159●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑥これはゴジラ映画でなく、特攻戦争映画。
159●『ゴジラ-1.0』の疑問点と続編を妄想推理する。⑥これはゴジラ映画でなく、特攻戦争映画。
物語のラスト近く。
マイナスゴジラ断末魔のシーンは、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)へのオマージュでしょうね。
特殊潜航艇「さつま」で単身ゴジラに決斗を挑む防衛軍准将を演じたのは宇崎竜童氏、全編さまざまな怪獣バトルがありましたが、結局は「ゴジラvs親父」の一騎打ちに収束したところがさすがでした。
ゴジラvs怪獣でなく、ゴジラvs宇宙人でもなく、「ゴジラvs一人の人間」の意地をかけた格闘を演じたことといい、フィナーレでの敬礼シーンといい、最後のゴジラ細胞の蠕動シーンといい、『ゴジラ-1.0』に通じる見せ方です。
その結果、“ラストの展開が似通ってしまった”ところが、『ゴジラ-1.0』のちょっと残念なところ。
とはいえ……
そこで押さえておきたいのは……
『ゴジラ-1.0』は視点を変えてみると「ゴジラ映画ではない!」ということです。
私見ではありますが、マイナスゴジラはゴジラにあらず、「怪獣」としたのはタテマエで、本音の役どころは「現実の戦争の代わり」なのだと思います。
『ゴジラ-1.0』は怪獣映画にあらず。
「特攻戦争映画」なのです。
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『ゴジラ-1.0』は、おそらく、同じ監督による『永遠の0』(映画は2013、700分を超えるテレビドラマは2015)の続編でしょう。
『永遠の0』は、現在の物語と戦時中の物語が交錯しますが、戦時中パートの方では、特攻に飛び立った零戦がエンジン不調で離島へ不時着することで、パイロットの若者が戦後へと生き延びる……といったエピソードが余韻を残していましたね。
『ゴジラ-1.0』も、少し事情は異なるものの、機体故障という事情で離島に不時着して九死に一生を得る主人公が描かれることで、物語が始まります。
つまり『永遠の0』の結末と『ゴジラ-1.0』の冒頭は、つながっているのです。
ふと思ったのですが、ひょっとして監督はずっと『永遠の0』の続編を構想しておられて、それを実現する奇想天外なギミックとして、マイナスゴジラを出演させるに至ったのではないでしょうか?
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『ゴジラ-1.0』では、『永遠の0』と同様に「特攻という絶対確実な死を生き延びてしまったことの是非」が物語を貫く精神的な葛藤を形作ります。
『永遠の0』の主人公は、生き延びるチャンスを若者に譲って、自分はその代わりに特攻に邁進することになるのですが……
『ゴジラ-1.0』で、特攻隊を志願して死を覚悟したのに、死ぬ勇気がなくて「死に損ねてしまった……」と苦しむ主人公、敷島。
彼の心のトラウマを救う、ある意味皮肉な救世主としてゴジラが登場します。
命をかけて、特攻とほぼ同じ状況でゴジラと闘い、ゴジラを屠ることで、主人公の心は癒されることになるのですね。
死ぬべき特攻で死に損ねた自分でも、こうやって愛する人を救うことができた……その思いが、主人公に、本当の意味で生きる意欲を取り戻させる……という物語であることは確かでしょう。素晴らしいテーマのお話です。
ということは……
おそらく主人公の敷島君は、「自分がしくじった戦争を、ゴジラに対して、もういちど、戦い直している」のです。そして勝利することで、それまで否定して来た自分の人生を、肯定できる人生に転換しようと、文字通り、生きて、抗ったのですね。
そう考えると、ゴジラは「駆除すべき害獣」というよりも、主人公にとって「戦争そのもの」となります。
マイナスゴジラの本質的な正体は、「怪獣」でなく「戦争」。
そうとらえると、すっきりします。
以前、本稿の②章で、下記のように述べました。
『ゴジラ-1.0』では、マッカーサー元帥とGHQは「ソビエト連邦との情勢を鑑み、軍事的関与は行えない」(P68)、「うかつに軍事行動ができない」(P73)と強調されています。
ここには言葉の罠、レトリックのトリックがあります。
怪獣退治を「軍事的関与」「軍事行動」と言い換えたことです。
怪獣退治は、あくまで「害獣駆除」のはず。人食いヒグマを射殺するレベルであって、軍事行動に該当するはずがありません。
しかし、ゴジラ退治は「戦争」なのだと、観客の脳裏にフワッと暗示されてしまうのです。
この暗示が、物語全体に通底していきます。
そして主人公にとって、「戦争」とは「特攻」であります。
ということは……
『ゴジラ-1.0』は、「怪獣映画」でなく「特攻」を描く「ガッチガチの戦争映画」と考えられるのではないかと。
それゆえ、従来のゴジラ映画で伝統的に培われてきた「怪獣退治という痛快な冒険のカタルシスを味わうエンタテイメント」の要素が徹底的に排除されていることにうなずけますね。
ゴジラ映画、第一作はともかく、それ以外はずーっと「スペクタクルな怪獣退治を楽しむ娯楽映画」でした。派手な怪獣アクションと、怪獣に立ち向かう人間の冒険心と痛快さ。ときに悲壮感があったとしても、それほどジメジメしない、カラッとした明るい結末だったような……
しかし『ゴジラ-1.0』では……
描かれているのは、冒険でなく、戦争。
その結末はどこか物悲しく、重い。
『ゴジラ-1.0』は、歴代ゴジラ映画の中で、最も真面目に…それも、クソマジメなほど…シリアスに描かれた「特攻戦争映画」なのだと、そう思うのです。
【次章へ続きます】
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