152●『超時空要塞マクロス/愛・おぼ…』⑩…無言で語られる感情、ミンメイの魅力。

152●『超時空要塞マクロス/愛・おぼ…』⑩…無言で語られる感情、ミンメイの魅力。




 『劇場版マクロス』は、ミンメイの物語でした。

 劇場版予告編で「主演、リン・ミンメイ」「ミンメイ・マクロスピード!」と告げられ、完全に主役として認知されています。

 ラストシーンでも明らか。どうみてもミンメイの独演会でしたね。


 作品のストーリーは、SFアニメとして、以前の章で「①②③の増補」と紹介した“大規模な増築”が行われ、いわばそのシワ寄せとして、TV版の登場人物の活躍をバッサリとカットして、二時間弱の尺に収められた……と申しました。


 その過程で、意図的に、ミンメイを主演とする形に、絞り込まれたのでしょう。


 つまり『劇場版マクロス』は、実質的に……

「ミンメイのミュージックビデオ(MV)でありプロモーションビデオ(PV)」

 ……として完成したと、とらえられるのです。

 それがおそらく、劇場版の、硬派なSFアニメの仮面の下に隠された、もう一つの顔だったのです。


 どなたもご異論は無いと思います。

 SFアニメとして、その内容をきっちりと成立させながらも……

 映画一本まるごと、ミンメイのために作られたMVでありPV。

 『愛・おぼえていますか』のワンマンショーだけを切り取っても、明らかにMV。

 TV版でミンメイの人気が鰻登りとなったことが劇場版を成功させ、そしてCD等の音楽媒体に続々と商業展開がなされ、さらなる成功を呼び込みました。

 ビジネスの先兵としても、ミンメイは大活躍したのです。 


 これも、『劇場版マクロス』の、大いなる先駆性でした。

 ウィキペディアから引用しますと……


 「……日本におけるミュージック・ビデオの発展は、生放送の音楽番組が衰退した1980年代後半から1990年代初頭以降、アーティストの音楽番組出演に代わるプロモーション手段の一つとして、また洋楽シーンの影響も受け増えていくようになる。この頃ミュージック・ビデオを積極的に使ったアーティストにはオフコース、TM NETWORK、小泉今日子、サザンオールスターズ、CHAGE and ASKAなどがいる。……」 


 そう、MVなるものが大衆に一般化するのは、1980年代後半以降。


 『劇場版マクロス』は、日本初のミュージックビデオ、それも映画一本分の「メガMV」と解釈できるかもしれませんね。

 これも、リン・ミンメイのアイドルパワーの凄さを裏付けているのでしょう。


 実写の“音楽映画”あるいは“歌謡映画”は、古くはシルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ』(1965)とか、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』(1967)などもありましたが、アニメ映画で二次元バーチャルアイドルを押し出して、MVやPVの機能を果たしたのは前代未聞。『劇場版マクロス』の文化的足跡として大いに評価されるべきでしょう。


 

       *


 さて、『劇場版マクロス』の、SFとしてのストーリーに着目しますと……

 ミンメイの『天使の絵の具』に終わる華やかなエンディングが、宇宙戦争が終わって訪れた平和の明るさを暗示していますが、あれはかならずしもハッピーに終わったわけではありませんね。


 マクロス艦とその人々は絶望的な戦いに勝利し、生き延びることができました。

 それは、ミンメイの歌のおかげ。

 しかし、ミンメイの歌には恐るべき二面性が含まれていることも、同時に明らかになりました。

 ミンメイの歌で、敵は戦意を喪失します。

 ミンメイの歌で、味方は戦意を鼓舞され、巨大な敵に敢然と進撃します。

 ひるむ敵軍、それらを蹴散らして殺す味方の軍勢。

 その結果、「寡を以て、よく衆を制す」が現出しました。

 つまりミンメイの歌は、戦略兵器となったのです。


 「敵味方の双方が戦意をなくして戦いをやめる」結末ではなかったのですから。


 敵は全滅、しかし味方も平和の代償に膨大な人命を犠牲にしました。

 ミンメイの歌は、幸せだけをもたらしたのではありません。

 劇場版では、戦争がもたらす残酷な情景も、ちらほらと描かれていましたね。


 つまりミンメイは、「かくも多くを救い、かくも多くを殺したアイドル」として、アニメ史に刻まれたのです。


 ミンメイは永遠のアイドルとして歩み始めましたが、彼女の心には、原爆を投下したパイロットにも似た、ある種の“闇”も秘められていたことと思います。


 というのも、劇場版に描かれたミンメイは、ただカワイイだけの、人工的なアニメキャラではなく、本当に生きている人間と言いたくなるほどの情感豊かなリアリティが備わっていたからですね。


 “光もあれば闇もある”、等身大の一人の人間として……


 これが『劇場版マクロス』の最大の魅力ではないかと思います。


       *


 『劇場版マクロス』では、ミンメイをはじめとした主要キャラが、実に丁寧に描き込まれていました。

 TV版と比較すれば歴然としていますが、「仕草と表情」が細やかに描写され、そこからキャラ本人の感情がにじみ出る……という、物凄く高度な演出です。


 セリフに依存せず、「仕草と表情」で感情を語る。


 そんな場面、随所にありましたね。

 特に強烈な印象を残したのは、「50万年前プロトカルチャーのラブソング」を未沙が翻訳した、そのメモを持って、ヒカルがミンメイに「歌ってもらいたい」と頼む場面です。

 「あの人が見つけた歌なんて!」と拒絶するミンメイ。

 続く言葉で「……みんな死んでしまえばいい!」と激高され、思わずヒカルはミンメイに平手打ちをくらわします。

 この直後のミンメイの顔のアップ、ほんの一瞬ですが、ヒカルに対して、もう最高に憎々しい! ……とばかりの、般若的に恐ろしい表情を返しています。

 アイドルである自分の、それも顔をひっぱたいた男に対する、殺してやりたいほどに凄まじい怒りと憎悪。

 チラリとですが、ミンメイの心の奥底の、アイドルらしからぬ“闇”が垣間見える瞬間ですね。

 しかし、ヒカルが自分の手を抑え、心から悔やんでいる様子を見て、彼女は心を変えます。

 ヒカルはやっぱり、私のことを大切に思ってくれている……と。

「ごめんね」の一言でパアッと華やぐ微笑みを返したとき、直前の憎悪はその裏に、完全に消え去っています。

 アイドルならではの女神の微笑に戻る姿が、本心なのか演技なのか、ふと疑ってしまうほどの妖しさも、その場面に醸し出されていますね。

 ほんのしばらくの間の表情変化ですが、ミンメイが心のどこかに“闇”を隠し持つ少女であることと、ヒカルの悔悟の情を感じ取れる優しさ、すなわち“光”の面を持つことが見事に表現されていると思います。


 このほか、『愛・おぼえていますか』を歌い上げたミンメイが、ステージから黙って未沙を見上げる、あの名場面もそうでしたね。

 両者が見つめるだけで、“セリフ無しで感情を伝える演技”を、“生身の人間ではないはずのアニメキャラ”が見事に実現しています。

 ここが『劇場版マクロス』の凄いところ。まさに神業。

 ミンメイたちに生命が吹き込まれているのですね。

 ジブリアニメでも、ここまで完成されてはいないと思えるほどです。


 だからミンメイはこの作品によって、で、私たちの心の中に甦ることができるのだと、そう思います。


       *


 “セリフに頼らず、仕草と表情で感情を伝える”ということは、アニメキャラでありながら、人間の俳優と同じレベルの演技を実践していることになります。

 登場キャラが、舞台俳優の大御所なみの“お芝居”をしている。

 それが『劇場版マクロス』の偉業。

 これ、21世紀の多くのアニメ作品では、足元にも及びませんね。

 おそらく現在のたいていのアニメ作品は、声優さんのセリフに依存しています。

 キャラの仕草や表情が乏しい部分を、セリフの情感で補っているのですね。

 それも声優さんのお仕事であり、だから声優さんの雇用につながり、また脚光も浴びていると思いますが。

 にしても、キャラの感情表現の演出技法が、もう40年も昔の作品に、てんで及びもつかないことを、どう考えればいいのか……

 ここ十数年、アニメは着々と“退化”しているのかもしれません。

 デカルチャー! と嘆くに価するでしょう。


 『劇場版マクロス』は、セリフ無しの仕草と表情だけで、その人物が本心を吐露しているのか、嘘つきなのか、それとも本音とタテマエを使い分けているのか、そういった裏面心理までも表現することに成功した、稀有の超大作ではないでしょうか。


 キャラクターがスクリーンの中に“生き続ける”とは、そういうことだと。


       *


 ボドルザーが滅び、戦い終えたばかりのマクロス艦橋の描写……

 ようやく艦長席に背中を預け、軍帽をまぶたの上に降ろすグローバル。

 メガネをはずし、リクライニングいっぱいに伸びをするヴァネッサ。

 コンソールに突っ伏して眠りこけるシャミー。

 セリフ無しの情景だけで、かれらが生き延びた戦いの重さが伝わります。



 奮闘したキャラの皆さんに、そしてこの作品を世に送り出した方々にも、お疲れさま……と申し上げたいシーンです。



       *


 さて、ミンメイの魅力について、最後に一言。

 他のアニメ作品ではまず見られない、彼女ならではの魅力とは。 

 天性のアイドル性、歌唱力の高さ、それだけではない、人間的な魅力が……

 『TV版マクロス』の方に、物語られていますね。


 自分の“落ち目”を知ったアイドルであること。


 TV版の最終話の彼女は、正直、落ち目のどん底にあります。

 明らかに、右肩下がりの人気。 

 飽きられてゆく自分、歌を信じることのできなくなった自分。

 とうとう、歌手をやめようとさえ思う、心の煩悶はんもん

 そういった弱さ、悲しさ、淋しさを存分に味わっています。


 だからこそ、それでも未来へと歩み出す彼女の背中には、ファンとして最高の声援を送りたくなるではありませんか。


 ここが、初代『超時空要塞マクロス』のTV版と劇場版の、名作中の名作たる所以ゆえんであると思います。

 “トカゲの尻尾”みたいな付け足し部分に見える第28話からの九話分があればこそ語られた、ミンメイの苦渋と悲嘆、そして決意。


 それが、ミンメイをかけがえのない、唯一の存在に高めています。


 近年のアニメに登場するアイドルキャラは、たいていがグループです。

 集団であるがゆえに、悲しみや苦しみを伴う出来事の悪しきプレッシャーは、メンバーの誰かと分かち合うことができ、それもまたドラマの一部となっています。


 しかしミンメイは、ただ一人。


 あらゆる不幸から逃げも隠れもできない、孤独なアイドルです。


 それが彼女を、輝かせています。

 古今東西のアニメ作品の歌姫がステージに集合したとき、最前列のセンターに立ち続ける資格は……

 リン・ミンメイただひとりの栄誉ではないでしょうか。





  【次章へ続きます】



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