109●おすすめ映像音楽(7)…反骨の監督の力作『ビアンカの大冒険』と『アナスタシア』

109●おすすめ映像音楽(7)…反骨の監督の力作『ビアンカの大冒険』と『アナスタシア』




 ミュージカル映画の三分類、三つめはこれです。



 三、お子様向けミュージカルアニメ


 説明の要はありませんね、ディズニーのアニメ作品は大半がミュージカル形式で、ストーリーの流れに応じて、歌と踊りのダンスパートが組み込まれています。

 屈指の成功作である『ライオン・キング』(1994)は続編やフルCGのリメイク作、また舞台のミュージカルにも進出、日本でも国民的ヒット作となりました。

 が、個人的には申し訳ないけど、ほとんど興味が湧きません。

 手塚治虫先生の『ジャングル大帝』で十分です。あれで完全に語り尽くされています……と、独断と偏見で思います。

 タイトルのセンスも、“大帝”の方が“キング”より格調高いのでは。

 いろいろあったけど、やっぱ手塚先生のクリパじゃないの?(個人の感想です)

 ファンの皆様、ごめんなさい……


 国産アニメでも、1960~70年代の東映動画作品、『アンデルセン物語』とか『わんぱく王子の大蛇退治』、あの『太陽の王子ホルスの大冒険』もミュージカル形式を部分的に採用していましたね。ただしカジュアルなミュージカルよりも、クラシック系のオペラのような、総合芸術に近いセンスを感じます。



 数あるディズニーアニメの中でベストワンにおススメなのは……

 『ビアンカの大冒険』(1977)、日本での公開は四年遅れの1981年です。

 でも、わりと有名でない、地味系の作品に思われているのでは。

 なにぶん欧米での公開が1977年で、『スター・ウォーズ』とぴったり被ってしまいました。遺憾ながらダース・ベーダー様の魔力には及ばず、すっかり裏番組化してしまったのではないかと……


 マージェリー・シャープ女史の可愛く楽しい童話をアニメ化したものですが……

 ウォルト・ディズニー・プロの創立50周年作品なのにウォルト・ディズニーじゃなくてマージェリー・シャープさん。

 しかもメインキャラのバーナードとビアンカは男女ペアのネズミですよ。

 ディズニーといえばM&Mのあのペアマウスさんが王国に君臨しているのですが、そこへ全くヨソ者であるB&Bのネズミカップルさんがカチコミをかけるようなことを、よく許したというか……

 さすがディズニー様、その太っ腹に感謝感嘆いたします。


 CDあり。シェルビー・フリントが歌うテーマ曲「誰かが待っている」は秀逸。

 さらにウィキによると“4年の月日をかけて参加したスタッフは合計250名。その内、アニメーターは40名となった。描いたスケッチは33万枚”と、品質的にもメガトン級。CGがほとんどありえない時代、セル画の特質を生かしたスケッチ風の画も素晴らしく、21世紀のディズニーアニメとは一線を画した、異次元の高品質を実現していると思います。

 『王様の剣』(1963)から続いていたディズニーアニメ制作体制は、この作品を区切りに大幅に改変されたようですね。つまり、伝統的な手描きの美しさを極めた、古き良き20世紀アニメの、最終到達点であり、残されたラストの一作ってことではないでしょうか。歴史的にも、外せないユニークな逸品です。


 ストーリーは……

 悪漢に拉致監禁された孤児の少女ペニーを救うべく、国際救助救援協会レスキューエイド・ソサエティの会員であるビアンカとバーナードが、ボランティア精神で大活躍するというもの。

 描かれている時代は、1950-60年代ってところでしょうか。

 ちょっとレトロ感のあるキャラデザインですが、ネズミたちも少女ペニーも日本のアニメに近い可愛らしさに仕上がっていて、繰り返し観ても目に優しいです。

 個人的には、あほうどり航空アルバトロス・エアのオービル君が推しですね。

 アメリカ空軍の歌(もともとは米陸軍航空隊の歌)を口ずさむあたり、いかにも、若かりし頃にはスリルとスタントが大好きだったパイロットの成れの果て……といった風情で、渋くて粋です。ディズニー界のポルコ・ロッソじゃないかな。

 ビアンカたちを背に乗せて、よたよたっとテイクオフ! するのですが、このあと数瞬の飛行シーンが凄いのなんの。『風の谷のナウシカ』あたりを凌駕するド迫力。


 そしてラスト近くにもうひとつ、異次元の驚きがあります。

 TVのレポーターが、少女ペニーに尋ねます。

 「ネズミは人間と喋れるの?」

 ペニーはばっちり、正解を答えます。すばらしい模範回答!

 つまりここで、作品は、現実と虚構の橋渡しをしてくれるのです。

 チラッと現実と虚構がクロスする、このような場面はディズニー系のアニメでは、まずもって見られない貴重なショット。いつものように、どっぷりとファンタジーの世界に埋没する……のでなく、少女ペニーは虚構の世界のキャラではなくて、あくまでも現実世界の側に存在しているのですよ、と念押ししてくれるのですね。

 観客のあなたはペニーと一緒に現実の世界にいる、でも、虚構も大切だよと。

 それだけでも、記念碑的な傑作だと思います。


 そして最後に、『ビアンカの大冒険』の、とてもいいところ。

 この作品、子供心にも知りたい、「本当の友達って、何?」という問いに、キッパリと明瞭に答えているんですね。ディズニーアニメがほぼ例外なく作品中で語ろうとしている“友情の証”とは何か、というテーマです。

 これが、他の作品だと、人種問題やジェンダー問題や歴史的侵略問題なんかが妙にからんで気にかかり、“友達”の本質に迫りにくくなってしまうのですが、『ビアンカの大冒険』では、ストレートに一発回答。


 その答えは簡単……

 “困っているときに見捨てず、助けてくれること”ですね。

 困っているときに助けてくれるのは、それが人間でもネズミでも、他の動物でも虫たちでも、等しく友達なんだ。

 だから、あなたが困っているときには、私も助けにいくからね。

 ……というシンプルな真理を、すんなりと見せてくれる爽快作であります。


 出目金な雪女さんのレリゴーも結構ですが(ファンの皆様ごめんなさい!)、あたしゃ、ビビリながらも(ビアンカ嬢に尻を叩かれて)人命救助に精進するバーナード君に肩入れしたくなるのですよ。



       *


 ミュージカル・アニメの異色作をもう一つ。

 『アナスタシア』(1997米、制作は20世紀フォックス)。


 帝政ロシア崩壊後の戦間期である1928年頃、記憶を失った少女アーニャを行方不明の皇女アナスタシアに仕立て上げて一攫千金をもくろむ青年詐欺師。孤児院から出て来たばかりの少女を貴族のお嬢様らしく教育する過程で、もしやこの娘は本物? と悟りつつ、青年は少女に惹かれてゆく。そこに、アナスタシアの命を狙う魔法使いラスプーチンの魔手が襲いかかって……というお話です。


 1956年の映画『追想』と、1964年の『マイ・フェア・レディ』を合体して、魔法要素を加味した作品、と言ってしまえば味気ないですが、ストーリー展開は『追想』よりも断然面白く、堅苦しさの和らいだ語り口になっています。少女アーニャの相手役が『追想』のような元帝政ロシアのアナクロ将軍でなく、ありふれた、ただの市井の青年であることもGOOD! 

 悪いけど、『追想』のイングリッド・バーグマン様よりも、キャラの性格造形は、アニメのアーニャの方が一枚上手いちまいうわてだと思いますよ。

 音楽的にも、常に明るく前向きに突っ走る少女アーニャの歌声と、壮大華麗なオケのサウンドが、なかなか大人向け。

 いちおう子供向けっぽい絵面えづらを見せながら、大人をうならせる演出が憎い。少女は青年に振り回されることなく、最後まで自分の意志で、試練や障壁に立ち向かっていきます。とにかく前進、前進、このエネルギーを魔法的チート力でなく、あくまでひとりの、ただの少女として発揮していくところが、大人の世界観ですね。


 敵は強大な魔法使い、こちらはただの人間。K滅の刃のK殺隊みたいな超人的能力などありません、知恵と工夫で切り抜けていきます。

 全然強くない主人公たち、しかし大人ですから、ファンタジーの世界の住人ではありません。正義の魔女が都合よくカボチャの馬車なんか出してくれることはないのです。自力で運命を切り開き、他者に与えられるのでない、自分だけの幸せをつかもうと進みゆく、そんな姿が、元気をくれるんですね。


 そして結末は……アーニャは本物のアナスタシアだったのか? が気になるところですが、実はそんなことはどうでもいい、彼女の幸せはそんな次元にはないことが示されて、とても気持ちのいいエンディングになっています。


 というのは……


 記憶喪失となった少女アーニャが、自分の本当の素性を思い出そうと、文字通り“自分探し”をするのが、このアニメ作品の大きな主題となっています。

 サントラCDのトラック2で、アーニャが謳い上げる『過去への旅』がそれですね。明瞭に、解り易く、観客に作品テーマが提示されています。

 実写映画『追想』では、皇女役のイングリッド・バーグマン様も同じく、失った記憶を呼び覚まして、本来の自分に気づくことになるのですが、ミュージカルの手法を取り入れていないので、“自分の過去を取り戻す”テーマが、やや、解りにくく、どちらかというと、彼女をアナスタシアに偽装する謀略の方が強調されています。


 しかし、アニメの『アナスタシア』では、やや意外な展開となります。

 失った記憶を取り戻すことよりも、記憶を失ってからさまざまな冒険をして、迷い、決断して道を切り開いて創り上げた“自分”こそが“アーニャ自身”となるのです。

 アーニャが本当に記憶を取り戻したかどうかは重要ではない、失った過去の呪縛は捨て去り、今を生きるアーニャこそが、これから未来を拓いていく真のアーニャなのだ! ……と高らかに語らしめてくれる結末の見事なこと。


 悪魔ラスプーチンに勝ったとき、彼女は過去のしがらみを断ち切り、あらゆる迷いを克服して、本当の自分自身、真のターニャを取り戻したのでした……そう解釈することもできるでしょう。


 オスカーに輝いた『追想』とは本質的に異なる、上出来ウェルダンのラストシーン。感動します。それが、このアニメ作品を忘れられないものにしてくれます。

 『アナスタシア』は『追想』を克服したのだと。

 アニメ作品をリメイクで実写化して、残念な失敗を招く例は後を絶ちませんが、『アナスタシア』は、実写作品をアニメ化することで、鮮やかに成功したのではないかと思います。これ、隠れた名作なのかもしれませんね。


 所謂いわゆるディズニーアニメは、概して、魔法によって決着がつくことが多いですね。

 王子様のキスとか。あの雪女さんのハグとか。

 子供向けならばそれで良いのですが、『アナスタシア』のフィナーレへのアプローチは一味以上に違いました。

 しかも悲痛な感情は見せず、明るくポジティブに突き進む少女に、絢爛豪華な音楽がぴったりフィットしているのです。


 なお、ディズニー・プロで『ビアンカの大冒険』(1977)を手掛けた監督が、ディズニー退社後に20世紀フォックスへ移籍して、『アナスタシア』(1997)を制作したことが、サントラCDのライナーノーツに書かれています。

 またウィキペディアによると、“ドル箱作品”ばかり作りたがる経営サイドに立ち向かった反骨の監督が1979年に会社を飛び出して、その後『アナスタシア』(1997)を世に出したのだとか。

 なるほど! ですよね。

 『アナスタシア』は反骨の監督が心血注いで創り上げた渾身の力作。

 古き良き時代のアニメ、ここにあり、です。

 大傑作、というほどではないかもしれませんが、絶対に一見の価値ありですよ。



       *


 CDの曲ではトラック4の『イン・ザ・ダーク・オブ・ザ・ナイト』が好きです。

スター・ウォーズの、帝国のマーチみたいな悪魔の行進曲ですが、凶悪さよりも堂々としたカッコよさを感じさせる佳作です。

 惜しむらくは、キャラデザインが昔々のハンナ&バーベラ作品を荒っぽくしたアメコミ調で、日本人視点からは、いまひとつ可愛らしさに欠けること。極端に言うと、早く人間になりたい妖怪家族の、アノ女の人みたいな顔つきになってしまうのです。

 幼い時のアナスタシアは十分に可愛いのですが、大人に近づくと、見た目がトゲトゲした絵面えづらになってしまうようで、なんとも残念。

 また、ストーリー展開が割とシンプルなので、絵柄的には、ほどほどで見飽きてしまうかもしれません。

 しかしサントラは内容充実、こちらは何度も聴き返しています。


 つまり、『アナスタシア』は……

 映像よりも、サントラ音楽を味わうためのアニメ、と理解してもよさそうです。

 サントラのために映像がある、と。

 それだけ音楽も素晴らしいのです。




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