95●ラノベな大河『黄金の日日』(2)…〇ンピースな海賊王、暴れる。

95●ラノベな大河『黄金の日日』(2)…〇ンピースな海賊王、暴れる。



●スケールの大きさ


 主人公が呂栄るそん助左衛門ですから、フィリピンのルソン島に漂着、あるいは滞在、商売を成功させ、あるいは内戦に巻き込まれ、モテモテになり、恋の炎を火炎放射されて大ヤケド寸前に陥るなど、縦横無尽の見せ場が続出します。

 もちろん当時のポルトガル、スペイン、フィリピンの外国人さんも多数出演、これだけニッポンを離れた国際的な顔ぶれを持ち込んだ大河は、類を見ないでしょう。

 キリスト教の宣教師さんも次々と現れ、大名たちもさほど抵抗なくキリシタンを名乗り、東西の文化が融合するさまが描かれます。

 とくに、宣教師ルイス・フロイスを演じたアロイジオ・カンガス氏、じつは昭和の現役の本物宣教師さんだったのですね。確かにあれは演技じゃない。漂うオーラがまるで違います。神々しいやら尊いやら……


 このスケールの大きさは、ある意味、時代の産物かも。

 放映時の1978年は、十年後のバブル景気を控えて、ニッポンが“ジャパン・アズ・ナンバーワン”へと駆けあがる、希望に満ちた時代でもありました。爪楊枝から原発まで、何でもござれの総合商社が世界をまたにかけ、“24時間戦えるビジネスマン”が、もてはやされていたのです。

 時代の空気は楽天的でイケイケドンドン、2021年の今では想像もつかない明るさに満ちていたことでしょう。

 特殊な高額報酬職種を除いてニッポンにハケン労働はなく、誰もが原則正規雇用、しかも終身雇用、定年は55歳で、年金は60歳から支給されました。預金も嬉しい高金利、定期なら年利7%くらいあったのです。7%ですよ! 天国です。一億貯めれば利息で年700万円。将来への安心感の大きさは現在の比ではありません。貧乏人からボッタクる消費税は存在せず、貴金属や高級車など贅沢嗜好品にこそ物品税をかけていました、ここはボンビーのタックスヘイブンか。赤字国債はあったものの、その後抑制されて90年代前半には発行ゼロに。21世紀の今のように際限なく垂れ流し的に発行するようになったのは1998年からです。

 公害や交通事故死は酷かったけど、“これからよくなる”希望はみんなが持てた。

 誰もが、スケザのような夢を描くことができたのですね。

 (そのぶん、21世紀の幻滅も激しいのですが。未来がこんなにつまらないとは)


 『黄金の日日』の物語の終盤では、スケザは一大貿易船団の総指揮官として秀吉の朝鮮出兵に裏から介入します。

 無謀な侵略戦争を押しとどめようと暗躍するのです。

 これはもう、安土桃山時代の“海賊王”。

 『〇ンピース』に二十年も先んじて、このストーリーを具現化した脚本力は偉大というべきか。

 時の天下人・秀吉にすら逆らう、反骨の自由人として描かれたスケザ。

 21世紀のNHKに、ここまで豪快な正義感を語れる主人公はいるでしょうか?



●戦争せずに戦争に決着をつけるゲーム性


 スケザは商人であり、物語の前半で奉公した堺の豪商・今井家の当主である今井宗久(丹波哲郎さん)や、その息子の今井宗薫(林隆三さん)も優秀な商人あきんどです。

 ということで……

 多くの大河ドラマで扱われてきた、戦国軍事の世界と、ちょっと異なりますね。

 例えば『真田丸』(2016)は、しがない小領主の戦国サバイバル作戦とも考えられますので、こちらは転職で生き延びるサラリーマンの世界観でしょう。

 しかし『黄金の日日』を貫く価値観は、武士とは異なる、ビジネスマンの世界観ということになります。

 戦国の世ですから、武器弾薬を商う“死の商人”の側面はもちろんあるのですが、売った相手の武将が戦で敗けて滅びれば元も子もなく大損ですね。相当にリスキーなので、主人公のスケザは武器以外の商品も扱って、対立する諸大名の間で中立的な立場を維持しようとします。

 武士たちのように“殺して奪う”のでなく、いかにして“需要と供給を読み”、“商品に付加価値をつけるか”という勝負。しかも混迷を極める戦乱の世に、です。

 戦争とは異なった、ゲームのような取引の展開に、いつのまにか引き込まれます。

 高橋幸治さんの織田信長を見込んで、その勝利のために国内史上初の装甲軍船を建造してみせる、丹波哲郎さんの今井宗久。

 児玉清さんの徳川家康に取り入って、堺の鉄砲製造力を掌握、今井家(もう、今井コンツェルンですね)の存続を確保しようとする、林隆三さんの今井宗薫。

 スケザの策謀に乗り、ほぼ無価値のルソン壺に法外な値付けをして、魔法か詐欺かイリュージョンかと驚くほど究極の付加価値を創出、緒形拳さんの豊臣秀吉に見事に一杯食わせてしまう、鶴田浩二さんの千利休。

 商人たちの、乾坤一擲の経済戦が繰り広げられます。

 武器を使わずに、戦争の決着すら操る、ビジネスのゲーム。

 第24話『鳥取兵糧戦』は、その典型例でしたね。


 このゲーム性も、1990年代以降に花開くラノベの先取り、といった感があります。

 異世界ヒーロー冒険ものとして文庫にでもすれば、今でも通用するでしょう。

 『黄金の日日』は、“武器を使わない戦争”という、1978年の当時としては斬新な視点を戦国時代劇に結実させました。

 実際、放映の13年後、1991年にソビエト連邦、崩壊。

 “武器を使わない戦争”が、それを成し遂げたようですね。


 それらゲーム感覚が作品を盛り立てているのが、同じ大河ドラマの『真田丸』(2016)でしょう。

 こちらは、真田という一家の戦国サバイバルゲーム。

 真田家は弱小の領主。

 動員できる戦力は、大大名の一万人単位に比べて、せいぜい数百。

 敵と正面から戦って勝てる可能性は低い。

 ひたすら戦いを避け、勝ち馬を見極めて身を寄せ、生き残ることを優先する。

 この思想もまた、時代にフィットしたものといえるでしょう。

 格差社会の中で、勝利とは無縁の弱い立場で生き抜くヒントが、真田丸の中にありそうです。






※本文と関係のない補足(2021.10.7)

 とある人材サポート会社が10月4日(月)にJR品G駅のモニターに掲出した「今日の仕事は楽しみですか。」の広告がSNSで炎上したらしく、翌日には掲載中止、お詫びを表明したことを、民放が朝のニュースバラエティで報道していました。

 掲出が月曜であったことも相まって、カチンときた人が多かったようです。

 私なら“大きなお世話だ、ほっといてくれ”と無視するでしょうが。

 しかし、やはりそれだけ、自分の仕事を“楽しみ”ととらえられない人が多かったわけで、おそらく、日々の仕事が生きるための義務以上のものにならず、未来の夢の実現につながらない……という現実を物語るのでしょう。

 たぶん、今はそういう時代なのです。

 やりたい仕事を、たとえ今はできなくても、いずれつかみとれる……といった、ささやかで不確かな希望すら、抱く余地のない、狭隘な社会なのだと。

 希望、というつかみどころのないものは、しかし昔の方が多かったと実感します。

 昔は、駅のホームにも街角にも、希望はホンワカと漂っていたものですよ。

 この広告には決して悪意はなく、小さな文字で良心的なコメントが続いていて、“楽しく思える仕事が増えれば、社会は豊かになる”という趣旨だったようです。

 広告は一日で撤回され、お詫びしたのだから、たぶん炎上はおさまりますね。

 で、何が残ったのか?

 これが偶然なのか意図的なのかはわかりませんが、広告主は万歳三唱して大喜びで祝杯を挙げる結果になったと思われます。

 なにしろ民放の朝ワイドで全国的に放送、すなわち“広告”してくれたようなものですから。広告効果は一朝にして何万倍以上に大化けしたのです。しかもタダで。

 ビジネスとは、そういう側面もあるのでしょう。

 仕掛人がいるかどうかはわからない。けれど非常にスムーズな掲出撤回の反応は、ひょっとして炎上が最初からひとつの可能性として予想されていたのかもしれないと、勘ぐる人が出てくるかも知れませんね。

 また、“炎上”はそもそも人工的に演出可能。その場合、“放火”というのか。

 過去に、不適切な表現の広告がネット炎上して撤回された例は多々あります。

 それら過去事案を分析すれば、現象を意図的に創り出して逆手に取り、過去例とは真逆に動くように制御して、自社にとって有利な形に決着させることも、AIなどを使って慎重に準備すればできなくもないはず……とも、考えられます。

 そんな時代になってしまいました。

 広告の快・不快よりも、事案の全てを疑うしかない時代になってしまったことが、なんとも不快な、そんな朝になってしまった……

 なんだかやはり、ヤな時代なのです。

 



 【次章へ続きます】


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