104●おすすめ映像音楽(2)…チャップリンの偉大な足跡、『街の灯』
104●おすすめ映像音楽(2)…チャップリンの偉大な足跡、『街の灯』
私の記憶の範囲では、比較的知られている映画音楽で最古級の作品は、『會議は踊る』(1931独)にて主役のリリアン・ハーヴェイ嬢が歌った『ただ一度だけ』"Das gibt's nur Einmal " という歌ですね。ネット検索ですぐに聴けます。
十八世紀、ナポレオンが没落したことで空白となった欧州の政治体制、その今後を協議するために開催されたウィーン会議。しかし集まった各国の王族たちは宴会ざんまいで議事はそっちのけ、そんなウィーンで偶然に出会ったロシア皇帝と手袋店の街娘クリステルの儚いロマンスを描きます。
『ただ一度だけ』は、迎えの馬車に乗った彼女が皇帝の別荘に着くまでの道中に歌われ、その間、フィルムの切れ間なくワンカットで映し続ける
『會議は踊る』には、さらにヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『天体の音楽』、シューベルトの『軍隊行進曲』なども加えられて、小粋なラブコメのオペレッタに仕上げられた、上品な佳作といえるでしょう。
歌曲『ただ一度だけ』はこの映画作品のキモである、ヒロインのロマンスを象徴するテーマソングとして成功しましたが、これはあくまで“歌”ですね。器楽の演奏による、インストゥルメンタルとしての映画音楽が歴史に際立つ足跡を残したのは……
同じ年に公開された、映画『街の灯』(1931米)でしょう。
絶頂期を迎えつつある世界最高の喜劇俳優チャールズ・チャップリンの監督・脚本・製作・音楽(作曲)・主演による作品。
まるで、自分一人で作っちゃったみたいですね。
それほどに彼の思いが込められた、いや、ねじ込められたというのか、チャップリン自身が、おいらの心髄はこれだ、これを観ろ! という感じの作品ですね。
上映時間は87分と、やや短め。
失業中で身なりも粗末な放浪紳士が、街角の花売り娘に好意を抱きます。気立ての良い、優しい娘ですが、彼女の目は障害があって見えません。彼女の視力を回復する手術代を工面してあげようと、彼は一念発起するのですが……
よれよれのルンペンスタイル、それでも心は誇り高く、彼女のために勝てるはずのない賞金付き拳闘大会に挑む、われらが放浪紳士チャップリン。
チャップリン映画の作品群の中で、傑作中の傑作と讃えられる一篇ですね。
花売りの少女は目が見えません。
だから放浪紳士の小汚い身なりも冴えない容貌も見ることはなく、それゆえに格差と偏見の壁が二人を遮ることなく、互いの心が通じ合います。
ほんの数分間の、二人の出逢い、放浪紳士の素朴な善意と、それを受け入れる娘。
それだけで目頭が熱くなり、涙腺は崩壊寸前に……。
そんな経験、されませんでしたか?
けだし、名作です。このわずかな場面だけでも、映画史に前人未到の足跡が刻まれたのではないかと思います。全地球の万人におすすめ、これを見ずして死ぬなかれと申し上げたい、間違いなく、そんなマストムービーです。
映画『街の灯』の感動の源泉、その第一は、作品の公開時期にあります。
1931年、アメリカ。
1929年10月に始まった世界大恐慌の嵐が吹き荒れるさなかです。
不景気の荒波はいつまで続くのか、職を失った人々の貯えは底を突き、家を失った人々が街にあふれたことでしょう。
今の日本も似ていますね。長引く貧富の格差拡大にコロナ禍の直撃を受けて、はや二年あまり。
大恐慌二年目に公開された『街の灯』の、貧しい花売り娘と浮浪紳士は、銀幕の中の虚構ではなくて、今の自分自身そのものだと、多くの人が感じたことでしょう。
二人の心温まるロマンスは、大恐慌にあえぐ大衆から圧倒的な共感を得たものと思われます。興行収入500万ドルを記録し、大ヒットとなりました。
しかしこれは、『街の灯』にとって、偶然の
映画の製作が始まったのは、1928年のこと。
しかし完璧主義のチャップリンは、放浪紳士と花売り娘が出逢う数分のシーンになかなか満足がいかず、三百回以上もリテイクし、その結果としてあの素晴らしい歴史的名場面が銀幕に刻まれたのですが、作品の制作作業は伸びに伸びて三年を要し、1931年2月になって、ようやく封切ることができたということです。
つまり、名場面の撮り直しでもたもたしているうちに、1929年10月を迎えて世界恐慌が始まってしまったわけですね。奇しくも恐慌の真っただ中の上映となり、人々の心が最も欲する感動を、最も良いタイミングで届けることができたのでしょう。
映画の制作がトントン拍子に進んで、大恐慌の勃発前に封切られていたら、そこは第一次大戦後の繁栄を極めた狂乱のジャズ・エイジ、享楽的で刹那的などんちゃん騒ぎのローリング・トゥエンティーズ、F・スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』の時代にあたります。日本なら1980~90年代のバブル景気みたいなものですね。
そのような浮かれ気分の時代に『街の灯』が登場しても、ヒットしたかどうか……
幾つかの偶然が重なって三年の制作期間を要したことが、作品と大衆のベストマッチを生んだのではないかと思います。
映画『街の灯』の感動の源泉、その第二は、作品の結末にあります。
ちょっぴり幸せな、ハッピーエンドなのです。
百点満点のヒャッハーではありませんが、二人はたしかに、何らかの幸せを共有したことと思われます。
チャップリン映画の傑作としては、その後に『モダン・タイムス』(1936)、『独裁者』(1940)、『ライムライト』(1952)と続きますが、結末はハッピーエンドかというと、ちょっと違う感じではあります。いかにもチャーリーらしいというか、手放しのハッピーではなく、えもいわれぬペーソスとか皮肉、諦観と悲壮感も残されているのですね。
それが『街の灯』では、大衆迎合的と言えばそれまでですが、ホンワカとした幸せの余韻を残す仕舞い方となっています。
やはり、大恐慌に苦しむ人々が望んでいた結末と言うことでしょう。
これはこれで、良かったと思うのです。
“幸せって、何だっけ?”との心の問いに、単純明瞭にバシッと応えてくれる結末になったのですから。
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