルを始めた人が、例えば百万円とか負けて失ってしまったとき……

 「ギャンブルは長期的には、胴元だけが儲かって、賭けの参加者はいずれ必ず損をする」ことを悟って、「損切り」して手を引けばいいはずです。

 しかしそうはせず、「ギャンブルの損はギャンブルで取り返す」という誘惑にとらわれて、次々とお金を注ぎ込んでいくようなこと、ギャンブル依存ですね。

 ギャンブルに限らず、ハイリスク・ハイリターンの投資、あるいは一般的な株取引でも同じ。「投資で損したので投資で取り返す」「株で損したので株で取り返す」という、愚かで悪循環な発想です。「なぜ損したのか」を十分に検討もせずに、この破滅ループに乗ることの愚かさを知らねばなりません。

 もしも、バブル期の証券会社のように「特定顧客には損失を補填する」という八百長なシステムがまだ生きていたとしたら、「得する人は必ず得して、損する人は必ず損する」のですから。


 さて第一弾の航空特攻は、米国の護衛空母を撃沈するなど、効果がありました。

 ビギナーズラックみたいな幸運な戦果に味を占めて、この国は特攻にのめり込みます。あとはやってもやっても負け戦で、やたらと人命を損耗しただけなのですが「特攻の損は特攻で取り返す」とばかりに、次々と新手の特攻を編み出して製品化し、死者ばかりを量産してなおも、この「人殺しギャンブル」から足を洗えなかった。

 この恐ろしい現象は、21世紀の今でも衰えておりませんね。

 つまり、こうです。



【ブラック企業の上司の本音】


(A)大義の認識……達成困難なノルマだが、未達は許されない。

→【上司の本音】「仕事はできて当たり前。成果を上げられない君たち社員が弱いからだ。経営陣の私が弱いのではない」


(B)犠牲の決意……過労死する労働でも、できるはずだ。

→【上司の本音】「私は助けないからね」


(C)自発の意志……強制ではない、自分の意志で仕事を抱え込め。

→【上司の本音】「だから私は責任を取らないからね。いやならクビか降格だ」



 このような思考回路の職場、何かとマスコミに報道されているような。

 結局、従業員の生命をかえりみず、非常識な過重労働の末に、自殺に追い込んでゆきます。


 自殺者に対して、「そこまで自分で抱え込まなくても」といった憐憫の声が聞かれるけれど、実はそうではなく、「自分で抱え込むように仕向けられたからこそ、自殺に追い込まれる」のですね。



       *


 ということで、『ゴジラ-1.0』は、1947年のお話ではないのです。

 21世紀の今、そこにあって、私たちを取り巻いている「特攻精神の呪縛」に関する警鐘の物語と解することもできるでしょう。


 『ゴジラ-1.0』では、ゴジラ襲来の危機に直面して、「犠牲者を出さない」と約束して死中に活路を見出す海神作戦ですら、その本質は大戦中の特攻と同じレベルの、人命軽視の自殺的作戦でした。

 ゴジラに立ち向かう男たちは、主人公をはじめ、たった一人を除いて、みんなが「特攻精神の呪縛」にとらわれていたのです。

 全滅を恐れずに敢闘する重巡高雄、国会議事堂から砲撃する国産戦車部隊、身の危険を顧みず海神作戦に志願する人々、深海に沈めたゴジラの反撃を覚悟で強制浮上に踏み切る駆逐艦乗り、義侠心に燃えて応援に駆け付けるタグボートの船員たち、そして突撃する震電。

 心の中で、そういった勇敢な登場人物に感動し、血をたぎらせて声援を送ったならば、そのとき、あなたはもしかして、「特攻精神の呪縛」にガッチリと絡み取られているのかもしれません。


 これは崇高な人々の聖戦だと。日本人の尊い精神がゴジラを倒すのだ! と。


 その認識は、果たして正しいのか?


 日本人が今でも心地よく耽溺してしまう「特攻の美学」に明白な疑問符を突き付ける『ゴジラ-1.0』。

 だから、これはやはり傑作だと思うのです。





     【次章へ続きます】




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