162●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑨海神作戦は無責任な民間特攻。

162●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑨海神作戦は無責任な民間特攻。





       *


 「怪獣映画」の仮面をつけた「特攻戦争映画」。

 キツい表現ですが、“ゴジラにかこつけて「本土決戦」を描く”。

 それが『ゴジラ-1.0』の正体です。


 なぜならば、物語のクライマックスを彩る「海神作戦」、あれは完全に「特攻」そのものなのですから。

 そんなはずはないと思われるでしょう。

 しかしあれはニッポンの「特攻精神」のカタマリであり、しかも軍人の特攻よりも悲惨な「民間による事実上の特攻」という、むしろ、もっと条件の悪い……強調するならば、もっと性質タチの悪いプロジェクトであることに気づかされます。

 なぜか。


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 主人公・敷島のセリフ「……俺の……戦争が終わっていないんです」(P134)。

 そして「俺達は戦争を生き残っちまった。だからこそ、今度こそはってな」(P145)と語る秋津のセリフ。

 これが、海神作戦に参加する人々の本音……というよりも、より正確には、精神的な呪縛ということでしょう。

 だから彼らは今、ゴジラを相手に「本土決戦」をやろうとしているわけです。


 これは、“特攻で死に損ねた者の、特攻のやりなおし”であるわけです。


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 「今作戦では一人の犠牲者も出さないことを誇りとしたい」(P147)

 作戦の発案者、野田博士の言葉に、参加者は深く共感します。

 しかし、この約束は大嘘でした。

 「水中拡声器部隊、壊滅!」(P157)

 これは「犠牲者を出さない」と豪語した翌日の早朝ですよ。

 作戦の予備段階で、すでに数十人と推定される犠牲が出たのです。

 海神作戦の正式な開始前の出来事です。

 だからこの犠牲者は“別腹”ですよ、海神作戦の本体で犠牲を出さなかったから、いいんだ……と言い訳したとしたら、それはオスプレイの墜落を不時着と言い換えるようなもので、忌まわしきウソツキ大本営発表と変わりありません。


 海神作戦は開始直前に、多大な犠牲者を出しました。

 さらなる作戦の遂行は、さらなる死者を予見させます。

 そして作戦実施後、幸いにも、死者0で推移したかのようですが……

 浮上したゴジラは、放射熱線の発射スタンバイOKでした。(P181)

 この時、たまたま震電が突撃してくれなかったら、ここで作戦参加者全員が死亡していたはずです。


 これは作戦が巧妙だったのではなく、運任せに近い僥倖で助かった……ということであり、ゴジラが浮上する前の時点で、「作戦失敗・全滅必至」と評価されるべき状況だったのです。


 これは作戦指揮の問題です。

 浮上してくるゴジラがボロボロで、戦闘能力を失っているか、それとも余力を残して戦闘可能なのか、駆逐艦雪風の指揮官は迷っていました。

 その判断を、客観的な根拠のない、希望的観測に委ねてしまったことがいけなかったのです。

 たぶん、何とかなるだろう……と。

 これは作戦でなく、愚かなギャンブルでした。


 指揮官が賢明なら、ゴジラが浮上途中で停止し、バルーンが食い破られた事実を知った時点で作戦の完全な遂行は不可能になったことを悟ったはず。

 つまり、作戦は失敗である、と。

 だからただちに「作戦中止、全艦退避!」を発令すべきでした。

 作戦の深刻な状況を知らずに、義侠心だけで駆けつけてきた応援のタグボート群には、「馬鹿者、即刻、引き返せ! 逃げるんだ!」と一喝する判断力が無くてはならなかったのです。


 作戦開始前に、野田博士は真剣に、その真心から「一人の犠牲者も出さない」と宣言したのでしょうが、これは作戦の現場指揮官をある種のペテンと欺瞞にかける行為でした。

 全員がこの美しい人命尊重の精神に酔いしれてしまったがゆえに、作戦の正当性に疑いを抱かなくなってしまったのでしょう。


 作戦実施前に、指揮官たちはしっかりと下記の二点を検討し、決定しておくべきでした。


  一、ここまでは、危険を冒しても前進する。

  二、こうなったら、作戦を中止して撤退する。


 この一と二を、誰も共有していなかったのですね。

 だから、ゴジラが放射熱線を吐く寸前になっても、指揮官はフリーズし、有意な判断ができなかった。


 「一人の犠牲者も出さない」という美しい決意が、海神作戦に前進しか許さなくなり、「これだけ犠牲者が出たら、あるいは出る確率が高まったら、作戦を中止して人命を守る」という発想を最初から完全排除してしまったのです。


 「一人の犠牲者も出さない」と約束されたとたん、誰一人、「作戦が失敗したら、どうする?」という反論ができなくなってしまった。いや反論が封じられた。


 「一人の犠牲者も出さない」タテマエに固執し、作戦は前進するしかなくなった。

 猪突猛進です。

 遅くとも、「水中拡声器部隊、壊滅!」(P157)という失態を犯した時点で、作戦中止と撤退の条件を検討し、内部共有しなくてはいけなかったのに、それを怠り、おそらく「かれらの犠牲を無駄にしてたまるか、弔い合戦だ!」という悪しきベクトルに傾いたのでしょう。

 「撤退を考えない作戦」へと。


 大戦中の日本軍がしばしば陥った、思考停止状態。


 これ、事実上の特攻であり、玉砕です。


       *


 「撤退を考えない作戦」こそ、特攻のはじまり。

 『ゴジラ-1.0』は、そのことを見事に指摘してくれるのです。


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 いろいろと『ゴジラ-1.0』の作品的価値にケチをつけているみたいで、本当に申し訳ありません。

 しかし、私の考えはその真逆です。

 『ゴジラ-1.0』は、驚異的に素晴らしい傑作です!

 海神作戦は、その美談的な仮面をはぎ取ると、ある意味、醜悪な特攻作戦だった。

 この描かれ方こそ、大切だと思います。

 これほど、「特攻」の本質を、21世紀の今にも十分に通じる形で提示し、深く考えさせてくれる作品は、これまで出会った記憶がありません。


 『ゴジラ-1.0』は、特攻戦争映画の金字塔だと断言したいです!


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    【次章へ続きます】



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