134●『ゴジラ-1.0』の物語を妄想推理する。:⑩残された未来。まとめと謎看板。

134●『ゴジラ-1.0』の物語を妄想推理する。:⑩残された未来。まとめと謎看板。



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〈エンドロール終了、画面は最後までモノクロのまま〉


 1946年11月3日。

 新聞の見出し。

「新憲法けふ公布 國家再建へ世紀の祝典」

 新聞は四つ折りに畳んで丸められ、捕鯨青年……今は“塩田青年”の背広のポケットに収まる。

 よれよれの粗末な背広だが、一張羅のようだ。そして細いネクタイ。

 隣に、低俗カストリ週刊誌の記者を続けている彼女。明るいストライプ柄のワンピース。ウエストを細く絞り、ふわりと拡がるフレアスカート。青年の腕に手をからませて、寄り添っている。

 群衆。

 ここは横浜港の大桟橋。

 おりしも、ヨーロッパ方面からの引揚者をはるばると運んできた貨客船が横付けされたところだ。

 迎えの人々が押し合いへし合いの状態。その頭上にざわめきが波打つ。

 今の日本には大型客船など氷川丸一隻しか残されていないので、この引揚船は戦時中に米国が大量生産した“リバティ船”という貨物船だ。簡素な客室の改装を施して貨客船に仕立ててある。全長およそ130メートル、排水量は一万トン。見上げるばかりに大きい。

「新憲法、今日、公布なのね」と彼の背広ポケットの新聞をチラ見した彼女。「少しは世の中、明るくなるかしら」

「新しい憲法の施行は来年の五月三日だってさ。また記念日ができるね」

「国民の祝日が増えるのは、とてもいいことよ」と彼女。「お休みが増えて、あたしたち一緒にランデブーでーとできるしね。世の中、それだけ明るくなるわ」

 彼女の手がぎゅっと自分の二の腕を締め付けるのを感じつつ、彼はつぶやく。

「永久に戦争を放棄、主権在民、自由と平等……か。桜花のあいつ、生きていれば、新憲法のこと、きっと喜んだんじゃないか?」

「そうよね、きっとそう。あの子のこと、覚えててあげてるのね、あれからずっと」

「そうだよ、俺たちが忘れちまったら、あいつは本当に、最初からどこにもいなかったことになってしまう。だから……」

「たぶん、それが、あたしたちの、責任のひとつなのよ。一生、忘れないこと、思い出してあげること」

「ああ、あの怪獣のこともさ」と彼。「忘れたらいけない。それに、桜花のあいつ、たぶん、あの怪獣に自分自身を重ねていたんだ。今になって、そんな気がする」

「怪獣が、自分と同じだって?」と彼女は不思議な顔をする。「でも、あんなに決心して、キッと睨んで、やっつけに行ってくれたのよ」

「だからさ。あいつは戦争しているこの国に操られ、軍隊に操られ、勝手なオトナに操られて、特攻隊員にさせられた。怪獣Gじーごうも、戦争しているこの国に操られ、軍隊に操られ、勝手なオトナにリモコンで操られてしまったんだ。だから、桜花のあいつは、自分が乗って飛ぶことで、怪獣と一緒に、もう、操られる人生はおしまいにしょうって、決心したんじゃないかな」

「それなら……」と彼女はふと考えると、「こうしてみると、憲法って、あのリモコンみたいね。この国を操縦するリモコンじゃないかしら。操縦の仕方を間違えると、とんでもないことになっちゃう」

「お、そりゃ穿った見方だねえ。ということは、ニッポンというこの国が、まさに怪獣なんだ。怪獣ニッポニラ! か、ねえ芹沢くん」

「もう……わざとらしく旧姓で呼ぶのはやめてよ。仕事であなたを取材してるみたいじゃない。これからは、ちゃんと名前で呼ぶのよ。呼び捨てで、だけど愛を込めて、あたしの旦那らしく」

「あ、はい、かしこまりました、奥方様……、いや、僕の奥方様」

「まあ、それならいいわ。でもホント、この国って、怪獣よね。いいも悪いもリモコン次第……ってことかしら」

 タラップが桟橋に降ろされた。

 リバティ船の甲板の手すりに、これから降りようとする引揚者たちが、鈴なりに顔を並べる。

 彼女は額に手をかざして日差しを避けながら、船上の兄を探す。

「兄さん、どこかな……兄さん兄さん」

「ドイツから帰ってくるなんて、凄い長旅だね」

「うーん、三か月かかったって。途中で寄り道したものだから」と、数日前に届いた兄からの手紙を思い出す彼女。

「そりゃあ、髪の毛や髭がぼうぼうに伸びて、ロビンソン・クルーソーかもしれないぞ。仕事はどんなことを?」

「さあ、わかんない。なんでも、怪しい変てこな研究なんだって。でも向こうの大学で博士号を取ったから、勉強はちゃんとしてるわよ」

「インテリだな、身なりを気にしないタイプだっけ? 見た目、わかりやすい特徴はある?」

 彼も手をかざして、船上の人々を探す。彼女は付け加えて言う。

「あっちの戦争でケガをして、右目に黒い眼帯してるって。まるで海賊の親分よ」

 それはわかりやすい。駆逐艦や軽巡の艦上勤務で視力を鍛えてきた彼にとって、ごく簡単な索敵行動だった。

「見つけた、きっとあの人だよ、タラップの降り口の右側、クレーンのデリックのあたり」

「あ、いたいた、見えたわ。兄さーん! ダイスケ兄さーん!」

 彼女は叫び、力いっぱい手を振る。

 右目に眼帯をした、白いシャツの繊細な容貌の青年が手を挙げて応え、タラップを降り始めた。



〈終劇〉




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【まとめ】


 以上はすべて私個人の妄想の産物であります。

 客観的な根拠に基づくレポートではありません。あらかじめお詫びいたします。

 『ゴジラ-1.0』の30秒ばかりの予告映像から読み取れる情報を膨らませて、作品の舞台となる1945~46年(推定)の当時に存在したさまざまなギミックを組み合わせることで、「こんなドラマもありじゃない?」と、推理してみました。


 妄想を膨らませる過程で、『ゴジラ-1.0』に必然的に求められる、いくつかの条件も浮かび上がってきました。

 おもに、下記の三つの視点が、作品のドラマに含まれねばならないだろう……ということです。



① 『ゴジラvsキングギドラ』(1991公開)に描かれた“ゴジラ前史”(大戦中を舞台とした、ラゴス島の恐竜ゴジラザウルスのエピソード)との整合性を図ること。


・怪獣ゴジラの起源について明瞭に語られたエピソードであり、これを無視したら、『ゴジラvsキングギドラ』という既存作品をまるまる否定することになるため。

・そうすると、この「ラゴス島のエピソード」に加えて、「放射能による巨大化」という、1954年の第一作に語られるゴジラ発生プロセスとの連結を配慮しなくてはならない。



② ゴジラ第一作(1954公開)の内容との整合性を図ること。


・この第一作はシリーズ全編の基本設定となっているため、その変更や否定はタブーである。また第一作でゴジラが破壊する銀座の時計塔ビル、国会議事堂、勝鬨橋かちどきばしなどは、『ゴジラ-1.0』では全壊せず残してあげなくてはならない。

・ゴジラは「放射能による巨大化」が大前提であり、これを外して、他の要因で巨大化したとすることは困難となる。しかし終戦直後の時点での核爆発は、米本土のトリニティ実験と、ヒロシマ&ナガサキの三回のみであり、特にヒロシマ&ナガサキはゴジラ巨大化の要因としては道義的に絶対に採用できない。物語的に(オトナの事情で)これを解決する手法が必要である。

・第一作の舞台となる年代はまさに1954年そのもの。その八年とか九年前の物語となる『ゴジラ-1.0』において東京にゴジラが出現した事件は登場人物の記憶に残っていてもよさそうだが、もちろん第一作ではそんな事実は存在しないことになっている。すなわち、『ゴジラ-1.0』に描かれるゴジラ出現の事件は、強力な政治的圧力によって揉み消され、「一切が、なかったことにされてしまった」という設定を採用せざるをえない。

・また、1954年の第一作の登場人物も、『ゴジラ-1.0』の時点では当然存命しているわけだから、作品中に何らかの接点があれば望ましい。一例として「1945-46年頃の芹沢博士」が作品ラストにチラリと姿を見せて、第一作への橋渡しをすることが考えられる。



③ “終戦直後”という時代の特殊性を考慮しなくてはならない。ニッポンはGHQの支配下で占領されており、国家や国民の主権は存在しない。そのような立場で怪獣と戦わねばならないところに、これまでにない困難でシリアスなドラマが発生する。


・襲来する怪獣と戦う主体は、日本人を支配しているGHQとなり、日本人はGHQの命令によって「心ならずも戦闘を強制される」という悲劇が発生する。

・そして日本人がいくら死んでも、“国民”として扱われないという悲劇が発生する。現在もそうだが、戦災による非戦闘員の損害は(死亡も含めて)日本政府ですら原則的に補償してくれない。ましてやGHQが、である。

・終戦直後なので、敗北を認めずに本土決戦をもくろむ旧日本軍人の勢力が暗躍しても不思議ではない。

・当時のソ連は日本本土の北半分の支配を望んでおり、さまざまな秘密工作があり得る。怪獣は兵器として彼らの興味を惹くだろう。

・怪獣に対抗する兵器として、横須賀には戦艦長門と伊400、伊401潜水艦が残存している。また本土決戦用に温存された特攻兵器が米軍に接収されて、大量に残されている。戦利品として米国へ移送するため整備されていて、使用可能なものが少なからずある。おそらく使用されるだろう、日本人の手によって。

・終戦によって人格的に最も大きなダメージを受けたのは、特攻隊員だろう。生き神様扱いから、一日にして「特攻なんて馬鹿なこと」と蔑まれたのだから。自発的志願だから自己責任というのは詭弁で、そもそも最初から特攻で死にたがる人(しかも若者)は一人もいないし、“そんなことで死なせてはならない”というのが、まっとうな人間観ではないか? この「特攻」に対する物語上の配慮は『ゴジラ-1.0』に求められるはずであり、単なる“英雄的美化”に終わっていいものではないと思われる。

・戦災の焦土で怪獣が暴れても、その破壊に大した意味はないように見える。しかし、本当に恐ろしいのは、このような怪獣を作り出し、暴れさせ、大量殺戮を行いながら、それを利用しようとする国家や人間だ。「怪獣すら戦争に利用する国家や人間という、怪獣よりもはるかに恐ろしい怪獣」こそ、『ゴジラ-1.0』に描かれると思われる、“真の怪獣”であり、真の恐怖として演出されるのではないだろうか。


       *


 以上の予測を踏まえて、『ゴジラ-1.0』の公開を楽しみに待っています。


       *


 本日、2023年7月24日現在。

 最後に残った、一つの謎。

 30秒ほどの予告映像の中で、逃げ惑う人々の背景に、一枚の看板が映ります。

 書いてあるのは「かえるはり」。

 かえるはり???   

 わかりません。これ、謎です。ずーーーーっと気になる謎看板です。


 11月3日の公開で、この謎看板の正体が明かされることを切望しています。

 とにかく、気になって仕方ありませんので……




     【終】


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