160●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑦マイナスゴジラの正体は「やり残した本土決戦」!

160●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑦マイナスゴジラの正体は「やり残した本土決戦」!




       *


 これまで『ゴジラ-1.0』の“不自然な個所”に注目、考察してきました。


 振り返ってみましょう。

 次の三点ですね。


一、ゴジラは日本へ来襲するが、その理由はなぜか不明。

二、マッカーサー元帥とGHQの存在がまるで無視されている。

三、放射熱線で、なんと皇居を壊滅させた!


 そして特に気になる点は、前章でも触れましたように……


四、ゴジラ対策は「怪獣退治=害獣駆除」のはずが、「軍事的関与/軍事行動」と表現され、いつのまにか「戦闘行為/戦争」の意味合いに変更されてしまったこと。



 そこで、ここで試しに、「ゴジラ退治」=「戦争」と置き換えてイメージしてみましょう。


 「ゴジラ退治」とは……

 日本本土とその沿岸域でおこなう、事実上の「戦争」だと。


 日本本土とその沿岸域の戦争。

 すなわち、「本土決戦」!


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 1945年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受け入れて、連合国に無条件降伏しました。

 いわゆる終戦です。

 しかし、もしも、帝国が終戦を拒絶して、戦争を継続していれば……

 同年の秋から翌年にかけて、連合軍は九州と関東に上陸作戦を敢行し、本土決戦が発生しただろう……と予測されています。


 そうなれば帝国は、使える武器をかき集め、決戦用に開発し温存していた新兵器類を投入して、米英軍と最後の死闘を繰り広げたことでしょう。

 間違いなく敗北です。歴史は甘くありません。

 降伏しない日本人はみな戦死し、帝国は滅びます。

 一億玉砕、一億総特攻です。



 そこで、『ゴジラ-1.0』です。

 「ゴジラ退治=戦争行為」として、映画館のスクリーンに、あるいは小説版に描写された情景を想い返してみましょう。


 重巡高雄がシンガポールからはるばる進撃してきて、ゴジラと海戦を交えます。

 これが歴史のIF「本土決戦」でしたら、同様にシンガポールの高雄をはじめ、南方に残存している艦船を日本へと呼び戻し、日本本土に群がっている連合軍艦艇を背後から叩くように指令したでしょう。もちろんたちまち撃沈されて終りでしょうが、それでも高雄は奮戦するはずです。


 国会議事堂の前に集結した四号戦車がゴジラを砲撃します。そして戦闘機・震電が体当たりを含めた戦法でゴジラを攻撃します。

 これが歴史のIF「本土決戦」でしたら、国内に温存していた決戦用の新型戦車を集めて、連合軍の上陸部隊を砲撃するでしょう。温存していた新型戦闘機も同様ですが、多くは爆装して特攻に使用されるでしょう。


 ゴジラの放射熱線が半径六キロの範囲を壊滅させ、その中に皇居が含まれます。

 これが歴史のIF「本土決戦」でしたら、東京に原爆が投下され、皇居を含む広範な地域が壊滅し、放射能に汚染されるかもしれません。

(ヒロシマでは「半径二キロ」の木造家屋が破壊されたということですので、ゴジラの放射熱線の威力はそれ以上だったことになります)


 わずか四隻の駆逐艦が、ゴジラに海神作戦を仕掛けます。

 これが歴史のIF「本土決戦」でしたら、地方の沿岸に隠してあった艦艇が米英の上陸艦隊を迎え撃ちます。幸運艦の雪風をはじめ、“雑木林シリーズ”の急造駆逐艦や海防艦、駆潜艇など、小型艦艇しか運用できず、全滅を前提とした事実上の特攻作戦を強いられます。


 海神作戦で、戦艦大和の46センチ主砲弾がゴジラ攻撃兵器として使用されます。

 これが歴史のIF「本土決戦」でしたら、在庫として残っている大型艦砲弾を改造して航空特攻機の剣あるいは桜花、もしくは爆装ボートの震洋、あるいは回天の弾頭として特攻に転用されるでしょう。


 このように、『ゴジラ-1.0』では……

 「本土決戦」が行われているのです。

 敵となる相手が連合軍でなく、怪獣ゴジラにすり替わっているだけなのです。


 つまり、マイナスゴジラとは……

 「やり残していた本土決戦を再現するためのギミック」なのです。

 忘れていた夏休みの宿題を、二年後の1947年に提出させられるかのように。

 マイナスゴジラは「幻の本土決戦」であり、同時に「本土決戦の幻」でもあると言えましょう。


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 特攻を生き残った主人公、敷島は、ゴジラの出現によって、はからずも「事実上の本土決戦」に巻き込まれていくのです。

 そしてこの「本土決戦」こそ、『永遠の0』に描かれた太平洋戦争がエンドマークを出さずに続いていたら、せっかく生き残った零戦の搭乗員たちが直面することになる、最悪の歴史だったことになります。


 それゆえ『ゴジラ-1.0』は、『永遠の0』で語られた歴史の延長線にゴジラという架空の恐怖を挿入することで成立した、新機軸の「特攻戦争映画」と位置付けられるでしょう。


 『ゴジラ-1.0』は、怪獣映画でなく、特攻戦争映画。

 その舞台は、主人公たち元特攻隊員が「やり残していた本土決戦」なのです。


       *


 以上のように考えますと、冒頭で述べた「不自然な点 一、二、三」が不自然ではなくなりますね。

 これは本土決戦の物語ですから、ゴジラ(=戦争)が日本にやってくるのは歴史の必然となります。

 本土決戦を戦うのは日本人でなくてはなりませんから、マッカーサー元帥とGHQは存在感を薄めて、意図的にストーリーの埒外に追いやられます。

 そして皇居が壊滅する事態は、「本土決戦」しか考えられないでしょう。

 それも、原爆が使用された場合を考えれば、あり得るシチュエーションです。


 これは、もう一つの「本土決戦」。

 それが『ゴジラ-1.0』の真の姿ということではないでしょうか。




     【次章へ続きます】



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