91●『S撃のK人』は“話が違う”(2)…ワルシャワのゲットー&イスラエル?…

91●『S撃のK人』は“話が違う”(2)…ワルシャワのゲットー&イスラエル?…



       *


 まず物語の端緒では、不条理で理不尽な暴力を象徴する強いK人と、戦い虚しく破れてK人に喰われるだけの弱い人類、両者の関係がくっきりと描かれます。

 強いK人による、弱い人類に対する、“弱い者いじめ”。

 戦争など、いわれなき迫害で簡単に命を奪われる、現代の、現実の、弱き庶民の姿が“生き写し”にされた傑作だと思いました。

 だって先の大戦で、ベトナムで、バルカン半島で、チベ〇トで、あるいはウ〇グルやシリアや最近のミャンマー、(また2022年のウクライナ)など、本当に本当の現実ですから。

 これ、人類の太古からの永遠のテーマでしょう。

 何千年が過ぎても文明社会にはびこる、弱肉強食の愚行。このままでよいのか。

 これはすごい。何としても最終話まで読んで、結論を確かめたい。

 そう思いました。

 が、しかし……


 読むのを途中で控えました。

 なんだか作風がアッチの方へ転がって行って、“話が違う”になってきたからです。

 もともと、強いK人に対して、弱い立場の人類が知恵を絞って挑む、レジスタンス的&パルチザン的な抵抗プロテストの物語と思って期待していたところ……


 そのうち、調査H団の側の人たちが互いを指差し合って……

 “おれたちK人? みんなK人?”ってことになってきたからです。

 K人はどこかの異世界からやって来るのでなく、“K人化する人間”がその正体だったですと?

 そう認識した途端、物語への期待は半分がた、しぼみました。

 K人とは、人類に対して突き付けられた、正体不明の劫罰。それは未知の存在ゆえ恐怖をはらみ、正体を暴くべき謎そのものであったのですが……

 それが、“搭乗型巨大ロボット兵器”と同列の、“同じ人類の武器”に成り下がってしまったからです。

 要するに、K人は、ある程度“人類のアンダー・コントロールに置ける”ことが判明したわけですね。

 となると同時に、調査H団とその周辺では、K人の力を強力な軍事パワーとして、誰が手中に収めるか……という権力闘争が持ち上がります。

 そしてついに壁の向こうに発見される海と、その彼方のM国。

 主人公たちは、M国に支配され迫害されるE国民と同系であるとわかります。

 それやこれやで……

 “K人vs人類”の運命的な戦いと思われたお話が……

 “K人を使った、人類vs人類の戦争”へと、フェイズ替えしてしまったのです。

 これぞパラダイム・シフト。

 しかし、ちょっとおもしろくないパラダイム・シフトでした。

 外の世界の文明度は第二次大戦の前後あたりだったのです。

 となると、M国内のE国人専用の閉鎖的居住区は、まんま、当時のワルシャワあたりのゲットー。

 主人公たちが住むP島は、E国人だけが集まった国、すなわち当時のイスラエルあたりに酷似してくるのです。

 となると、K人の扱いは、もはや神秘の巨人でなく、ある種の巨大兵器、束にすれば核兵器なみの“Gナラシ”という必殺技を秘めた巨神兵軍団となってしまいました。

 “Gナラシ”は明らかに、核兵器の隠喩メタファーだと感じます。


 つまりこの大作漫画のストーリーは、いつのまにか、もうひとつの第二次世界大戦の“仕舞い方”と相成ってしまったようです。


 核兵器を使って、日本列島以外の八割を滅ぼして、さあどうするか……といった架空戦記シミュレーションですね。あの迷作『日本以外全部沈没』(筒井康隆先生著 1973、映画は2006)も思い出させる、巨大カタストロフィ大作の性格を帯びてきたのです。


 しかしこうなると……K人がどんなに暴れても、人類の誰かによって操縦され、あるいは集団的に操られたアンダー・コントロール状態の軍団になってしまい、第一話で読者の心をわしづかみにしたような、わけのわからない不気味な神秘性……いわは“大魔神的”な恐ろしき天罰、あるいは神の劫罰の具現化……とは、ほど遠い物語に変遷していったわけです。


 酷評みたいでスミマセン。

 しかし、お話の後半は、ファンタジーではなく、架空戦記シミュレーションとして読めば、まぎれもなく生々しくも荒々しい、人間性のあり方を厳しく問う傑作だと思います。恐るべき闘志に、狂気的に駆られる人々の群像、凄いと思います。


 つまり、“K人”という大量破壊兵器を手にした人類の、戦争と平和の最終選択の物語となったからです。これは確かに、ある種の“戦記物”と考えられるでしょう。


 連想するのは、かわぐちかいじ先生の『ジパング』です。お話の後半は、原子爆弾に翻弄され迷走する、この國の狂気的な戦争風景でした。

 原子爆弾と“Gナラシ”を置き換えてみると、わかりますね。

 ただし『ジパング』はチョコチョコと一杯ツッコミどころがありまして、あの美しい名機……“キ77”に、当時ありえないトンデモな超高空性能があったりとか……あ、よしましょう、私の悪癖です。


       *


 なんにしても、途中でお話のスタイルが “K人vs人類”→“人類vs人類” にすり替わって、“話が違う”になってしまった『S撃のK人』。


 それはそれでいいのですが、とても大事な要素がスルーされてしまったと、感じずにおれないのです。


 それは、“K人の平和利用”。


 アニメのファイナルシーズンで描かれたM国民とE国民の間の怨嗟の問題は、私個人の感想では、以下のように解決されると思っていました。


 主人公たちのK人軍団は泳いで(水泳が得意であることが描かれている。カエル泳ぎでもなくクロールでもないだろうから、バタフライかな?)M国へ奇襲上陸、ゲットーに閉じ込められていたE国民を解放し、M国にクーデターを仕掛けて、E国寄りの傀儡政権を樹立させます。

 つまり、表向きはM国でも中身の実質はE国となるのです。

 E国民は、K人の力によって、M国内の上級国民に君臨します。

 そのままでは旧M国民の不満は必至なので、ここでK人を平和利用して国内の復興と民族的融和を推進します。国民の不満のガス抜きであり、“K人は人類の友達、E国民は敵ではない”とプロパガンダを展開します。


 人類がK人をアンダー・コントロールに置くことができるならば、あのフクシマでボカチンした原子炉と同種のヤツと同じように、“平和利用”が可能なはずです。

 戦争の複雑なミッションをこなすK人ですから、たいていの労働は(頭脳労働でなければ)、朝飯前のお茶の子さいさいでしょう。


 土木、運搬、建築、農耕や漁労、あるいは被災地の人命救助など、K人の就活先はいくらでもあるはずです。

 実際にK人のおかげで家屋などインフラが復旧し、経済も安定すれば、一般の民人たみびとはK人のファンとなり、子供たちは野球カードみたいにK人カードを集めて遊ぶことでしょう。

 要するに、善政を敷くことです。

 M国民とE国民の人種的差別感情を乗り越えて、ある意味社会主義的な協同国家を築けば、M国は戦争で消耗することを避けて、世界の最強国に成長できるのでは?

 合衆国的、あるいは社会主義時代のバルカン半島みたいな、多民族国家を成立させればよいと思うのです。


 それやこれや、平和的な事業が、K人という力持ちを国家建設に活用すれば、できちゃうかも? と思わせるのですが。

 それを、何者かの陰謀に引っかかったとはいえ、よりによってゲットー内でK人同士の破壊行為をやらかして、M国側K人とE国側K人の内輪もめで内部紛争に陥ってしまったら、元も子もないでしょうに……

 ここはしっかりと地下組織を作って、“K人資質を持つ人は、みんな仲間だ、E国民だ”という同胞意識を浸透させるのが肝要であり、戦略の基本かと思えます。


 そうやって新生M国が誕生すれば、あとはK人の法治化です。

 あるK人が悪さをしたら、K人警官が駆け付けてタイホし、P島の監獄に送り込む……といった秩序維持の仕組みも必要でしょう。

 平和的な終わり方は、そんな感じではないでしょうか?



(あ、しかしこうなると、『T時空要塞Mクロス』の後半部の地球と同じことになるのかか? K人が“善トラーディ”化するだけですよね。だから『S撃のK人』は異なるストーリーを選択したのかな? ……以下、次章で)




   【次章に続きます】



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