“夢と希望”を掲げた“夢落ち”の傑作『ガリバーの宇宙旅行』(1965)
135●『ガリバーの宇宙旅行』①:“夢落ち”に終わった残念作? それとも……
“夢と希望”を掲げた“夢落ち”の傑作『ガリバーの宇宙旅行』(1965)
135●『ガリバーの宇宙旅行』①:“夢落ち”に終わった残念作? それとも……
『ガリバーの宇宙旅行』。
東映動画制作で1965年に公開された、上映時間80分の「長編天然色漫画映画」。
60年ほど昔の古典作です。
しかし21世紀の今こそ、オトナの私たちが観ておくべき必見作だと思います。
未見の方々だけでなく、子どものころに観た記憶のある方も、もういちど、オトナの視点でじっくりと観なおす価値、絶対にありますよ!
作品冒頭のクレジットで、原画と動画に並ぶスタッフたち。20世紀のレジェンドというべき巨匠の皆様が一スタッフとしてずらりと並んでおられます。それだけで壮観そのもの。
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『ガリバーの宇宙旅行』は『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)と『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)の間に位置する、東映動画の、いわば絶頂期を飾る作品であり、国産の長編アニメとしては、初めての本格宇宙SF大作といえるでしょう。
しかしこの作品、21世紀の今は意外と不当な低評価に甘んじている感があります。
当然のことですが、内容が「子供向け」であること。ストーリーも表現も、1965年当時のお子様に向けたメルヘンとなっています。
そりゃあ、そうですよね。昭和四十年の「漫画映画」です。当時は漫画週刊誌ですらPTAあたりから目の
漫画は小学生以下のお子様のもの、というのが常識でした。
それはあながち嘘でもなかったようで、当時のオトナたちから見れば、21世紀のオトナたちはみんな「バカばっか」ということですね。悲しいことに、最近のマイナトラブルやエッフェル姉さんとか某モータースの街路樹除草剤作戦の事案ひとつとっても、反論する余地はなさそうな……
さてそれよりも、『ガリバーの宇宙旅行』の作品評価が意外と低い原因は、お話の結末にあるといわれます。
これ、典型的な“夢落ち”ですね。
なーんだ、夢落ちか。
1965年当時のお子様たちも、きっとそう思ったことでしょう。
中身は子供じみたメルヘン、盛り上がるだけ盛り上がって、最後のラストで「実は夢でした」。
このガックリ感は、じつは、相当なものだったと思います。
私自身、あまりにも長い間、“夢落ちアニメ”の代表格だと考えていました。
“夢落ち”は、小説でも漫画でもアニメでも、“禁じ手”の代表格。
ストーリーの途中の小ネタとしてやるならともかく、本編のラストでそれをやったら、読者や観客の皆様から絶大なるブーイングをかまされても仕方ありませんね。
それゆえ私自身の記憶の中でも、この『ガリバーの宇宙旅行』は、キャラも動きも背景も、物語のアイデアも素晴らしいのに、「最後の最後でガックリ」の拍子抜けで「残念な作品」となっていました。
しかし2023年の現在になってみると……
認識を新たにしました。
今こそ、オトナが観るべき傑作なのです!
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作品が公開された1965年といえば、1964年の東京オリンピックの翌年です。
当時は米ソ冷戦たけなわ。西側世界の宇宙開発は、二人乗りのジェミニ宇宙船が打ち上げられたばかりでしたが、その先に月をめざすアポロ計画が控えており、わずか四年後の1969年に月面着陸が実現するという、信じられない超特急ぶり。
あのフォン・ブラウン氏は悪魔にタマシイを売った魔法使いで、その代償として得たサタンのパワーであの史上最大のV號ロケットを離昇させていたのではないだろうか? ……なんて気もしてならないのですが。なにしろ科学の進歩が速すぎて……
ということで、『ガリバーの宇宙旅行』で歌われている「♪科学万能パラダイス」は人類がいつか手にする未来像として、洒落でも冗談でもない時代だったわけです。
さてしかし、『ガリバーの宇宙旅行』で地球の風物を紹介する“地球の歌”は、ウィキペディアの解説では「2パート目は地球の春夏秋冬を教える中、「住宅密集」「核兵器」「自動車の騒音公害」「過疎地の貧困」といった、時代を背景する歌詞が含まれている。」とされています。
後年、外人さんから“ウサギ小屋”と呼ばれる狭小住宅、“交通戦争”と呼ばれたクルマ公害の恐ろしさ、そして着ている服すらボロボロの、生活格差……。
それもまた1965年の現実であり、“格差と貧困”は当時も深刻でした。……というより、21世紀になった今ですら“格差と貧困”が顕著であることの異常さを私たちは自覚すべきでしょう。
ということで主人公のテッド少年のズボンは片膝にツギが当ててあり、片足は破れて短くなっています。しかも「この宿無し!」と
つまり、ボロを
東映動画の各作品の中でも、群を抜くボンビーぶりです。
もっとも、当時は21世紀に比べて圧倒的に、“ボンビーな来歴の主人公”が多かったことも事実。例えば、漫画の『巨人の星』(1966-)とか、『あしたのジョー』(1968-)、『タイガーマスク』(1968-)がそうですね。
21世紀の現実では、一家代々世襲のプロ選手で、子どものときから自分専用の練習施設や専属コーチがいて、海外へのスポーツ留学など当たり前ですが、1960年代の東京五輪のころは、マラソンの円谷選手や女子バレーの“東洋の魔女”の皆さんなど、決して裕福とはいえない環境下で頑張る方々が脚光を浴びていたのですね。
そんな時代を背景に、『ガリバーの宇宙旅行』は「夢と希望」を作品のテーマに、堂々と掲げたことと思われます。
問題は、21世紀の今になっても、見た目は違えども、テッド少年と同様の貧困にさいなまれる子供たちが決して少なくないということでしょう。
テッド少年は絶望します。
「あきらめるな? 希望を捨てずに頑張れって? ……僕にはいいことなんか一つもないや」
ついさきほど、映画の中で苦境に陥ったガリバーが「すがれるものはある、希望だ!」と奮起したセリフに対する、現実的な回答ですね。
21世紀のボンビー少年たちも、きっと同じ思いでしょう。
共感します。この時代に(報われる可能性は極めて低いのに)ラノベを書き続ける私たちも、同じような境遇かもしれませんね。
そしてテッド少年は、どう見てもスピード超過で爆走してきたデリバリートラックに轢き殺されそうになります。
あ、ラノベだ!
そう感じさせる場面ですね。21世紀ニッポンのラノベですと、ここでテッド少年の
しかしそうはならず、そのかわり彼は“夢の世界”へ歩み入ったことが、あとになってわかります。
行く先が“異世界”か“夢の中”という違いはあれど、この導入部の設定は、明らかにラノベにクリソツです。つまり……
現代のオトナの視点で『ガリバーの宇宙旅行』を観ると、物語の
昨今の「延々と終わらないラノベ」とは違って……
異世界へ行きっぱなしでなく、きっちりとお話を完結させたのですから。
【次章へ続きます】
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