107●おすすめ映像音楽(5)…邦画ベスト3:『ここに泉あり』『キューポラのある街』『太平洋奇跡の作戦 キスカ』
107●おすすめ映像音楽(5)…邦画ベスト3:『ここに泉あり』『キューポラのある街』『太平洋奇跡の作戦 キスカ』
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さてここで、しばし日本に眼を転じてみましょう。
『オーケストラの少女』にかなり似た感じの邦画がありました。
『ここに泉あり』(1955)です。
終戦して間もない昭和二十年代、群馬県。
平和の訪れとともに、貧しい生活を送る市民や子供たちに音楽の素晴らしさを伝えようと、市民の有志が自主的にオーケストラを結成し、地域の巡業を開始します。
といっても貧乏楽団、公的な援助など皆無、団員はほぼ素人、技量は低く、人数も満足に集まらず、公演旅行といっても七、八名の小規模バンドみたいなもので、小学校の講堂を借りてピアノのかわりにオルガンを使う、粗末な演奏会を強いられます。
日銭をかせぐためチンドン屋まで手に染める現状を改善して、団員の生計を立て、地域に根を張った交響楽団を育て上げようと苦悩しつつ、演奏に人生と青春を賭ける楽団員の面々を描きます。
もとよりCDなど存在せず、レコードだって相当にお金持ちの家庭でなくては聴けなかった時代。
西洋楽器など見るのも聴くのも生まれて初めてという田舎の人たちに、耳を傾けてもらうこと自体、至難の技なのです。
誰もまともに聴いてくれない。
黙って聴くのは、子供が一人か二人……
そんな演奏会で、一人の少女が演奏に感動し、オルガンを弾いていたピアニスト(岸恵子さん、若い!)に、手作りの花束をプレゼントしてくれます。
感激した七人の団員は、少女と別れて帰る野原の一本道で、嬉しさのあまり、それぞれの楽器のパートを口ずさみます。
アカペラの合唱で奏でられる、『美しく青きドナウ』。
その調べの美しさは格別です。
国産映画の音楽シーンで、最も素晴らしい珠玉のワンシーンでありましょう。
また、楽団がハンセン病(人権に反する強制隔離で、のちに社会問題化する)の療養所を訪問した時は、病に侵されて包帯を巻いた不自由な手で拍手が送られます。
ほぼ無音の拍手。
胸に迫るものがあります。
音楽が心を癒すとは、どういうことなのか。
音楽無しでも、生活はできるはず。
しかし私たち、直感的に、音楽無しの人生はありえないと知っています。
たとえ微風でもここちよい空気の振動を感じ、自分の心臓の鼓動を感じるならば、音楽という大気の振動は、人生に不可分な要素として成立しているのではないか?
人が大気を呼吸するのと同じくらいに、楽音の響きは無くてはならぬものではないのか?
音楽無しでも生きる資格はある、けれどやはり、音楽なしで生きてはゆけない。
音楽は、自分が生きていることを確認できる、必要不可欠のツールではないのか?
そんな、人間として根源的な実存にアプローチする名作が、戦後すぐの荒廃した時期に創り出されていたこと、忘れ去ってしまってはもったいないと思うのです。
主人公の楽団“高崎市民オーケストラ”はやがて、群馬交響楽団へと成長していくことになります。
つまりこの作品は、当時の実話に基づいているわけです。細部はフィクションですが、大筋は当時を実際に生きた、現実の楽団員の労苦と情熱がリアルにトレースされていると考えられます。
映画が作られた1950年代の時代の熱気を刻み込んだ、貴重な映像記録ともいえるでしょう。
作品のラスト近くで、楽団員の提案にこたえて、国内有数の著名オーケストラとの共演が実現します。実在の作曲家であり指揮者の山田耕筰氏が、実在の東京交響楽団を率いてタクトを振る場面がクライマックスを盛り上げます。
ここのところ、いかにも“オーケストラの少女”へのオマージュな印象ですが、著名交響楽団との“夢の共演”が実現して、それだけでヒャッハーなハッピーエンドとなるのは、むしろ21世紀の映画でしょう。
違うのです、あれほど心待ちにした共演でしたが、楽団員の本当の幸せは、じつは、その向こうの世界にあることがわかります。
“夢の共演”を乗り越えた彼方を、目指さなくてはならない。
目の前に大きな山があることに、主人公たちは気付かされることになります。
そこが本作の最大の魅力です。
『オーケストラの少女』の猿真似で終わるはずがないのです。
ラストシーン、めいめいの楽器を担いだ楽団員が、徒歩で山を越えていきます。
この場面、十年後の『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)の屈指の名曲『すべての山に登れ』が聴こえてくるかのようです。
かれらと並んで歩き、応援してあげたい、そう思わせる最高のエンディングです。
『ここに泉あり』1955年公開、上映時間150分。
長いようで、観はじめるとそのままクギ付けになり、退屈する暇はありません。
画面の中には、各団員の演奏に退屈して遊び出したりいたずらしたりケンカしたりする子供たちが登場するのですが、昔の子供たちが見せる、あまりにも素朴な笑顔に、かえって引き込まれます。
クラシックの名曲が散りばめられていますが、肩ひじ張った雰囲気は無く、笑いと涙、滑稽さとしんみりしたロマンティックな風情が程よく調和しています。
音楽性だけでなく、ストーリーの面からも、国産映画のピカイチだと思います。
実写映画ですが、高畑勲監督の手でアニメ化されていたら最高だったろうなあ……と思います。『セロ弾きのゴーシュ』(1982)のイメージも、そこはかとなくオーバーラップしてきます。
といっても、この作品『ここに泉あり』をご存じの方はたぶん少ないでしょう。
演奏部分以外の音楽は團伊玖磨、それに岸恵子、岡田英次、小林桂樹、加東大介、草笛光子、それに本作でデビューした大滝秀治、まだ子役の浜田光夫……と、そうそうたる出演陣の各氏が出そろった、いわば“無名の超大作”なのですが。
DVDは出ています。しかしくたびれ切った古いフィルム、全体に雨ザーザーのままなのです。サウンドも雑音だらけでジャリジャリです。
いつか、どなたかが映像とサウンドをキッチリとデジタルマスタリングしてくれないものでしょうか?
綺麗なフィルムに生まれ変わった『ここに泉あり』に、死ぬまでに出会いたいものだと願うばかりです。
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国産映画で自分的に最も大切な作品を三つ選ぶとしたら……
黒沢映画でも、ジブリアニメでもありません。
ひとつは先ほどの『ここに泉あり』(1955)。
山奥の泉から湧き出る清水が疲れた旅人の喉をうるおすように、心の糧となるものは何なのか、気付かせてくれます。
それはかならずしも音楽に限らない、もっと普遍的な“愛”にまでイメージの裾野を拡げてくれる作品です。
二つめは『キューポラのある街』(1962)。
主人公の貧しい少女(当時16-17歳の吉永小百合さん)がちょっとリッチな友達の家を訪問、するとブラームスの交響曲第四番の冒頭が流れてきます。友達によると「兄貴のステレオ」。
自分の貧しさを寂しく思いつつも、窓外には“キューポラのある街”が夕焼けに映えて広がります。
私はこの街で生きているんだ、と感じさせる、切なくも美しい情景。
貧しくても辛くても、小さな幸せを大切に抱いて一歩前に進む、そんな少女。
生きることの根源的な力に気づかせてくれる作品です。
三つめは戦争映画の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965)。
太平洋戦争、真っ最中の昭和18年、敵軍の只中に孤立した離島の兵士たちを救出する作戦を描きます。
つまり、戦うことを目的としない、撤退作戦。
娯楽映画としての細かい脚色や設定変更はありますが、基本は実話です。
部下思いで人道を尊ぶ、異色の名物司令官、木村昌富少将の名前を大村と変えて、三船敏郎さんが
人の命を救うために、何を差し出せばよいのか。
それが大きなテーマですね。
このまま玉砕しろと斬り捨てる上司と、戦って手柄を立てたがる血気盛んな部下にはさまれつつ、人命救助のために決断する司令官。
これ、家庭を守る父親に通じるものがあります。
家族の命、これが一番。
21世紀の今こそ再認識したい、父親の理想像ではないでしょうか。
救出船に乗り込む兵士を身軽にして、すみやかに収容するため、陛下から預かった“命よりも大切”とされる銃器を一斉に海に捨てさせたのは史実のようです。ジワッと泣かせます。
音楽は『ここに泉あり』と同じ團伊玖磨氏、勇壮とか悲壮というよりも、明るい希望を感じさせるテーマ曲。2021年になってようやく、サントラのCDが出ました。
家宝モノの貴重音源です。
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