150●『超時空要塞マクロス/愛・おぼ…』⑧…ミンメイ、永遠への第一歩。

150●『超時空要塞マクロス/愛・おぼ…』⑧…ミンメイ、永遠への第一歩。



      *


 思いますに、「未沙→ヒカル←ミンメイ」の三角関係の結末は、予定調和だったのでしょう。

 最初から定められた運命であると。

 というのは、もしもミンメイがヒカルと結ばれて終わったら、すっかりミンメイファンとなっていた観客は、「最悪の結末だ!」と落胆するしかないのですから。

 「ヒカルのどこがいいんだよ! あのフニャ男のどこが!」ってことですね。

 この先、主婦となったミンメイがヒカルとの間に子宝を授かり、割烹着が板についてすっかりヌカミソ臭くなってしまうなんて、許せるはずがありません。

 ワレラ、ロリー、コンダの三人は、「俺たちの人生は終わった……」と嘆くばかり、なにしろマクロス艦内の人たちは『小白竜』の映画で悪役を務めた女優さん一人を除いて、全員もれなくミンメイファンなのですから。

 艦内とマクロスシティは一気に絶望ムード。あっちこっちに半旗と死亡フラグ立ちまくりの事態となったことでしょう。


 だからミンメイは、ひとりで歩まねばならなかったのです。

 永遠のアイドルとなるために……


 ワン、ツー、スリー、フォー、とミンメイがステージをタップする、その姿は永遠のアイドル誕生への秒読みです。もう言葉はいらず、エンディングテーマの『天使の絵の具』が、生まれ変わった彼女の第一歩を飾ります。

 そのフレーズは、こうでしたね。


 哀しい心も「♪天使の絵の具で塗り替えるよ 思いのままに」と……


 明るく前を向いた彼女の、新たな旅立ち。

 劇場版の幕が下りたとき、私たちの心の中に、史上初ともいえるバーチャルアイドルの偶像が、その晴れ姿とともに、くっきりと刻印されたわけです。


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 さて、劇場版はTV版を「増補改訂」したものと解釈しますと……

 前章で述べました「➀②③」をTV版の不足を補完するかのように「増補」したのはいいですが、あまりにも大規模な増補となったことは確か。

 それゆえ、上映時間の二時間弱に収めるためには、TV版のストーリーを大胆に「改訂」せねばならなくなったはずです。


 つまり、ドカンと「増補」したことによって、それにつじつまを合わせるために「改訂」する箇所がドッサリと出てきたってことですね。その結果、建物を全部潰して建て替えるような大工事となり、ストーリーがまるで別物になってしまったという次第でしょう。壁面塗装や内装のリフォーム程度では済まなかったわけです。

 それでも、無理して中途半端にTV版に合わせることをせず、増補した「➀②③」をキッチリと観客に伝えることを最優先に据えたのは、制作者の覚悟であり、まさにご英断でした。


 限られた尺にストーリーをまとめるため、切っても切れないヒカル、未沙、ミンメイの三人を除いて、他のキャラの活躍はバッサリとカットされました。

 グローバル艦長やクローディアたちはチョイ役に縮小されましたし、フォッカーや柿崎の最期も、あっさりとしたものになりました。火無尽君も数瞬で消滅。

 また、ミリアがこっちへ来るのでなく、マックスがあっちヘ行ってしまう形に変更されました。二人のマクロス艦内のラブストーリーまで描写する余裕はなかったのですね、残念なことに。


 そして大きな設定変更として、TV版では言及されていた「監察軍」の存在がなくなり、ゼントラーディとメルトランディ、すなわち巨人族の男女が戦争しているというスタイルに単純化されました。

 この変更はやや疑問が残ります。マクロス艦そのものの出自が「監察軍のブービートラップ」だったのですから。ここはやはり監察軍の存在は残して、ゼントラーディとメルトランディを加えた三者三つ巴の闘いとした方が自然だったのではないかと思います。

 それに、勝敗が決まらずに50万年も延々と戦い続けるには、二者対立よりも「三つ巴」の方がうなずけますね。(ただし三者のうちの二者が同盟を結ばないことが前提となりますが、監察軍とゼ軍とメ軍はそれぞれ、どこかと共闘する気なんか起こさないでしょう)

 つまり二者だけの対立ならば、いずれ優勢と劣勢が見えてしまいますが、第三者が随時介入すると、優劣のバランスが崩れて、また闘い直し……となりますから。



 このように、「ドカンと増補、ドッサリ改訂」した結果、「話が違う」ほどのリビルド劇場版が完成したのでしょう。

 しかし結果、リビルドは大成功だったと思います。

 劇場版は明らかに「ミンメイの物語」にテーマを絞り込んでいたのですから。


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 こうした「ドカンと増補、ドッサリ改訂」のパターンは、のちに『少女革命ウテナ』(1996)の劇場版『アドゥレセンス黙示録』(1999)にも現れました。

 劇場版『アドゥレセンス黙示録』は後日DVDで観ましたが、よくぞまあここまでムチャクチャやれるわなあ……と驚きつつも、その映像と演出の耽美とスピード感にすっかり酔わされました。

 もともとTV版からして“学園不条理ファンタジー”のおもむきでしたから、そのムードをさらにブラッシュアップした超幻想譚と解釈すればいいわけで、これも成功作だったと思います。

 ただ、物語としては、TV版が秀逸でした。

 なんといっても、最後の最後で、主人公が消滅するのですから。

 あの喪失感の物凄いこと。

 これもド肝を抜く、素晴らしい演出でしたね。


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 さてTV版のマクロスに話を戻しますが、ちょっと不思議なのはオープニング、あの、バルキリーがエレベータに載せられて上がってくる場面から始まる映像ですね、その一連のカットの中に、なぜかミンメイは登場しません。

 普通ならラストカットでミンメイの華やかな歌唱シーンがパッと出てきてもよさそうなもの。

 ということは、オープニング映像を制作した初期段階では、ミンメイの役柄は全編に登場するわけではない、些細な脇役どまりの予定であったことが想像されます。

 まさに瓢箪から駒みたいに、制作途中でミンメイの存在感が急上昇したのですね。


 ミンメイという女神の誕生。これは奇跡だったのかもしれません。


 TV版の放送がたまたま延長されて、第28話から最終第36話まで九話分の“三角関係物語”が加わったこと。

 そして劇場版では、ストーリーが意図的にミンメイ物語に集束されたこと。

 特にラスト近くの、ミンメイと未沙が言葉なく心を交わす名シーン。

 これによって、ミンメイは永遠につながる道を歩み始めました。


 そして今も歩んでいます、ファンの心の中に。





    【次章へ続きます】


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