110●おすすめ映像音楽(8)…異世界のクエスト至高の到達点、『ラ・マンチャの男』

110●おすすめ映像音楽(8)…異世界のクエスト至高の到達点、『ラ・マンチャの男』




 さて、古今東西すべての実写ミュージカル映画の最高峰は、といえば……


 迷うことなく、『ラ・マンチャの男』(1972) です!


 ミュージカル映画は、多くがもともと舞台作品としてブロードウェイやロンドンで旗揚げされ、ヒットしたことで映像化されるので、音楽的には舞台版と映画サントラ版の二種類が存在します。

 概して、映画版の方がオーケストラの規模が大きいので、映画版では曲を聴かせる、舞台版では俳優さんを重視して歌を聴かせる、といった演出傾向があるように感じます。


 『ラ・マンチャの男』も同様で、オケの壮大さでは映画のサントラ版が推しですが、歌をしんみりと聴くには、舞台版がすぐれていますね。

 デッカのCDで、ブロードウェイ・オリジナル・キャスト・アルバムと銘打った『Man of La Mancha』が何度か再版されています。

 録音は舞台公演が始まった1965年、CDマスタリングは2000年とか。ジャケットでは初演時にドンキを演じたリチャード・カイリーの名前があります。ということは、おそらく映画制作以前のオリジナルに近い舞台ですね、GOOD!。裏付け史料が無いので、不確かではありますが。

 すばらしいのは、何から何まで名曲揃いということ。どの曲も丹精込めてこしらえましたという感じで、こなれ方がすごい。幕の内弁当のおかずからごはんまで一粒残らず美味しくいただいて、パセリのひとつまみまで甘美に食するかのようです。

 その声の美しいこと。

 愛聴の一枚ですね。今はネット通販などでお安いですし、絶対におススメです。

 歌の英語もわかりやすく、聞き流していても、なんとなく意味が伝わりますよ。


 映像は映画のDVDで楽しみ、歌曲はこのCDでお聞きになるのがよいでしょう。

 映画はオケの音響が強調され、歌の力はやや弱いので、CDで補うということで。

 


 CDの圧巻は、フィナーレ。

 いまわのきわのアロンソ・キハナのもとへ、アルドンサが訪ねてくる場面です。

 泣ける泣ける。涙腺ダム、大決壊です。

 若い人にはわからないかもしれませんが、いつかわかりますよ。

 まさに中高年キラー、年寄り泣かせとはこのことです。

 なぜかと言いますと……

 これ、描かれているのは、夫婦愛、なんですね。

 法律的に結婚しているかどうかでなく、精神的なパートナーの愛情なんです。

 物語前半で、キハナが騎士ドンキを名乗ってドルシネア姫と崇め奉り、実態は娼婦のアルドンサ嬢に求愛する光景は、客観視すれば、ちと頭のおかしい妄想ジジイと、やさぐれ堕落女のお戯れにすぎません。

 まあ要するに、バカとバカ。悲しいけど、二人を見る世間の目はそんなものです。

 しかしアルドンサは、キハナの心の奥底に宿るドン・キホーテの魂に、どこか、ほだされるのですね。

 純粋だからです。

 現実は汚れている、自分自身もキレイな心なんか持ち合わせていない、けれど、ドンキの心は、どんなに見た目がアホでウスラトンカチでも、その根っこは純粋だ。

 たぶん、そこにアルドンサは惹かれ、そして自分の心の奥底のドルシネアに気づくのです。

 もう一つの純粋な心に。

 だから、ドンキと引き離されても、ずっとアルドンサは心の中で、ドルシネアとして騎士ドン・キホーテと二人のクエストを続けていたのです。

 (二人が一度、別離する、という演出には、そういう意図があると思います。そして彼女も再会時にはっきりと、“クエスト”と語ります)

 だから、彼女はアロンソ・キハナを訪ねて来た。

 離れていても、人生のクエストは一緒だったのです。

 死が二人を分かつまで。

 これ、凄い。まことに夫婦愛なのだと思います。

 見た目なんかどうでもいい、心の奥底でつながった絆。

 キハナは「♪トランペッツァ コーリング トゥミー!」と再びの旅立ちを歌いますが、これは、これまでのサンチョとの道中の続きではなく、ドルシネア姫とともに歩みゆく、三人の新たなクエストということですね、喝采!

 互いの心の絆を握りしめて、この人生クエストを終えるなら、騎士であってもなくても、これ以上の幸せはないのではなかろうか。

 年老いても“見果てぬ夢”を追い求める、そのことが最も重要なのではなく、夢を追う心の純粋さが、彼にかけがえのないクエストのパートナーを得させしめたのです。

 アルドンサという名の最愛の伴侶ドルシネアを。

 そういうお話ではないかと。


 西暦1605年から発表されたセルバンテスの原作はそこまで語ることはなく、終始、痛烈な社会風刺と愚か者への皮肉を満たしたユーモア小説と受け止められ、主人公ドンキ氏は“痛い”ピエロの役回りで、世間の笑いものにされたままでした。

 1965年のミュージカル初演まで、哀れ、ドンキ氏の心に救いの手が差し伸べられることはなかったのです。

 だから、フィナーレを描き加えた20世紀のミュージカル版は、原作から三世紀半を経てようやく、騎士ドン・キホーテのクエストに、至福の結末を、そして至高の到達点を与えることができたのだ……

 そう思います。


 舞台も映画も、原作者セルバンテスに多大な敬意を払っています。

 些細な罪で逮捕投獄されたセルバンテス自身が登場し、劇中劇の形で、この作品はセルバンテスが今、牢屋の中でストーリーを考え続けている小説『ドン・キホーテ』の中身なのだと示してくれます。

 そしてセルバンテスは囚人たちの協力を得て、小説の構想をさらに先へ進め、その真の結末に到達するのです。

 しかしそれは獄中の出来事であるため、囚人である彼は、原稿用紙に新たな文字を記すことができません。

 つまり、彼の小説作品には書かれなかった“幻の結末”なのです。

 彼は今、囚人たちに話したばかりの、幻の結末を胸中のみに抱いて、地下牢から審判の場へと去ってゆきます。


 ということは……

 が、すなわち、このミュージカル作品のフィナーレの部分である、ということになるのですね。

 原作に書かれなかった結末。それは……

 まことのクエストと、まことの旅の仲間たち。


 この作品はきっと、人を尊い瞬間に連れて行ってくれる、無二のクエストの道しるべ、に仕上がったのです。


 フィナーレのおしまいで、「♪アンリーチャブル スター!」と大合唱が締めくくられるとき、その声はどこかうるんで聞こえてきます。

 ステージの皆さん、泣いてたんじゃないかなあ。



 昨今のラノベやアニメでは、皆さん異世界で旅の仲間を募ってクエストに出掛けられますが、異世界にレンタルDVD&CD屋さんがあったら、クエスト前にご視聴なさることを、ぜひおススメしますよ。






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